面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

ブログ、また、引っ越しす。

 

去年の末、noteから、ハテナブログに引っ越したけど。おじさんにはドメインだの、サーバーだの分からない。もういいやと思い、noteに引っ越ししました。ハテナのこれまでのブログを削除するのももったいないので、このまま、ネット空間をゆらり、遊覧したままにいたします…と書いたが、もう、行き来するのも面倒なので当面、同じ記事を両方に掲載することにしました。

 

noteのタイトルは「くも ねこ ふわふわ日記

https://note.com/20201230neko

棄民と愚民…映画「水俣曼荼羅」からもうすぐ1年


熊本市名画座「電気館」にドキュメンタリー映画水俣曼荼羅」を見に行き、もうすぐ1年になる。上映時間372分の長い映画だ。しかしあっという間に見終わった。地元の水俣病の映画。満員の観客でではなかったが、それでも上演後の客席は熱気があった。幸運にも原監督のトークショウが見れて本も買い、サインももらった。

水俣病は終わった」なんで今更そんな映画をやるのか?僕の無知な友人の言葉だけど、僕自身も、水俣病については、国や県、チッソに罪があるとは知っていたが、今もって何故裁判が続くのかは疑問だった。そういう疑問は「水俣曼荼羅」で即、解決した。要するに国と県は、今も水俣病で苦しむ人を捨てたのだ。「棄民」したのだ。水俣病の判断となる検査法は、完全な手落ちで厳格そうに見えても、いい加減極まる…「水俣病」で苦しむ人を水俣病と認定せずに、高齢化で死ぬのを待つ方針でいることがよーく分かった。僕の家の裏は漁師さんの家で、そこのおばあさんは突然、足をひきずり歩くようになった。昼間でも薄い浴衣を羽織り、痛みをごまかすためか、焼酎を飲み、顔が赤かった。僕の両足の太ももの上は高校出る前まで、時にしびれて、その部分を鉛筆で刺しても痛みを感じなかった。僕も子供の頃たくさんの魚を食べたのだ。僕は今63歳、まさか自分の足のしびれが水俣病と関係があるとは思っていなかった。ところが10年近く前、同じ天草の健康調査で同じ年頃の人々が、足がしびれたり、痙攣したりした人がたくさん出て来たのだ。

映画の中での影のヒーローは、県民幸福度を謳い、くまモンのぬいぐるみで自分の無知をごまかす、東大教授上がりの蒲島県知事だ。彼は映画の中で「自分は、法定受託事務執行者」でありますと、答える。つまり「システムの中でしか動けません」と冷酷に繰り返し答え続ける。患者さんたちはそんな答えを求めているわけではなく、知事の生の言葉を聞きたかったのにね。そんな血も涙もない知事なら、AIに変わってもらった方がよい。

その「法定」自体が怪しく、いい加減な判決であり、県民の味方なら、国の判決に文句の一つでも言えばいいのに…支持者、自民党のパーティなんぞ出なくても票は集まるのにね。彼は水俣曼荼羅の映画が未来永劫上映されるたびに、自分の無能、冷酷さを全国、世界中の観客にさらされる罪を背負う。

熊本のマスコミで一番頑張っているのはNHK。水俣曼荼羅の紹介も番組でしっかり行い、監督のインタビューも放送した。先日また「くまもとの風」と言う番組で30分、水俣病なのに、水俣病と診断しない行政の検査のずさんさをきちんと報道した。カバ…いゃ、蒲島がやると言えば、約40万人とも言われる、患者さんの死ぬまでの苦しみが少しはおさまるのに。カバ…いや蒲島は熊本県民、水俣病の患者の「法定受託事務執行者」にはならないのだ。彼は40万人の水俣病で苦しむ人たちを棄民した。要するに棄民した方が安くつくわけだな。

