面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

熊本県知事選挙 得票差 95,260票

 

どうも悪い癖がついてしもたな。
ヒマな時についスマホのニュースを見てしまうのだ。僕のような壊れた頭の持ち主より、遥かに賢いAIは一旦、検索したにニュースに、そのニュースに関係のあるニュースが付いて離れない。最近で言えば、アメリカの野球選手の通訳の違法賭博事件なのだ。もう、うんざりなのだが、どこまでもついてまわるAI君。スクロールしても、延々とその事件が付きまとう。スマホを見ている以上、熊本県知事選の話題などほとんど出てこない。

僕は、投資やばくちに負けた人には同情しない。いくら甘い汁に誘われ騙されたにしても、儲け話に飛びついたあんたが悪いのよ。1000万騙されたのなら、これまでわずか10万でも寄付したことがありますか?と聞きたい。大体、そういう人物はお金に汚いどころか、他にも汚いところがあるのだ。今は「彼は善人なのに何故?あんないい人が何故?」という擁護論(朝、TBSのバカアナウンサーがなき声だった)があふれる中、時間が経つにつれ、その仮面は剥がされて行くのだ。(テレビ局は視聴率が稼げればよいのだ)

世間の本当の姿は、スマホで表示されるニュースではない。
僕が愛読する全国紙「毎日新聞」の1面は

3月21日「香港国安条例が成立」…中国の悪口言う人は捕まえるという条例
3月22日「ガザ市民を拷問か」…イスラエルホロコーストナチスと同罪
3月23日「水俣病救済 熊本は棄却」…熊本県による、水俣病患者の棄民化

こんな世界的なニュースがスマホニュースではほとんど報道されずに、アメリカの野球賭博事件ばかりが報道されるのだ。(通訳だけでも早く、逮捕すればいいのに)

僕にとって、3月25日の最大ニュースは「熊本県知事選挙で自民党の候補者が当選」したというニュース。

どう考えたって新県知事は自民党推薦ではなく自民党100% 候補者なのだけど。自民党の広報版にポスターが貼られ自民党選挙カーが彼の名を呼ぶ。県内の市長村長、議員の支援の岩盤組織戦。どこが無所属なもんかい。彼は中央(自民党)とのパイプ、パイプと叫んでいたではないか。

投票日前日、近所に住む婆さんが、我が老母を訪ねてきた。選挙の度にやって来る。そのお婆さんは熱心な某宗教の信者なのだ。長い間、玄関先で、その宗教と合体した公明党の候補者、推薦者への投票をお願いしに来る。今回はヤマザキの食パンを持ってきた。昔は聖教新聞まで購読を無理に依頼してきた。(3か月だけでも!)

今回の熊本県知事選挙の得票数 投票率49.63%
◆木村敬(自民党・新人) ※自称・自民党推薦383,010票 
幸山政史 ※無所属・新人 287,750票

その得票差 95,260票 

この得票の中に、利権欲しさの岩盤組織票に加え、熱心な某宗教の信者さんの票がどのくらい含まれているのだろうか。その信者さんは、去年から一昨年にかけての統一教会の騒ぎをもう忘れてしまったのか。自民党は2枚舌でオタクらのライバル教団と、がっちりタッグを組んでいたのではないか?なんと寛容な宗教の教えなのだろう。信じ込むのをやめて、少しでも考える力があれば、得票差9万が、5万くらいになり接戦だったのだろうと、残念なんだなぁ。※熊本での聖教新聞の発行部数は約4万部(昔は公表されていた。嘘の部数だろうけど)

土砂降りの投票日の朝、ぼくはそのお婆さんがくれた、ヤマザキの食パン(なんか湿気て、ひなびていた…)にブルーベリージャムを塗って食べて僕は投票に行った。

よりそうふりして、引き延ばし突き飛ばす、カバ (終わらない水俣病)

よりそうふりして、引き延ばし、突き飛ばす、カバ(熊本県知事) 終わらない水俣病

 

水俣病が公式確認されたのが、1956年5月1日。(今から68年前) 国の公害病認定は68年9月。その後の裁判で被害を拡大させた国や熊本県の責任も確定した。裁判が終わらない限り、国も熊本県は今も加害者犯罪者。

