面白半分 猫半分 猫日誌

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。海の見える家に住む60過ぎのオヤジ。熊本在住。

黄金の風景

 

今年初めての山行(五家荘)は3月2日、小雨の降る日だった。僕の山の守り神氏(本人にとっては迷惑だろうが…)から、福寿草の開花の情報が届いたのだ。九州の山地では福寿草の群生は珍しく、時期になると登山客で現地は賑わう。

 

八代市泉町・九連子(くれこ)は歴史のある集落だった。こんな山奥の谷間の地に全盛期は人口が増え、結果、土地を求め、兄妹家族は分家され山の向こうの球磨地域に移住して行った。村にある正覚寺(今は廃寺)の過去帳には、九連子の人々の詳しいルーツが記されてあったそうで、地域の民俗を研究していた僕の出身高校のN先生が過去帳の開示を求めたが断られたと残念がっていた。

 

 

僕が初めて白崩平で福寿草を見たのは2016年、そしてその帰りに雪道をさかのぼり岩宇土山に登り、帰路の途中に有名な子供を抱いたお地蔵さんを見た。このお地蔵さんは知る人ぞ知るお地蔵さんで、出会うためには相当な体力が必要な難所にある。僕はそのお地蔵さんの体に刻まれた、明治30年2月16日・久連子村の文字を読んだ。何故こんな急峻な山の中腹に子供を抱いた姿のお地蔵さんが祀られているだろうか。想像するに、正覚寺の過去帳を紐解けば多少の謎は解けたのだろう…と、つい学者気取りで思索にふけるのだけど。更に言えば久連子のお地蔵さんの表情は一般にみられるお地蔵様の顔でなく、素朴な人そのものの表情でもある。

 

 

しかし、その謎が解けたところで何になる。福寿草が咲く季節にお地蔵さんに出会い、当時への思いをはせ、手を合わせた僕だけの記憶。僕の記憶の中では福寿草とお地蔵さんは共にある。それだけでよいではないか。

 

雨の為、駐車場にも誰も居ない。朽ち果てた鳥居をくぐり、久連子神社の前に出る。古びた社殿の入口には結界が縄で編んであり、真新しい御幣が下がっている。山人の山の神様に対しての信仰心は厚い。明治時代になるまでは全国のお寺や神社は神仏混淆(習合)で同じ場所に同居しているのが一般的だった。明治政府の暴挙で強制的に神と仏は分離された。久連子踊りも念仏踊りの流れを汲むと言われ、この地に流れ着いた修験の影響を残しているのだろう。西の岩の尺間神社も修験道の流れを汲んでいる。ただ集落の奥に日露戦争で戦死された兵隊さんの像も祀られてあり、当時は仏様よりも「軍神様」の力が強かったのだろうとも思う。

 

今や集落自体が時の流れに朽ち果て、人の気配も少ない。以前、夏に久連子川でヤマメを釣り、上流へ釣上がっていると、川沿いの古民家の下では岩のくぼみにスイカやジュースが冷やしてあったが、その民家も雨戸が閉められ、誰も居ない。

 

最近、地方再生だの創生だの言い出す輩が増えて来たけど、お金が無くなるとみんなそうして騒ぎ出す。地方創生と言うのはどういう事か、僕は具体的に問いたいが、誰も答えることは出来ない。誰も答えられない事に、毎度毎度、お金をばらまくのはどういうことか。

 

小雨に洗われ、金色に輝く、透き通るうろこのような花弁。雨が降ろうが、晴れようが、誰かやってこようが、こまいが、谷間に身を寄せ、家族のように集まり、金色の花を咲かせる花たちよ。

 

お盆や仏事の時に死者の魂を鎮める為に踊られる、久連子(念仏)踊り。最近、なかなか見る機会が少なくなった。キーン、キーン、カーン、カーン、踊りの合間に強くたたかれる金色の鉦の音色は、福寿草の黄金の色と同じなのだ。

 

 

ピラミッドのある町。

 

熊本市内の事務所を閉じて、ピラミッドのある町に帰る事にした。ピラミッドはエジプトだけにあるわけではない。熊本の片田舎にもピラミッドはある…正確に言えば、ピラミッド風の建造物で「海のピラミッド」と呼ばれている。何もその地下に、王の棺が埋まっているわけではなく、掘り起こしたところで金ぴかのミイラが出て来るわけではない‥が、微かにどんより落ち着かない匂いがする。

 

地域興しのシンボルとして建設され持て余され、引き取り手もなく、その堅牢さからして、今も三角形に踏ん張っている海のピラミッド。当初はフェリーの待合所としても利用されていたのだけど、赤字航路でフェリー航路も廃路。あっという間に単なるオブジェに変わってしまった。一時期、都会の若者に貸し出され、クラブダンスの会場になったりしたが、そのイベント事業も失敗してしまった。そんなピラミッドの姿を、移転した新しい事務所から海を隔てて眺める事ができる。もはや何も期待されない、すがすがしさがある。

