面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

さよなら列車

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今年の6月に三角中学校の還暦同窓会があり、何故か実行委員に選ばれた。60歳引く15歳=45年。あの頃から、45年も経つのか。田舎の中学なので4クラスしかなく、学年全体で150名いるかいないか。仕事柄、同窓会に配布する記念誌を作る役割を担ったのだが、現在参加者71名。女性が半分以上の参加だ。以前の僕なら参加しないのだが、去年の病気で命拾いしたせいもあり、考えた結果、実行委員に参加し、会の手伝いをすることにした。ショックなのは調べていくうちに結構な数の同窓生がすでに亡くなっていたことだ。僕も運が悪ければ、その中の一人に入っていたはずだった。きっと「ああ、あんな奴、居たよね」「誰だっけ?」そんな会話がなされたのだろう。そしてきれいに忘れ去られる。今から思っても僕の中学時代にいい思い出はない。人を傷つけ、自分も傷ついた。心底、嫌な奴だった。その忸怩した思いは高校になっても消化できなかった。会の打ち合わせで、テーブルをはさみ、数人の女性メンバーと打ち合わせをする。いつものメンバーの中の女性の一人の手は赤く、たくさんのしわだらけになっていることに気が付く。話をしているうちに、どこかのおばさんと会話をしている気になる。もちろん僕も相当なおじさんなのだが。会合が数回。どうしても目の前の女性数名、どこかで会った気がするのに、どうしても思い出せない。名前を聞くのも失礼と思いながら、どうしても思い出せない。

昭和48年春。あの頃は高度成長期と言われる時代の端っこだったな。ギターを持った坊主頭の吉田拓郎井上陽水が増殖し、友人の家に行くと、サイモンとガーファンクルの明日に架ける橋が流れていた。僕は寺山修二の「家出のすすめ」という本を読んでばかりいて、早く家を、この町を出たかった。都会にあこがれていた。

駅の近くにはショッピングセンターが出来、客で満員だった。祭りも人ごみで通りが歩けないほどの賑わいだった。日本中、どんな田舎でも同じ光景が見られたのだろう。現在の荒廃した景色を誰が想像しただろう。僕の通った中学は小さな丘の上にあり、ミカン畑の中にある。校舎からは港の景色が一望でき、その景色を1時間に1本、単線のデーィゼル列車が横切り、警笛を鳴らし、街に向かう。僕らはその学校を卒業すると、ほとんどがその列車に乗り、市内の高校に通学するのだ。

去年、地元の病院に転院し、およそ1ヶ月ほどリハビリをした。病院の病室からは廃校になった灰色の中学の3階建ての校舎が見える。その時に撮った校舎の写真を会報の中にも使うことにした。最後のページはその校舎から眺めた港の景色だ。ところが今頃になってその校舎は解体され、街の避難所に建て替えられることになり、がれきの山になってしまった。

僕は今、熊本市内の事務所まで、眺めていたディーゼル列車で通勤することになった。乗客はまばらで、スマホ片手の高校生が乗り込んでくる。車窓からの景色はほとんど変わらない。半島沿いに海辺の線路が延々と続く。社内には当時の混雑、賑わいもない。今、生徒のスマホの画面の中には、味気ない、時間を消費するだけのゲームの景色が広がっているのか。それとも、暇つぶしの退屈なコメントのやり取りが続いているのか。死んでいたはずの僕と同乗する過去の幻影もないのか。列車がトンネルに入る、窓が黒い景色に変わる。僕の見つめる向こう、トンネルの黒い壁をバックにガラス窓には僕の顔が映る。なつかしさもない、白髪の初老の男の顔だ。トンネルを走り抜けると車窓の景色はまた、一気に青い海の景色に変わり、僕はいなくなる。天気が良い日は海の向こうの水平線は白くかすみ、漁船が白い軌跡を残して進んでいく景色となる。古い列車が僕の体をゆさゆさと揺らし、僕の意識は眠りにつく。耳のかすか奥に、車輪の振動音が響き続ける。

同窓会はもうすぐ開催される。みんなと再会できたとしても、今後はもう、会う機会はないと思う。僕はぼくの列車に乗った。それでいいのだ。さよなら列車。

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