不知火海は対岸の天草の島々を広く取り囲み、大きな円を描いている。もちろんお隣の鹿児島の出水市の海域も含まれる。つまり誰でも分かることだけど、有害な水銀を含んだ魚介類は大きな不知火海のエリアを回遊し、そのエリアで高濃度の水銀を含んだ魚をみんな食べて水俣病を発症したのだ。

嗚呼、それなのにその沿岸、全域の人々の水俣病か否かの健康診断を今も熊本県は実施していない。診断や補償するのは、国や県が決めたエリアの人たちだけ。その線引きから外れた地域の人の診断も補償も一切されていない。これ以上の補償額は払いたくありません。きっとあんたたちの手足のしびれは老衰から。(死ぬまで待ちます)というのが、冷酷な加害者、我が日本国と熊本県。だって全県調査したらとんでもない人数を、とんでもない金額で補償せないかんし、国は財政難だしアメリカのロケット買わないかんし。

判決が下る日の朝、熊本のNHKの朝のニュースでは、対象エリア外に住む女性が若くして、手足のしびれに悩まされ、見るからに水俣病の症状を表わしているのに、国や県は補償も何もしてこなかった。「今回の裁判はぜひ勝訴したかです」と呟いていた。彼女の向こうには、どんより曇った不知火海が広がっている。我が港町も対象のエリア外で、僕が中学の頃、突然、家の裏に住む漁師のお婆さんも足を引きずり路地を歩いていた。

更に、水俣病の診断のエリアは同じ水俣市でも山間部のエリアは対象外。都会の人は想像できないだろけど、昔は漁師さんが木箱に魚を入れて山間部まで魚を行商していた。山間に住む人が水俣病の症状を訴えても、行政の役人は「魚を食べた証拠に、その時の領収書を出せと」言い返したそうだ。(ここまで冷血な話は聞いた事がない)

去年の大阪地裁の判決では、国と県に「あんたら、ええ加減にせえ、水俣病で苦しむ人を早く救済せぇ」と言う妥当な判決だった。判決後、水俣病に苦しむ患者の人たちは熊本県庁に向かいカバ(熊本県知事)に面会を申し込み、控訴しないように訴えたが、カバ(熊本県知事)は無視、門前払いした。

カバ(熊本県知事)は、16年前、県知事選に立候補する時に水俣病で苦しむ人に「よりそい」、県政を担いたいと発言して熊本県知事に当選した。ところがカバは水俣病で苦しむ人を、よりそう(公約ではなかったのか?) ふりして、引き延ばし、暗い海に突き飛ばしたうえ、県知事を退任するのだ。

原一夫監督 ドキュメンタリー映画 「水俣曼荼羅」の1シーンで支援者の弁護士の問いにカバは、「私は法定受託事務執行官であります。判断基準は国が示します…」要するに、私は国の言いなりの歯車ですと、くどくど答えるシーンがある。(質問した弁護士は、そんなこたぁ、あんたに言われんでも、分かっている、あんたの気持ちを答えろと言っているのだ…)

こうして、ブログを書いているうちに、熊本地裁水俣病の訴訟団、原告全員の訴えを棄却したというニュースが飛び込んできた。その判決についてもカバはまともな返答をしなかった。なにしろ県知事選で弟子が苦戦中なのだ。水俣病どころではない。

沖縄の玉木知事を見てみろ。堂々と国に向かってアメリカの基地はいらんと抵抗しているではないか。国が何と言おうとも「今も水俣病で苦しむ人全員を最新の医療技術で診断、治療、補償します」の一言をカバは言えばいいのだ。

去年の秋、福岡で開催された水俣展を見に行った。ある展示コーナーで、当時のニュースの画像が延々と流されていた。当時の厚生大臣の園田直(熊本県選出)が、病院で重度の水俣病の患者をお見舞いする時の画像だった。おそらく30代くらいの女性患者がベットの上で体を、くねらせ、のたうちまわり、跳ね上がろうとし、押さえつけられ、首を曲げ、厚生大臣の前で突然「君が代」を歌い出した。かすれる声、音程の外れた「君が代」が病室、廊下の奥まで響く。園田大臣は急ぎ足で、その病室を去った。