 

そもそも「地域興し」というのは何だろう?という「問い」がいつも僕にはある。それに投下される莫大な予算に対して、無理して「答え」を出そうとすればするほど、更にお金がかかる。実際、誰も「地域興し」の「答え」など、マジに考えたことがないから、広告代理店、企画会社の口車に乗り、イベント開催、ひと時の賑わいを地域興しなのだと勘違いして、田舎の町は寂れてきた。みんな一斉に勘違いしているから、誰を非難するわけでなく、自腹を切ってやっているわけではないので、悔やむことなく、地域興しはオヤジ達の「オツカレサマ」の一夜の酒盛りで終わる。

 

今からちょうど16年前に、僕は熊本のお茶や特産の馬油製品を通販する会社を立ち上げた。その当時、地方の零細企業が都会の大企業に対抗して生きて行くには、マンツーマンの通販事業しかないと言われた時代だった。結果、僕は田舎暮らしの非力さ、無知の哀れさを、身をもって知ることになる。

 

「さぁ、これからは通販の時代です。日本全国の人々があなたのお店のお客様になるんですよ!」と言う、東京から来たコンサルに大金を払い、月一のセミナーに通った。言い換えれば「日本全国のお店が自分の店のライバルになり、レッドオーシャンの始まり」と言う事には誰も気が付かない。「明日から、あなたのお店の商品の売り上げが2倍、3倍も売れるようになります!」と言われ、ドキドキしながらコンサル料を支払う。ところが、いつまでまっても注文がこない。朝から、しんとした静かな事務所で一人、ラジオ体操をした。初めての注文は半年経ってからだった。

 

「日本人はストーリーが大好き、苦労談が大好き」という詐欺のような講義があった。コンサルは言う「皆さんは、まず病気になり、悩み苦しみ、どん底から這い上がり、今のあなたの商品を売る、そういうストーリーを作り、ホームページに上げ、お客様に同情され、感動されファンになってもらうんです!」

 

講義の参加者はバタバタと病気になる。癌になる、商品が予期せぬトラブルに合う、不幸になりながら血のにじむ努力をする。裁判で訴えられる。地獄から這い上がる。みんな必死でストーリーを作り出す。おそらく当時の零細企業のホームページでは、社長やスタッフの病気の罹患率は相当高かったに違いない。流石にそんな馬鹿馬鹿しい講義は耐えがたく、僕はそのグループから抜け出した。

 

わざわざ、そんなストーリーをでっちあげなくても、僕の体は過労で大きく傷んでいた。通販会社とは別にもう1社、小さなデザイン会社を経営していたのだ。通販会社の損出を埋めるために年中無休で寝る間もなく仕事をした。ピラミッドの頂点を下から仰ぎ、時には知人の「地域興し」のイベントのおこぼれの仕事をもらい、モニターツアー、ツーリズム、ふっとパスを企画したり、無駄な予算をジャブジャブ使い果たした。経験者は語る…「地域興し」って何だろう。

 

この国の「地域興し」とやらは、ピラミッドの頂点からばらまかれる札束を人々が奪い合うだけのイベントなのだ。過労で倒れた僕は10時間を超える開頭手術を受けた。

 

僕がこのピラミッドの町に帰るまで、16年の月日が過ぎたのだけど、当時言われていた「地方の零細企業が唯一生き残るための通販事業」とやらは大きく様変わりした。大手企業が参入し、通販事業は零細企業の最後の望みではなくなったのだ。リアル店舗でもオンラインでも零細企業はシヤッターを降ろし、うずくまって顔をあげる事ができなくなった。

 

駅前のシャッター商店街も姿を消し、空き地にはコンビニが出来た。そこでは画一化されたマニュアルに従い、店員もお客も誰が誰だか分からなくなる。結果そのコンビニも淘汰され、その跡地は借り手のない空き地に戻った。

 

コンビニのマニュアルというのは、見方を変えれば、今の時代の校則のようなものなのだ。無機質な田舎の町は、コンビのマニュアル化された町なのだ。深夜、誰も居ない店内に一人居ると「揚げたてのから揚げが出来ました、いかがですか?」と声がかかる。その声に呼応して店内のあちこちで声がかかる。

 

最近出来た、隣町のコンビニにコーヒーを買いに立ち寄る。何やら、レジのカウンターで賑やかな声がする。

 

外国人の女性スタッフが片言の日本語でお客に声をかけている。

「あなた、仕事何してる?」弁当を手にした泥だらけの作業着の若者が少し照れて答える「配管工っす」「あー、それは大変、寒いのに良く頑張るね」「まぁ」「今日も一日頑張ってね」「ありがとうっす」彼は笑顔で店を出た。

 

杖を着いて順番を待つ老婆に声をかける「おばあさん、今日もわざわざ来てくれてありがとう」老婆が答える「あんたに声をかけられると、元気になるよ」「ほんと、寒い中来てくれて、ありがとう」「足も悪いのに、荷物持てる?」彼女は丁寧に老婆の買い物を袋に入れて持たせる「本当に気を付けてね、ありがとう」