カバ…いゃ蒲島は、今度は川辺川ダムの建設強行でまた全国に悪名を馳せた。水俣病の患者を「棄民化」し、五木村の村民を「愚民化」したのだ。この前なんてダム建設で駄々をこねる五木村にぽんと迷惑料100億を上積した。今まで復興基金の50億で充分ではないか。五木の愚民は喜々としているだろう。村会議員の土建屋の子分は大喜び。何かある度にカバはお金を恵んでくれる。何もすることないから、山をけずり道路をつくり、橋を架け、清流にコンクリ流し、魚が減ったと駄々こねて金をもらう。暇な村民はいつも、バンジーしてたらよいのに。これから村にはその100億を狙い全国から広告屋、コンサルが入り乱れるだろう。村はなにも考えずに、お金を払えばよい、どんどん頭が馬鹿…愚民化するわけだ。五木村の人口と同じ数1000名の地域興し協力隊の隊員を全国に募るという案もあるぞ。熊本県内の市町村の「地域振興費」はいったいいくら?小さな町の観光課の予算とか1年で100万あるかないかで、みんな悩んでいるのを横目にポーンと100億っていつたい?カバやん。(苦笑)

 

地域復興の名を借りた「村民の愚民化」大作戦。今もって五木村は村としてダムについて反対も賛成も、公言しない。当事者なのに。税金で支払う100億のお金はごね得かいな。

熊本県は棄民と愚民が住むアンバランスで不幸な県なのだ、五木の無駄な道路を走る度に、この100億の半分でもお隣の水俣病で苦しむ人の薬代にしてくれればいいのにと思う。五木の金まみれ「用途、不透明度日本一」の川辺川の清流は球磨川を経由し八代海に出る。八代海を南下すれば水俣湾だ。水俣曼荼羅で上映、告発された水俣の埋め立て公園から、また水銀が漏れ出している事件があるのに、その水銀を水で薄めることは出来ないだろう。

川辺川ダムに反対する人々に僕は言いたい。地域振興100億円について、黙って懐に入れた五木村の人々とちゃんと話をしないとダメだと思う。五木村で進む自然破壊について、批判しないとね。反対すればするほど、カバが又、迷惑料としてお金をばらまく口実にされるだけだからね。

くまもと里山紀行

 

今年の冬は五家荘は大雪だった。フェイスブックなどの情報で山の吹き溜まりで約40㎝、二本杉の東山本店まで行く道路は深い雪かアイスバーン。車高の高い4駆しか辿り着けない雪路との事だった。そうして辿り着いても東山本店はお休みなのだけど。

ここ5年で僕が乗り換えた車が3台、その度にチエーンを買いそろえ、結果、使ったのは各車数回程度だった。去年買ったパジェロミニの中古車は電気系のトラブルもあり、1年もたたずに廃車になってしまった。(後ろのワイパーが止まらない、やむなくコードを抜く!)ミニに、チェーンを付けたのは2回程度だった。とても気に入っていたのだけど、一般の道路はともかく、砥用から二本杉への坂道を息切れして登ってくれないのだ。いつ止まるか分からないまま林道を走るのは、別の意味で寒いものだ。過去に他の車(イグニス)でタイヤがバーストして保険会社に連絡し、当然レッカー車の手配となり、とんでもない割り増し料金を支払うはめになった痛い経験もある…。

 

更に、頭が急に冷えるのは命の危険を感じる。5年前に開頭手術を受けた右の額の奥の血管が寒さで「ビリリ」と来るのだ。ヤバい車に運転者もヤバい。山に春が来るまで、ガマンするしかない。自宅で座学…という事で、古書店巡りで五家荘についての古書を探して回って過去の五家荘への時間旅行へ出かける事になる。事務所の近くに熊本県立図書館もあるが、地元の古書店の方が、掘り出し物が多い。この前、熊本県教育委員会が過去に細かい五家荘の文化史跡を調査、その結果をまとめた資料をこっそり見つけたが、学術調査の本で味も素っ気もないので…とりあえずひっそり、古書店の本棚の奥にしまっておいた。平成の合併で、五家荘地区も八代市編入されたので、本来ならば八代市の博物館がもっと調査をしてくれればいいのにと思うけど、宝の山を前に人手不足なのだろう。