歌う彼女は大臣ではなく、天皇が来たと勘違いしたのかもしれない。その画像は熊本のテレビ局の画像なのだろうか?悲しいかな、今の熊本の民放でまともに水俣病を扱うテレビ局はない。(不味いラーメン屋を紹介する番組は腐るほどあるが) 救いなのは NHKだけが、踏ん張って水俣病の特集を報道している。

嗚呼、今日(3月24日) 開票の熊本県知事選挙の結果はどうなるのだろう。もしカバの弟子の候補が当選したら、国の言う事しか聞かない歯車がまたひとつカチリと交換され、ギリギリと動き出すのだろうなぁ。その歯車が患者の首を静かに絞めつけ、苦しめ続ける。水俣病については国も県も加害者なのだ。その立ち位置忘れたら、いくらきれいごとを言っても、新知事もただの歯車の1枚に過ぎないのだ。

バラまきは増税のもと。熊本県知事選。

 

バラまきは増税のもと。

 

散歩中に見た、ある政党のポスターのキャッチコピー。なかなか良いではないか。

時々、僕の事務所に某宗教から本が勝手に送付されてくるのだけど、なかなかやるではないか。その団体が運営する政党のポスターのコピーなのだ。

 

熊本県知事選挙投票日まであと少し。我が自民党。前回までは「一心不乱」…いゃ「一心腐乱」したままなのだが、今回は、朱色の統一された色合いののぼりに「くまもと新時代…ともに未来へ」と書かれてある、なんとも「ダサい」のぼりが春風にひるがえる。このコピーは意味不明。「一心腐乱」の方がまだ分かりやすかったぞ。想像するに、もともとのコピーの原案に、裏金事件に追い詰められたじい様たちが、ああだ、こうだと意見を言い合い、あいまいで焦点のボケたコピーに決まったのだ、多分。

 

そんな意味不明ののぼりが僕の住む小さな町にもはためき出した。小さな味噌、醬油屋にも。ああ、商工会も助成金でいつもお世話になりますからね。中央とのパイプが売りの候補者。この人に頼めば、投票すれば、中央から特別に我が町にも天から補助金が降りてきますと自民党信者はそう信じ込まされている。

 

今回の候補者、自民党推薦と言いながら、選挙の公示前から、自民党の広報看板にでかでかと顔写真が載り、これはつんのめり、フラィング、反則技でなないかと思うのだ。彼は自民党の候補者そのものではないか。退任するカバ(蒲島知事)も自民党推薦といいながら、前後左右にびっちり自民党の県議、国会議員その他、大勢が脇を固め利権を守り抜いていたではないかいな。今、緑の自民党選挙カーに乗って手を振る候補者は自民党の候補者ではないか。

 

何十年も前から続いてきた、地方は公共工事がないとやっていけないという議論。今も、偉そうに開き直る土建屋がNHKでインタビューする記者に怒鳴っていた。これが相も変らぬ、岩盤保守層のおじい様の姿か。怒鳴るだけ、怒るだけ、脅すだけのあなた達のツケが我らに回ってきました。

 

昔の思い出だけど、ある観光協会の総会で、ひなビタある温泉街の振興予算について「こんな予算ではやってはいけん!」と叫ぶ、温泉協会のじい様がいて、その横暴ぶりに腹を立てた役所の責任者が「まず自分たちで振興案を考えて下さい、それでも予算が足らないと言うなら話は分かります」と言い返したら、いつのまにかその担当者は飛ばされて居なくなった。観光協会とやらもじい様たち(ばあ様、はほとんどいない)の利権の塊で、岩盤保守層の塊なのだ。ま、こんな話は、僕が言わなくても掃いて捨てるほどありますが。

 

最近は、無駄な農免道路は作り尽くしたし…おかげで道に迷うのだ…今度はいよいよ、八代から天草まで海をまたいで橋を架けろといいだす沿岸の市長、町長、議員ども。何兆円かかるねん。過疎地から過疎地に橋をかけて経済効果などあるものか。それでも作れと言い続け各自、カバを中心に手に手を取る人間の腐り…鎖が不気味なんだ。無駄な川辺川ダムの建設の次は天草シーレーンかと思うとぞっとする。

 