 

いつもは冷たい店内の空気が、何か少し、温まった気がした。

24時間営業のコンビニの中の数分の出来事だった。

 

デザイン会社を休業し、通販会社に一本化する。これまで店を支えて来てくれたパート陣に別れを告げる。

 

もう、いっぺんだけ、やってみようかと思う。

僕はこのピラミッドのある町が嫌いで、都会に出たのだ。そして帰って来た。

 

この町はJRの始発駅でもあり、終着駅でもある。

 

 

京都に黒瀨勝己という詩人がいた。

 

1980年頃の京都の話。今時、詩人の黒瀨さんの事を知る人は少ないだろう。それでも、未だに僕の記憶の片隅に「黒瀨勝己」という京都の詩人が居る。最近何故か、黒瀨氏の作品を思い出すのだ。もう40年も前の事。

 

以前書いた「京都にZABO(ザボ)という喫茶店があった。」の続編のような話。

 

僕の意識のほとんどは過去の時間に満たされていて、未来の時間はほんのわずか。いつも頭の中は昔の事ばかり悔やんで思い出し、今を生きている。そんな僕にも20歳の時があったのだ。

 

僕は熊本の端っこに在る小さな港町で生まれ育った。子供の頃から人付き合いが苦手で、早く生まれた町を出たくて仕方なかった。自分の事を誰も知らない街に、出て行きたかった。

高校を出て、何とか京都の大学の二部(夜間)にもぐりこむことに成功した。学部は文学部。生活費、学費を稼ぐ為に就職した会社の終業時間は遅く、とても授業に間に合わない。夜な夜な賭けマージャンの誘いばかりで、その会社は3か月で仕事を辞めた。短期のバイトで食いつなぐ。僕は試験にも出ず、授業料も払えず、1年後、その大学から学籍を抹消された。20歳を前に、僕はリュックを背負い、自転車に乗り、学生と偽り山奥の下宿に引っ越した。無職で無色透明。何もしなければ何も起こらない。一人の部屋で体を丸め、明日の不安におびえていた。バイトがない日は、煙草を吸い天井に白いケムリを吐き、文庫本を読んだ。自分にイラつき、焦り、悶える日々。学生でもないのにふらり立ち寄った大学の学生会館に文芸サークルというクラブがあり、ドアをノックした。そこで出会った人達から、黒瀨さんの存在を教えてもらった。寺町の三月書房で「幻灯機のなかで」「ラムネの日から」という2冊組の詩集を買う。

 

当時の京都はバブルの真っ最中で、夜の繁華街は細い路地まで人であふれ、夜な夜な酔っ払いの歌声で通りは満たされていた。先輩に連れていかれたのが「富士」という居酒屋で、ドアを開けると煙草の煙でもうもうと白くかすんだ店内で、文学談義が交わされていた。カウンターには山盛りの料理がいくつも並べてあり、その皿からオーダーされたものは小皿に分けられ、お客の頭の上を飛び交う。怒鳴るような声で話さないとお互いの声が聞き取れない。先輩の一人は優秀な成績で大学を卒業する前日に、自分で大学を退学されたそうだ。(その理由は分からない)その先輩から、僕の詩は「唾棄すべき詩」だと酷評された。確かに、ジャズ喫茶の暗がりで腕を組んで、如何にも悩み苦しむポーズをとる、一見上手そうにも読めるが、肝心の伝える感情がない、薄っぺらい「唾棄すべき詩」だった。

 

当時の京都には「のっぽとちび」という詩人(同人)の集まりがあり、その合評会にも黒瀨氏がくるという話を聞いたが、結果、僕が黒瀨氏の本を買ったのは黒瀨氏が自死された後の事だった。その本を買ってからおよそ、45年近く黒瀨氏の詩集はシミだらけで僕の本棚の奥にある。黒瀨氏の詩のスタイルは日常の中で感じ取る、自分の感覚を詩にした内容と、ストーリー性のある、幻想的な世界を表わした詩のスタイルの二つがあった。

 

いくら有名な詩人の詩でも、自分の感覚に合う合わない詩があるのは当然だけど、スマートで一般受けのする有名な詩人の詩(例えば、谷川俊太郎)より、時に未完成、日常の中で少し違和感を感じる、その感情その一瞬を書いた黒瀨氏の生暖かい詩が僕は好きだ。

 

黒瀨氏と会った事もない、話した事もない自分だけど、僕の記憶の中の居酒屋富士で、煙草の煙る騒がしい店内で、いつか僕は黒瀨氏に会えるような気がしていた。

 

記憶の暗いトンネルを、とぼとぼと歩いて行くと、居酒屋富士の玄関の灯りが見える。会えたにしても、お互い何も話をせずに、ただ、うつむいて煙草を吸っている気がする。僕の背中で(もうとっくに、顔も名前も忘れた)先輩の声がする。君の詩は唾棄すべき詩だと。

