面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

CT

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 今年になって3回目のCTの撮影だった。両手が軽くしびれ、両肩が突っ張り、右の額の傷跡が時にたん瘤みたいに膨らむのだ。診察してくれたのは初めての若い医師だった。僕の脳の画像を見ながら彼は自信を持って「問題ありません」と断言した。気を使ってあいまいに言われるより、断言してもらった方が安心するのだ。たん瘤は脳髄液が時に漏れているのかもしれないが、雑菌が入ったら痛みを感じるはずなので、問題ないということだった。

他の病気と違い、クモ膜下の開頭手術後の余命はどこにも書かれていない。もしガンでステージ3なら余命何年と書かれてあり、プレッシャーになるのだが。クモ膜下の場合、個人差、程度の差があり、基準は全くないのだろう。もちろん、大きな障害、麻痺は残っている人は、日々の暮らしの中でも相当負担を感じるのだろうが。

僕は或る意味死線をさまよったわけだが、クモ膜下で運悪く死んだ場合は何の痛みも感じないまま、眠るように死ぬのだろう。死ぬ一瞬は何も怖くない。何にも逆らえないまま、意識が無くなるのだ。一番嫌なのは死ぬまでの余命、余生の期間に感じる恐怖感なのだ。

 ふと、朝目が覚めると、薄暗い部屋の僕の布団の横に、猫がずらりと並んでいた。小弾、ポンタ、マーガリン、ETが順番に、きれいに座って並んでいたのだ。寛太はいつもの場所だったけど。猫ども早く餌が欲しかったのだろうか、母親代わりの小弾を先頭に、何か言いたそうだった。

これまで、家に飼っていたのは猫1匹だったが、合計6匹の多頭飼いになると事情が違う。面白さも6倍、世話も6倍、トイレの世話も6倍、餌代も6倍なのだ。このまま猫どもを残してぽっくり逝くわけにはいかない。

猫の一般的な寿命は約15年。つまり、僕はなんとか15年は生きたいと思っている。この頭なら、もって15年だろうし、(これから何もなければ!)同じ人生、猫生の時間を重ね合わせて生きることになるのだ。お前らが餌欲しさに、布団の横で、僕の寝顔を眺めている時に、おっちゃんの頭の中はこんなことを考えているのだぞ。

(後で思い直すに…なんとわがままな、おっちゃんか。男は早くて60歳過ぎ、フツーで70歳過ぎで死んじゃうものなんだ。おっちゃん、頭の病気でそんなに長生きすることはないのに、平気であと15年は生きるつもり…つまり75歳まで元気でいるつもりと信じこんでる。まぁ、いいじゃん、今後どうなる運命かは誰にもわからない!)