気の弱そうな、やさしそうな、自民党推薦の候補者君。

あなたの思考肉体は99%自民党…県知事に選任された後に、ここまで自民党のお世話になりながら、自民党の提案する議案に、時にあなたは無駄だと反論できますかいな?熊本の自民党も堂々と県議会の議員から知事選に打って出ればよいのに。(身内の賭けゴルフ、愛人騒動が告発されたばかりか‥)

 

今回の県知事候補者は4人。一人馬鹿が居て情けない。(土建屋だからお金はあるのだろう) 彼の「日本人による日本人の為の政治とか」言う、ヘイトスピーチギリギリのポスターのコピーは醜悪。バイクが趣味とのこと、一度、海外にツーリングして、欧米人に人種差別されてきたら?と思う。あんたの愛する日本はまだ、原爆落としたアメリカの植民地なんだから。ぼやぼやしてるとあんたの頭の上にオスプレイが落ちるぞ。

 

バラまきは増税のもと。裏金も増税のもと。
過疎地を豊かにするのは、補助金などあてにせずに、住民が自分の頭で考える事ではないか。

一心不乱に腐乱する、自民党 (赤いバトンって)


日頃は冷静で無口(友達がいないからか…)な自分だが、今回ばかりは思いをブログに書こう。明日から熊本県知事の選挙戦のスタートだけど、我が熊本の自民党は保守岩盤層を硬めに固めたようだな。候補者の一人前副知事は東大卒、現知事蒲島の弟子。総務省からやって来た典型的なお役人。国とのパイプがあるから僕に投票してと、言い出しているだろうが、そんな腐ったパイプがあるから無駄な道、イノシシロードが出来るのだ。当然、財政難、自立出来ない仕送り待ちの県内の市長、町長、村長議員たちが国の仕送り欲しさに前知事を応援する。要するに金目当ての選挙応援。

 

彼は自民党推薦と言いながらべったり自民党。県内津々浦々の自民党掲示板に自民党の国会議員、各地域の県議、市議の顔に顔を合わせて、真ん中に日の丸のハンコを押したダサいデザインのポスターを張りだしていた。これは自民推薦でなく、自民党の候補者そのものではないか。「こんな予算に裏金が使われているのかしら?」と疑念を抱かせる行為そのものではないかね。

 

流石に今回は「一心不乱」のぼのりひっこめ、違うのぼりを新調したようだ。どんなデザインか楽しみだな。こののぼりがはためく土建屋、事務所は自民党支持、腐ったパイプがある皆様と分かりやすい。そもそも、今の県知事の蒲島も同じやり方で、無所属をうたいながら、畑の中の看板は何時も自民党の議員の看板に寄り添って建てられてきたのだし。

 

蒲島は立候補時は水俣病に寄り添うと言いながら知事に当選すると、バッサリ患者を切り捨て、患者の面会謝絶に居留守に、パーティー開催で忙しく、問答無用の対応で冷血ぶりを世にさらした。患者がどんな思いで去年の裁判の控訴を断念してと県庁に面会に行ったか分からぬか。※原一夫監督の名作ドキュメンタリー映画水俣曼荼羅」の影のスターの一人で、彼は自分は国の歯車の1枚で何もできないと偉そうに語った。

 

川辺川ダムも建設停止のポーズを取りながらも、水害をいいチャンスにいきなりダム建設と言い出した。元東大の教授で売り出したのだけど、東大の先生が嘘ついたらダメじゃん。言う事聞かぬなら、村民にポンと20億やるから言う事聞けと。まともな説明会も開催せずにお金を出すから許して、ハイ建設決定!という単純明解なやり方で多額の税金使うのが東大流なのか?