 

僕は記憶の中で、黒瀨氏と20歳の頃の自分と再会した。2人にさよならが言えずに、僕はまだ、居酒屋の椅子を温め続けている。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「ラムネの日」 黒瀨勝己

 

ラムネを買いに行ったまま

帰ってこない いもうとが

ぼくにはたしかにあり

あれは よその子を預かっていたんだよ

と いいはる母親も

どこかの母親みたいで

 

夢でもみたんだよ 夢でも

と 母親はいうが

 

そんなはずはないよ

にわかに暗くなってきた部屋で

算数の宿題をしていたことだって

おぼえているのだし

 

けれどいつまでたっても

いもうとは帰ってこず

そのうち 母親も死に

 

いまではその名も

その顔立ちも

わすれてしまってはいるが

縁日に 赤い兵児帯をしめてはしゃいでいた

うしろすがただけが

いつまでも鮮やかで

 

今年の夏まつり

四歳の娘に浴衣を着せ

つれていった縁日で

娘ははじめてみたラムネを欲しがり

思わずぼくは娘の手を握りしめ

 

不器用にラムネを飲んでいる

娘をみているうちに

 

いもうととは この娘のことだったのか

この娘がいもうとなのか わからなくなり

 

こころみに

―――さよなら

と いってみると

その女の子もぼくをじつと見て

―――さよなら

と こたえ

それが

ぼくらのほんとのわかれのようにみえ

 

詩集「ラムネの日から」 

 

80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」

 

12月27日付けの毎日新聞1面のタイトル。全国紙なので、当然国会やら外交などの硬めの記事が多いけど、時に極めて個人的なニュースを記事にしてくる。突然、ユニークな変化球が飛んで来る。(この出会いが新聞の良さなんだな)

 

80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」という衝撃的なタイトルの記事は、長野県上田市に住むアルツハイマー型認知症の女性Sさん(記事では実名)のインタビュー記事や、活動の紹介だった。Sさんは6年前に認知症に診断されたけど、おしゃべり好きで、認知症が集まるカフェ、子供食堂のボランティアなどの地域活動にもたくさん参加されている。

 

Sさん曰く「すぐ忘れちゃうからね、毎日が新鮮、それが認知症のいいところ」

彼女はもともと20年前から地域の仲間と認知症についての勉強会に参加して、自分が「認知症」に診断されたと仲間に打ち明けた時、仲間からは差別も偏見もなく「いずれ自分たちもなる」と受けいれられたそうだ。

 

僕のおじさん達もひどい認知症だった。家に閉じ込められ、おばさんの目を盗んで縁側の戸を開け、脱走。裏の竹林で筍、掘っていたり、徘徊し、コンビニで保護されたり。亡くなった後で聞く話は笑い話だけど、家族は大変だったろうと思う。

 

認知症については、脳の障がいが原因なので個人差が激しく、いろいろなパターンがあるのだろう。みんながみんな、Sさんのようには行かないのは当然の事で、まったく一人一人の発症後の事は分からない。認知症になるまでに「自分が発症したらどうなるか?」余りに不安だらけで怯えていれば、その前に精神的な病に陥るかもしれない。但し、Sさんの例を参考にすれば、発症するまでの環境(それまで社交的、おしゃべり好き)も症状に影響するのだろう。

 

「忘れちゃうけど毎日新鮮」というフレーズは、そんな恐怖心、猜疑心を和らげる、魔法のフレーズのように僕には聞こえた。

 

と、言うのも昨年の夏、どうも記憶が変だぞ…と気になり、隣の街の認知症専門の病院に検査に行った。家人からは、誰しも歳を取ると同じ症状がでるからそこまで、しなくてもいいと言われたけど。(診察を予約したはずの病院を早速間違え、受付で呆然自失)。みっちり2日に分けて認知症の検査を受け、結果は問題なしだった、がしかし…、一緒に脳のCTを撮った時に、脳にちょっとした異変が見つかった。上からどんどん脳の輪切りの灰色の画像が変化していく中で、黒いどんよりとした影がはっきり映る。これは6年目前にクモ膜下のクリッピング手術を受けた時の脳のダメージと言う事で、クリップの周辺の脳にはっきりと灰色の影が映っていた。そして記憶を司る、海馬の画像。海馬は基本、左右同じ形なのだけど、僕の場合は形が違う。海馬の機能が認知症にも大きな影響を与えるらしい。ここ数年の僕の記憶の欠落の原因はこんなところにあったのかもしれない。

 

今年の秋に2度目目のCT検査を受ける。検査と合わせて認知症の検査もあった。どんどん間を置かずに質問してくる看護師の返答に焦る。ちょっとしたパニックで頭の働きが上手くいかない。診察日の日時、先生の名前、病院の名前…全部間違う。100から7を順番に引いて行ってください…これも答えられない。