そんなこんなで年末に「店じまい」の準備をした。最近、年寄の身辺整理を巷では「断捨離」という…その言葉を僕は好きではない…何かカルチャーセミナーとか…そういうお上品な世の為、人の為、みんないい人でいましょう的なノリが自分には合わないのだ。自分には「店じまい」という言葉で充分。

そうして自分の「店じまい」でいろいろ本棚をみているうちに、「くまもと里山紀行」なる本を見つけた。平成2年7月10日・地元紙熊本日日新聞情報文化センターの発刊で191ページ。モノクロ。執筆は栗原寛志 記者。平成2年は今から33年前の事。ちょうど京都から帰熊したばかりの時に買った思い出がある。中には熊本県内の90座の里山が紹介されてある。嬉しい事に、紹介されてある90座の中で、五家荘・脊梁エリアの山々の数は40座、半分近い数を占めている。単なる登山ガイドではなく紀行なので、その山にまつわる文化史跡などが紹介してある。修験道がらみの史跡も多々紹介され山によっては石仏の写真が多いページがある。熊本の里山のあちこちに民間の信仰の跡がたくさんあるのだ。農業県でもあり、みんな山の神さんに豊作を祈願したのだろう。どんどん朽ち果てて行く石仏様の姿。地図はフリーハンドで書かれ、方角も示されてないアバウトなもの。低山といってもその手書きの地図を片手に山頂を目指したら大変、道迷いの可能性が高いのでご用心。(経験者は語る)

登山中のメンバーの写真も昔の時代を感じる。水木しげるの漫画の雰囲気。みんな首にタオルを巻き、作業ズボンに「いがぐり」頭。昼飯は懐かしいコッフェルでお湯を沸かし、弁当をぱくついている。記事を書かれたのは新聞社の記者の人だが、道に迷われたり、ゆるく書かれている記事も面白い。

・例えば、白鳥山。(原文を要約)

10年前ほど昔、白鳥山で道に迷った。小雨混じりの霧の中、御池の中で方向を失った。ミルクの中を泳ぐようで周囲の風景がまったく見えない。足元の踏み後たどって行くと林道に出た。林道をさらに下ると、山の中の一軒家と出会った。

その家は椎葉村尾手納地区最奥の小林の人家…

その主に道に迷ったことを伝えると

「よう熊本の人が山道に迷ってうちに下りてきなはる。もう日が暮れるけん、今夜はうちに泊まっていきなっせよ」そして、栗原さんは娘さんに靴ずれの足に赤チン塗ってもらい、風呂に入り、ビールと夕食のご馳走のもてなし」を受けられた。

更に、その主が言うには「この前も道に迷い下ってきた熊本の人が居て、その人は一晩お世話して送り出したら、夕方また道に迷いましたと下りてこられ、結局二晩うちに泊まられた」そうだ‥

なんともすごい話というか、猛者と言うか。

 

・新しい山道のルート開拓の話。

京丈山へのワナバルートは、昭和58年江口司さん(熊本市・故人)と民宿平家荘の松岡さんが協力して開かれたそうだ。当時、春には谷沿いには書ききれないほどの山野草が開花したと書かれてある。山頂では九州でもまれなカタクリの大群落がみられたとの事。

・平家山(1494m)の事

平成2年から7年ほど前…ヤマメ釣りと山登りの一団が、葉木谷の最上流のピークを勝手に「平家山」と名付けた。この集団が良く利用していた宿は平家荘。またその一団は、京丈山と国見岳をつなぐ縦走路を2年がかりで開かれたそうだ。行けども行けどもスズタケの密林に鎌をふるい一団は前進を続けた。目的は祖母・傾山に匹敵する縦走路を作るのが目的だったらしい。(実は著者もその開拓に参加したらしい)それから平成2年、その道はまたスズタケの占領に会い、消滅寸前…。

登山者、釣り人が元気なら、山も元気(迷惑?)な時代だったのだろうか。

 