 

これからの10年は熊本激動の10年なのだろう。台湾の半導体企業の工場建設で、地上げやら何やらで、一部の県民は大儲け。(県会議員で有名なゴルフ好き…どころか不動産やら何やら経営している人がいるが、賭けゴルフしなくても彼は大儲け)もちろん疑問視されているのが、工場に使う水問題。こっけいなのは水不足に備えて、近隣の田んぼに水を涵養させる事業に急に県が動きだした事(やってる感だけ)。ハイテク企業の水不足に対して「水を溜める田んぼ大募集!」というアナログな発想がもともと、この企業誘致が熊本県の能力をはるかに超えているという証左なのだ。(昨今の猛暑、日照りで水不足は間違いないのに)。その真逆な事件として、工場周辺の農地はとんでもない額で転売され、畑はどんどんつぶされ工場が建っている。後継者不足の地主としたらこれ幸いと農地も売り払いたいと思うに違ない。哀れなのは、借りた土地で農業、酪農を営んできた人たち。土地は売るから出て行けと急に言われた農家、特に酪農家、養豚家さんはどうしたらいいのだろうか。牛や豚はどこに行けばいい?

 

そして、さんざん県民が分断された挙句に、出てくるのが熊本の水質汚染の問題なのだ。その汚染された水の発生源が特定されるまでに数年はかかる。この構図は水俣病とまったく同じ構図。当時の県知事、役人は犯人がチッソと分っていても、チッソの工場の廃液を停める事は出来なかった。そのせいで数10万人に被害が拡大した。万が一水質が汚染された時に、水俣病の水銀中毒のような症状はでないだろうから余計に問題解決に時間がかかるのだ。水俣病の救済さえできない熊本県に、同様の事件が起きても解決できるのだろうかと、半導体景気の賑わいよりも僕は不安なのだ。

 

県知事の蒲島は、ある集会で候補者の前副知事にバックから赤いバトンを取り出し、それを彼に手渡した。これまで蒲島は、後継者指名はしないと断言してきたし、前副知事を応援もしないと発言してきた。記者団にその「赤いバトンは後継者指名」ではないかと聞かれた時に口ごもりまともな返事ができない。次にその「赤いバトン」はどうした?と聞かれたら「知らない人からもらった」と答えた。知らない人からもらった「赤いバトン」ってさ?

 

僕の住む地区は超過疎地で、保守岩盤層…代々、骨の髄から搾取され、無能化された、

お人よしの人たちが住む地区で今回の選挙の投票率90%は越えるだろう。時に福祉施設の職員が、よぼよぼよれよれの老人を車に乗せ投票のサポートをする。その老人たちは「●●さん」の名前ば書けばよかとね、と声をあげる。そうして背を丸め鉛筆で、必死で投票用紙に名前を書くのだ。「●●さん」というのは、その施設を運営する市会議員なのだ。今時、そんな事があるのか?と思う人がいるだろうが、僕は体調を崩す前、何度も選挙の管理人をやっていたのだ。投票時間が過ぎると、そのアルミの投票箱に鍵をかけ、車で約40分の開票場に持っていく。膝の上でカサコソ、投票用紙がこすり合う音がする。ラジオを付ける。開票時間と同時、いやその数分前に自民党の候補者の当確の一報が入る。僕は膝の上に乗せた投票箱を道沿いの暗い海に放り出しくなる衝動にかられた。

映画「パーフェクトディー」を見た。(レビューではなし)

 

3月3日熊本唯一の名画座「電気館」で

話題の映画「パーフェクトディー」を見た。

 

この文章はレビューではない。あんまし、他人のレビューも読まん方が良い。

チャット何とかで書かれているような気がする。一方的に罵詈雑言書いているレビューも多いのが他人のレビューをマジに読まん方がいい。そういう物差しで世間を見てばかりいると何も感じなくなるぜ。君は誰?

 

自宅から電気館まで車で約1時間…途中、通勤で通る緑川の河川敷に菜の花が咲き始めていたので、河原に下りて写真を撮った。まだ花は8分咲だった。この河原沿いの道を、僕は毎日車を走らせ通勤するのだ。

 

 

パーフェクトディーの主人公、平山は夜明け前、近所で誰かが道を掃く「サッサッ」という箒の音で目を覚ます。その後、大東京をめぐる高速道、幾重にも張り巡らされた道路を小さな作業車で駆け巡る。彼を東京スカイツリーがいつも見下ろして居る。普通の映画のように大きなドラマはいくら待っても起らない。饒舌に、ストーリーを語る人も居ない。いくら待ってもやってこない。

 