 

ただ、診察の結果は問題なし…だった。日常生活には問題ないので無理をせずに暮らしていきましょう…と言われた。認知症と認められるには、もっと大きな症状が出ないと、認知症と診断されないわけなのだ…言い方を変えれば「気が付いたら認知症」の人でしか認知症ではないのだ。一旦、認知症になれば、正常な状態には回復しないのだけど。物忘れ…と認知症の中間に、行ったり来たりの中間点があるらしい。つまり僕のポジションは中間点。

 

ミスをしないように、日々を恐る恐る暮らす。ミスをしたことすら気が付かない。時間がかかる。相手の言う事が即座に理解できない。物事についての感覚が鈍る。そんな一年だったが、自然には癒される。林道を歩いていて頭上から聞こえる鳥の声に安堵する。足元に咲く、山野草の姿にも生気をもらう。写真のおかげで、細く伸びて途切れそうな触覚が揺れる。暮らしの中でも6匹の猫に刺激をもらう。彼らと同じ地平で生活している気がする。

 

ミスをしないように…と思ってもミスをするのだから仕方ない。(自分の都合の良いように考えると)すべて初めての事だからミスをしても仕方ないのだと思うようになった。最初から上手くいくはずはない。起床して自分に起こるすべての事は、自分にとって初めての事。新鮮な出来事なのだ。

 

そんな日々の中で目に留まったのが新聞の、80歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」と言う記事だった。12月30日は僕の65歳の誕生日。つまり65歳「忘れちゃうけど毎日新鮮」となる。

 

毎日新鮮と言うのは、毎日出会いと、別れがある事。

出会いのときめき、別れの寂しさ。

今日、あなたと出会い、明日、あなたと別れる。

 

今年は10回しか、山に行けなかった。天候や災害の影響もある。冬になると、チエーンを巻き雪道を走り、凍り付く滝や樹氷の写真を撮り行ったが、今は行けない。今年1年の最後の写真を探していると、秋に撮った紅葉の写真があった。

 

赤い葉、黄色い葉、尖った葉、丸い葉、長い葉…

一枚、一枚の記憶の葉が折り重なっている写真があった。

 

森の小鳥たちよ、ありがとう。

そして、さようなら。

 

 

「口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読む。


「口の立つやつが勝つってことでいいのか」(青土社・著者・頭木弘樹)を読む。

今、全国では小さな書店の開店ブームらしい。「ブーム」というのは一過性のもので、商売は大変、どんな店でも開店して3年以上は踏ん張らないとなぁと思う。「ブーム」というのはマスコミにとっては格好のエサで、どこかで聞いた話をどこかで聞いたような記事にすればラクチン。「頑張れ、若者!チャレンジ精神!金はださないが口はだす」これでネット、テレビのニュースにも露出することが出来てお役御免。3年後の事なんて知ったことではない。

 

熊本・天草市にある「本屋と活版印刷所」は2019年の開店から5年経過、きっちり根付いている。僕の自宅から海を眺めながら車で約1時間。熊本市内に行くのと同じ時間なのだ。(本屋に行くのに1時間かかるって…田舎では仕方ないのだ)

 

店主は小さな出版社「ミシマ社」の大ファンで、熊本県内での「ミシマ社」の本の品ぞろえは一番だ。そんな本屋で青土社の本を買うのも少し不義理なのだけど(苦笑)。小さな本屋の良いところは、買い手の志向に合わせていろいろな本を紹介してくれるところ。悩めるおじさんの心を癒す処方箋的な本を勧めてくれるのだ。店主が勧めてくれたのは「歴史の屑拾い」(講談社・著者・藤原辰史)…全然ミシマ社の本ではないがけど…しかもお店では扱いがない本で、自分が読んで感動した本だからと勧めてくれた。なんて人がいいのか、親切なのか。結果、買ったのが「口の立つやつが勝つってことでいいのか」(青土社・著者・頭木弘樹)と、哲学者・池田晶子を紹介した本だった。

 

「口の立つやつが勝つってことでいいのか」の著者、頭木弘樹氏はNHKの深夜ラジオ、絶望名言と言う番組で知った。ついこの前、大竹まことのラジオ番組にもゲストで出ていた。本の内容はタイトルのまま。「口の立つやつが勝つってことでいいのか?」と言う問いに「口の立つやつが勝つってことではよくない」という頭木氏の考えがまとめてある。

 

テレビ、ネットでは本当に「口の立つやつが」のさばっている。政治屋崩れ、評論家崩れ、芸能人崩れ、お笑い崩れ、芸人崩れ、ヘイト認定者崩れ、商業保守屋崩れ、経済評論家崩れ…こんだけ、口のとんがっている俗物が生息できるのも驚きで、スマホのふたを開けると「崩れ」どもがなだれ崩れてくる。コスパ重視、タイパ重視の彼らは相手の話を聞かずに自分の言いたいことを言うだけ、電源を切ったらスマホの中にプツリ消えて行く。奴らは疲れを知らない。出来の悪いAIの複製のように、口の立つ口で、繰り返しデマを拡散し人々の心の中に暗い無数の穴をひたすら掘り続けている。大きな穴、小さな穴…足の踏み場もない。