僕の一日は朝6時前、遠くから聞こえて来る原付バイクのブーンと言う、軽いエンジン音で始まる。その音は僕の家の前で、パタリと停まり、郵便受けに落ちる、コツンと言う音で僕は目が覚める。朝刊が配達されたのだ。そして、遠く離れた熊本市内の北部で新聞配達店を経営する、ウノさんの事を思う。ウノさんはこの道40年近く、新聞の休刊日以外、新聞を配達してきた。彼の店は配達する部数も多いので朝2時過ぎから作業を始めている。そんな彼が今年の3月末をもち、奥さんの体調も良くなく販売店の経営を辞めると聞いた。店の仕事は過酷だ。盆も正月も、ゴールデンウィークも休みなし。娘の結婚式も、親族の葬儀も朝から新聞を配達してから出て来た。映画「パーフェクトディー」を見てウノさんの事を思い出す。

 

これが映画「パーフェクトディー」を見た僕の感想だ。新聞を配達しながらウノさんは、泣いたり、笑ったり、怒ったり、何かを思い出したりしたのだろう。

僕も海沿いの自宅から、国道を延々と走り、橋を渡り、緑川の河川敷の道に入り、河原に咲く菜の花畑の景色をここ20年走り続けて来た。春の風にそよぐ菜の花。河原に下りて風を感じるのは本当に久しぶりなのだ。

 

 

久連子にも小さな春

 

五家荘の山の番人Oさんのフェイスブック情報で、久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ、との情報があり2月18日深山に春を告げる金色の花に会いに行った。

頑張って午前中に着き、這いつくばり、金色の花にカメラを向けるけど、何故かみんな機嫌が悪そうだ。

この子はどうだろう、この子は?残念ながら、みんなそっぽを向いて顔をしかめる。たまに大きく花弁を開いた子もいるが、顔中、冷たい水滴で覆われ寒さに青ざめている。

花と花の間の、柔らかい土の上を根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。なかなか満足のいく写真が撮れない。大体写真は自己満足なのだし、誰かに喜んでもらうつもりで写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の写生大会でいつも特賞だった。何故かと言えば、大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を要領よく覚えたからだ。だから終いには、絵を書くことが全然面白くなくなった。

先生は聞く、どうしたの?急に絵が下手になって、何があったの?

だから絵を書くのが全然、面白くなく、退屈になったからなのです、先生。

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも、自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

ただ今回だけは、どうも花に嫌われているような気がした。(大げさ) 僕は途方に暮れた。土の上にへたり込み、ぼんやりする。たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

時計を見るともう11時、昼前ではないか。そうして、汗を拭い、空を見上げると、谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、久連子の谷、全体に射してくる。ふと足元を見ると、さっきまで不機嫌だった子が金色に輝く花となり、顔をもたげ嬉しそうだ。あちらこちらの花たちも一斉に光を浴びて輝きだす。黄色い歓声があちこちで聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには今、この瞬間しかないのだ。もうしばらくすると、谷間にたくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。今のうちに、太陽からの養分をため込まないと生きてはいけない。そして地中深く眠りに着く、春の妖精。この花の家族たちは谷にやってきて、どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、一緒に寄るのが兵隊さんの像。小さな坂を上った場所に、日中戦争時、村から出征され戦士された兵隊さんの姿を形作った等身大の像が4体ある。

これらの像は昭和12年に建立され、除幕式には村民200名が集まり、戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

僕が兵隊さんらに会って10年近く。毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、生まれ故郷の土の上に零れ落ちて行くようだ。

背中の重たい背のう、もう降ろされてもよいのに。脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。それでもすっと背筋を伸ばし、凛々しい顔で、真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、今年も久連子の谷に春が来ました。小さな谷間に、いつものように金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

ふいに、向かいの山から鹿の声が響き、又時間が動き出す。

 

 

羽の生えた石仏

 

何しろ日本石仏協会会員で新人なのだ。早速、熊本県内の石仏をネットで調べながら、写真を撮って回った。草に埋もれた石仏、苔で緑に覆われた石仏と出会えば出会うほど濃密な時間を感じる。オタクの世界にどっぷり。道端で背中を丸め、カメラを構えている中年の男を許してください。但し、話しかけない方が良い。彼はまともに応答は出来ません。

今回は熊本から、フェリーに乗り長崎、島原に遠征。いつもの古書店で発掘した潜伏キリシタンの石仏集を手掛かりに、羽が背中に生えた少年の石仏を訪ねて回る。熊本、天草の崎津にも羽の生えたお地蔵さんの像があり、その名は「ウランテラ様」と呼ばれている。ウランテラ様の羽は平面的である。もともとは今富(いまどみ)地区という奥まった集落の墓地に祀られているのを発見され、県の資料館「みなと屋」のガラスケースの中に今は展示されている。ウランテラ様は、本当は地元に帰りたいのだと思うのだが。僕も現地を探し、汗をかいて小道を登り詰め、里山の景色の中のウランテラ様の姿を目にしたかった。今富地区は明治維新後、信教の自由の時代になってもカソリックに改宗せず、潜伏キリシタンの教えを頑なに守り、信仰が途絶えた地区なのだ。しかも、その地区の世話人は山伏だった。

潜伏キリシタンが信仰している教えは、今も、正式な神父の洗礼を受けていないので「邪教」のまま。天草の乱が起こったのは1637年。南島原原城に立てこもった潜伏キリシタンの信徒、約3万5千人は政府軍の兵糧攻めに遭い全滅。ウランテラ様も島原の羽の生えた石仏も天草の乱の前後に建てられ祀られていたのだろう。みんな一緒に天国への階段を登る夢を見る少年少女の像たち。

島原港から車で約1時間。口之津町のある神社の社殿の中に天使の像があり、大事に祀られて居た。当時の口之津の住人は総勢3千人。天草の乱には全員参加で一つの村の人間が消えた。天草の崎津もその数に近い人が亡くなった。町の資料には、当時の各村の人口と乱に参加した人口の表がある。乱の後も厳しく取り締まるための資料なのだろう。天使の羽の石像は乱の後でも誰かにかくまわれ、その後もぽつりと残されていたのだろう。

 

 

身長は約60㎝くらいか。お堂の中は清潔に清められ、両脇には榊が置かれてある。緑の服をまとい、目は見開かれている。400年近い時空を超え、天使の石像を同じ空間で見つめ合う奇蹟の時間。何も話すことは出来ないけど、天使の像の存在は僕の心の中で、当時の人の思いを形に変えたシンボルのひとつになる。この像の画像をながめながら、僕はこれから極私的にいろいろな思いに耽りたい。

 

途中の海岸では、原城に立てこもった信徒が、死んでも天国にいけますようにと祈った「天号石」が祀られてある。天号石は乱の後に発掘された祈りの石なのだ。

 

 

最近の地域興しとやらは、伝承された地域の文化、祭りなどを利用し安易に集客に使う。無知は無知なりに、地域の為に頑張る姿を見せつけ、観光客を集めるが、無知が故、なんでもありの行為が見苦しいものが多々ある。使えなくなれば、予算がなくなれば、地元の文化をいとも簡単に捨て去るのだ。熊本でもそんな無残な事例が多発している。熊本の天草のキリスト教の信者は人口比の5%未満。長崎はそこまで低くないのだろうけど、他県から天草に来た人の中には、島民のほとんどをキリスト教の信者と勘違いしている人も多かろう。(さすがにそんなことはないか!) 数年前、「天草をサンタクロースの聖地にする」というお馬鹿なプロジェクトが全国的に有名なプランナーの企画でスタートされ…(北欧からサンタを天草に呼ぶまでした) どんだけ予算をつぎ込んでも「地元にはなじめないからその企画は中止」という赤っ恥をかいた事業がある。(そんな恥もすぐに忘れる…恥と思わないから)

 

行き来のフェリーの船尾を、幾羽ものカモメが追いかけて観光客を喜ばせていた。昔「カモメのジョナサン」というベストセラーの本を読んだことがある。ジョナサンは群れから離れ、自由に羽ばたき、自分の速度、限界を試していた。古参のカモメたちからは批判され群れからも追い出されようとした…確かそんな内容だった。ちょうど同じ頃、「ハチのムサシは死んだのさ」と言う歌謡曲が流行った。ハチのムサシは向う見ず、お日様に戦いを挑んで死んだのだ。僕は「ハチのムサシは死んだのさ」と言う歌が大好きだ。今でも。