 

 

頭木さんはそんなに話がうまくない。だから本を書くのだ。口は立たずに口ごもり、もたもた考えながら話す。その、もたもと、もつれ具合をお互いほぐし合いながら話すのが本当の会話であり、時にその中で、これまでになかった発見があるはずなのだ。

 

聞くに、小説などの文学賞の応募が近年増えて来たとの事。コロナがきっかけか、本を読む人が増え、時代の不安感から何かを表現したい人も増えてきたのだろう。毎日の悩ましさへの答えは、自分との対話、他者との対話から何か「解」が産まれてくるものだとみんな信じたいのだ。

 

天草の店主曰く、今の若い子(多分高校生)は、時代にとても敏感で将来に不安感があると言う。そりゃそうだろう、パレスティナでは今でもジェノサイドが続き、誰も止めようがない。大国が営利目的で弾薬を送り、罪のない人を殺しているのだ。クリスマスにどんな意味があるのか?

 

いゃいや、今の老人(つまり僕の事)も、若い子に負けず、時代に不安感があるのです。すでにカウントダウンが始まっている予感。「口の立つ奴」が掘り続けた無数の穴のおかげで、以前は多少潤いのあった僕の感受性もカラカラに乾いてしまった。

 

先日亡くなった、谷川俊太郎の詩の良さが僕には全然分からない。分からない…と言うのは氏の詩作の作意の波長が、僕の感性に合わないという意味。ただ、谷川氏は天才詩人・金子光晴が大好きで生前は時に金子光晴のような服を着ていたらしい。

 

金子光晴の詩を読むと、乾いた自分の感性に、一気に水があふれだすような感覚にとらわれる。とめどなく、あふれ出す水の流れ。金子が旅した旅の景色はすでに消えたのだけど。

不安な心に潤いを与えてくれるのは、詩の世界なのかもしれないと、ふと思った。

 

 

」(青土社・著者・頭木弘樹)を読む。

今、全国では小さな書店の開店ブームらしい。「ブーム」というのは一過性のもので、商売は大変、どんな店でも開店して3年以上は踏ん張らないとなぁと思う。「ブーム」というのはマスコミにとっては格好のエサで、どこかで聞いた話をどこかで聞いたような記事にすればラクチン。「頑張れ、若者!チャレンジ精神!金はださないが口はだす」これでネット、テレビのニュースにも露出することが出来てお役御免。3年後の事なんて知ったことではない。

 

熊本・天草市にある「本屋と活版印刷所」は2019年の開店から5年経過、きっちり根付いている。僕の自宅から海を眺めながら車で約1時間。熊本市内に行くのと同じ時間なのだ。(本屋に行くのに1時間かかるって…田舎では仕方ないのだ)

 

店主は小さな出版社「ミシマ社」の大ファンで、熊本県内での「ミシマ社」の本の品ぞろえは一番だ。そんな本屋で青土社の本を買うのも少し不義理なのだけど(苦笑)。小さな本屋の良いところは、買い手の志向に合わせていろいろな本を紹介してくれるところ。悩めるおじさんの心を癒す処方箋的な本を勧めてくれるのだ。店主が勧めてくれたのは「歴史の屑拾い」(講談社・著者・藤原辰史)…全然ミシマ社の本ではないのだけど…しかもお店では扱いがない本で、自分が読んで感動した本だからと勧めてくれた。なんて人がいいのか、親切な人なのか。結果、買ったのが「口の立つやつが勝つってことでいいのか」(青土社・著者・頭木弘樹)と、哲学者・池田晶子を紹介した本だった。

 

「口の立つやつが勝つってことでいいのか」の著者、頭木弘樹氏はNHKの深夜ラジオ、絶望名言と言う番組で知った。ついこの前、大竹まことのラジオ番組にもゲストで出ていた。本の内容はタイトルのまま。「口の立つやつが勝つってことでいいのか?」と言う問いに「口の立つやつが勝つってことではよくない」という頭木氏の考えがまとめてある。

 

テレビ、ネットでは本当に「口の立つやつが」のさばっている。政治屋崩れ、評論家崩れ、芸能人崩れ、お笑い崩れ、芸人崩れ、ヘイト認定者崩れ、商業保守屋崩れ、経済評論家崩れ…こんだけ、口のとんがっている俗物が生息できるのも驚きで、スマホのふたを開けると「崩れ」どもがなだれ崩れてくる。コスパ重視、タイパ重視の彼らは相手の話を聞かずに自分の言いたいことを言うだけ、電源を切ったらスマホの中にプツリ消えて行く。奴らは疲れを知らない。出来の悪いAIの複製のように、口の立つ口で、繰り返しデマを拡散し人々の心の中に暗い無数の穴をひたすら掘り続けている。大きな穴、小さな穴…足の踏み場もない。

 

頭木さんはそんなに話がうまくない。だから本を書くのだ。口は立たずに口ごもり、もたもた考えながら話す。その、もたもと、もつれ具合をお互いほぐし合いながら話すのが本当の会話であり、時にその中で、これまでになかった発見があるはずなのだ。

 

聞くに、小説などの文学賞の応募が近年増えて来たとの事。コロナがきっかけか、本を読む人が増え、時代の不安感から何かを表現したい人も増えてきたのだろう。毎日の悩ましさへの答えは、自分との対話、他者との対話から何か「解」が産まれてくるものだとみんな信じたいのだ。

 

天草の店主曰く、今の若い子(多分高校生)は、時代にとても敏感で将来に不安感があると言う。そりゃそうだろう、パレスティナでは今でもジェノサイドが続き、誰も止めようがない。大国が営利目的で弾薬を送り、罪のない人を殺しているのだ。クリスマスにどんな意味があるのか?

 

いゃいや、今の老人(つまり僕の事)も、若い子に負けず、時代に不安感があるのです。すでにカウントダウンが始まっている予感。「口の立つ奴」が掘り続けた無数の穴のおかげで、以前は多少潤いのあった僕の感受性もカラカラに乾いてしまった。

 

先日亡くなった、谷川俊太郎の詩の良さが僕には全然分からない。分からない…と言うのは氏の詩作の作意の波長が、僕の感性に合わないという意味。ただ、谷川氏は天才詩人・金子光晴が大好きで生前は時に金子光晴のような服を着ていたらしい。

 

金子光晴の詩を読むと、乾いた自分の感性に、一気に水があふれだすような感覚にとらわれる。とめどなく、あふれ出す水の流れ。金子が旅した旅の景色はすでに消えたのだけど。不安な心に潤いを与えてくれるのは、詩の世界なのかもしれないと、ふと思った。

 

 

「中学生から知りたいパレスティナのこと」を読む。

 

話題の本「中学生から知りたいパレスティナのこと」を読んだ。いゃ、過去形にしたらいかんので、読んでいる…とする。著者は岡真理さん、小山哲さん、藤原辰史さん…いずれも学者、専門家なのだ。出版社はミシマ社。本来ならパレスティナの問題については大手の出版社が本を発行してもよさそうなもんなのに、なぜ、沈黙を守るのか疑問なのだけど、よくぞミシマ社が頑張ってくれたと思う。もう1年以上、ジェノサイドが続けられているのに日本の名のある作家先生、出版社が何故、無言を貫くのか、残念というか呆れてしまう。表現しない自由ですか。新聞 (産経・読売は除外) やNHKはまだましな方。

2024年は最悪、最凶の1年だった。僕もいい年だし、持病もあるので寿命もそんなに長くはないのだが、まさか自分が生きている時間に数万を超える人々が殺害されている世界がやって来るとは思わなかった。折角だからブログに自分の気持ちを書く事にした。もちろん、アフリカ、ミャンマー、シリアの地域でもジェノサイドが起こっているのだけど、パレスティナのように、無実の人々を井戸の底に押し込んで逃げ場を失くし、その人々の頭上に繰り返し爆弾を降り注ぐ残虐性はない。更にその井戸の上から爆弾を落とすイスラエルに爆弾を補給する欧米人の鉄のような差別意識には寒気を覚える。

僕のスマホの写真画像には死者の写真が、数えきれない程保存されている。僕が死んだとき、遺族はスマホの写真を見たらぞっとするだろう。SNSのおかげで、パレスティナで何が行われているか、日々、リアルタイムで戦場の景色が送信されてくるのだ。日本のマスコミは何人殺されようが、アナウンサーの10秒にも満たないコメントで終わる。つまり現地で何が起こっているのかは誰も知らないまま、知らされないまま、チャンネルを変えるのだ。ジェノサイドで殺される人々の声が、コマーシャルでさっとかき消される。

最近使われ始めた「オールドメディア」という呼称されるマスコミより、新しいSNSなどのメディアでは死がすぐそこにある。目の前に死者の動画が分単位で送られてくる。デマを拡散するだけの評論家のコメントより、その画像を見て自分がどう感じるか問われ続けるのだ。訳知り顔で論評なんて誰もできやしない。

瓦礫の下で子供をかばいながら白い灰にまみれてなくなる母親と幼子。飢えに苦しみながら長い行列に鍋を手に持ち並ぶ子供たち。PRESSと大きく書かれた防弾チョッキを着て報道する記者の胸に、イスラエルの狙撃兵の「いつでもお前を殺すことが出来る」と青いレーザーポイントが揺れる。顔半分が吹き飛ばされた子供の死体。国連の銃弾の穴だらけの車。狙われ狙撃された医師の死体が白い布に巻かれ、並べられている。目隠しをされ、両腕をくくられビルの屋上から蹴落とされる住人の死体。つい最近では、イスラエルのジェノサイドの記録映画を撮影していた映画監督がガザではなく、フランスのマルセイユで暗殺された。これこそ世界の報道機関が取り上げるべき大ニュースなのだが日本のオールドメディアで報道されたか?

イスラエル兵はそんな行為が楽しくて仕方ないらしい。押し入った民家で女性の下着を身にまとい記念撮影をする殺人チーム。子供たちを何人殺したかを競い合い、ダンスを踊る若い女性の兵隊のチーム。先祖代々、開墾したオリーブ畑を焼き払い、老人の抗議を突き飛ばし、ブルドーザーで整地する兵士…。食糧支援物資を積んだトラックを砲撃し、人々を飢えに追いやる彼らは第二次世界大戦で、ナチスドイツのホロコーストで生き延びた人々の子孫だそうだが、それは大嘘だろう。嘘でなければ自分の先祖がやられたことを、見ず知らずの他人に行うことなんてできるはずはない。待ち望んだ食糧の中の砂糖の袋に砂を入れた奴は誰だ?

イスラエルを支援する欧米人はオリンピックの競技、大リーグの試合にお金を賭け、狂喜し、肉を頬張ばり、酒をあおり、歓声を上げる。全て同時進行、同じ時が地球の上で進んでいった。奴らは心底有色人種が嫌いらしい。

「中学生から知りたいパレスティナのこと」によれば、戦争により影響を受けるのは戦場どころか、世界の農産物市場でもあり、その作物の出来不出来で投資する人々は一喜一憂する。アメリカの民間での最大農地所有者はウィンドウズの開発者、ビルゲイツと言う事に驚く。彼は巨大な土地の不在地主なのだ。ビルゲイツに続けと、世界中の金持ちは戦争を金儲けの機会として投資し利ザヤを稼ぐ。世界の貧しい人々は新しい奴隷制により、生かされたり殺されたりしている事をこの本で知る。

僕の意識は錯綜、混迷している。ジェノサイドが終わった時、ジェノサイド実行した兵士はもちろん、その行為を支持したイスラエルの国民の一人一人は処罰されるのだろうか?イスラエルのスパイ機関「モサド」は第二次世界大戦が終わった後、ナチスの幹部を追い続け、アルゼンチンで身を潜めて暮らしていたところを拉致し、裁判にかけ絞首刑にした。今回、立場は真逆で、国際司法裁判所が彼らを追い詰め、裁判にかけるとして、誰がどう処罰するのだろうか?その殺人者を後方支援した欧米人の罪は問われるのだろうか。そもそも罰を与えた事で、確信犯の彼らの考え方は変わるのか。きれいごとを言うが、彼らの犯罪は、彼ら自身で裁かれるしかないのだ。

僕のブログなんて誰も読みはしないだろうが、せめて日本国内に居るデマ拡散者、イスラエル支援者を「口撃」したい。タレント評論家どものタチは悪い。彼らのデマの間にも支援は遅れ、人々は死んでいく。佐藤優、宮家邦彦…元外交官(現役時はさぞ有能だったんだろね)とやらの二人組…いったい彼らはどんな意図があり、デマを流すのか?パレスティナのニュースの前に必ず「ハマスのテロ」と言うフレーズで、デマを流す。「ハマスはテロ」ではなく彼らはイスラエルの長年の圧政、ジェノサイドに抵抗しただけなのだ。2023年10月のハマスの抵抗時にイスラエルの赤ん坊が殺されたとか、オーブンで焼いた、性暴力があったと言うのは、遺体収容にあたった民間ボランティアの虚偽の証言というのが判明している。このやり口は、過去に大量破壊兵器があるとして2003年にアメリカがイラクで起こしたイラク戦争のやり方と同じやり口で、同じやり方でアメリカは何万人も人を殺し国を破壊してきた。佐藤優は口ごもりながらもいつも最初に「ハマスのテロがきっかけ」と言う。元外交官なら、そうではない事は分かっているはずなのに、そういう発言を意図的にする。宮家邦彦は「パレスティナ」は国家として承認されていないと発言するが、2024年で国連加盟国193 の中で145の国が国家として承認しているではないか。承認していないのは欧米と日本の差別国家48か国。国家としてみなされていないのならジェノサイドが許可されるとでもいうのだろうかね。

この本を読んだ中学生の子供らは死ぬまで悩み、考え続ける事になるのだろう。救いのない世界の仕組みについて、この本を読んでいる僕も、死ぬまで悩み考え続ける事になる。

みんなの意識も混迷している、どうしていいか分からない。とりあえず、デモに加わる、スタンディングして抗議を続ける。今の若者の方が、したり顔の大人よりはるかに、理知的でまっとうじゃないか。「戦争を止めろ、人を殺すな」とボードを持って抗議する。天草でスタンディングしている人が居るらしいので、会いに行こうと思う。

世界は闇だ。