・当時の花への思い

ゴールデンウィークが終わった頃、クマガイソウの谷に向かう。五月の原生林はきらびやかな若緑の世界だ。天を覆う新緑の中、谷沿いの踏み跡をクマガイソウの住む谷に向かう。目指す谷に向かうと猿面エビネの薄茶色の花、ヤマブキソウの鮮やかな黄色、そして白い花びらをほとんど脱ぎ捨ててしまったヤマシャクヤクなどが、沢のあちこちに顔を見せる。(中略)

前の年も、その前の年も、そしてその前の年も花を開いていたクマガイソウたちが今年も当たり前のように花を開いている。

(中略)

クマガイソウの沢に別れを告げ、麓に下りる。一年後「あのクマガイソウたちと再会できるだろうかーあの森があのままであって欲しい」そう祈るだけだ。

(※写真は「くまもと里山紀行から」転載)

 

残念ながら…栗原さん、五家荘にその森はありません。次の年も、その次の年も…

 

※クマガイソウの同属の「アツモリソウ」は種子は繊細で発芽に共生菌類が必要な為、自然発芽率は約10万分の1と低い。野生株は激減、環境省の絶滅危惧Ⅱ類。アツモリソウは近い将来絶滅する可能性が高い。それでも自生地からの盗掘はたたない。

一昨年、ある谷でヤマシャクヤクの盗掘3人組を見つけて、警察や県の自然保護課にも連絡したが警察はともかく、県の自然保護課は何の対策もとらなかった。レッドデーターブックばかり作るのが自然保護課の仕事ではないだろうに。盗掘者からみれば、何もできない行政の「足元を見て」やりたい放題、取りたい放題の山が五家荘。

そうして、わずか30年で絶滅する花々…

僕のようなおじさんが、昔は良かったと、若い人に山の話をいくらしても、彼らのスタートは、花も何も咲かない荒地からのスタートで、見たことも聞いたこともない昔話を彼らに話しても何も伝わらない。

五家荘近郊の自治体では地域振興とやらで、税金をどんどんつぎ込み自然を削り、道路、橋、観光施設を建設しているところがあるけど、山間地の地域振興は、箱ものより人材の育成に予算をかけるのが本道だろう。すでに絶滅したクマガイソウの代わりに人を育ててくれないものだろうか。でないとあなたたちも絶滅しますよ。

 

と、いう事で、五家荘の春が今でも待ちどうしい僕なのだ。

※水色のイグニス(イグちゃん)が僕の車に復帰した。車高が意外と高いので山道は良い。スペアタイヤはネットで買い、積載す。

 

この記事は僕が別に公開している極私的五家荘図鑑の雑文録と同じ内容。

gokanosyo-zukan.com

 

半分、白い。

 

頭の中が半分白い…白くなるかもしれぬ…白くなっているのかも知れぬ。

年末にラジオを聞いていたら、若年性認知症の人が出ていた。快活である。活動的である。NHKの全国放送の「若年性認知症」の特集、代表者として堂々出て来て、快活にしゃべれるほどの人格者である。その仲間の人々も参加。番組でワイワイやっている。

アナウンサーの人が「とても●●さん、認知症にみえませんね~」と笑いながら言葉を発する。その人は、会社を辞め、仲間と新しい事業を始めたばかりで発症したそうである。何故か計算が合わない、人の名前を忘れる…精密検査を受けたら若年性認知症だった。彼は仲間を募り、同じ病気の人同士で支えあう、情報交換するラジオ局を開局した。

認知症とは脳の一部が収縮していく病気で…まさか、まさか…もしやもしや…自分もそうかと思う時がある。調べると、悲しいかな治療薬はなく、余命も短いらしい。いやだ、いやだ…ついこの前の自分なら、受け入れたかも知れぬが…なんとも、もう少し生きてやらなければいけない事が出来た。

僕はもう63歳になったのだから「若年性」ではない、ただのどこにでも転がっているおじさん「認知症」なのだ…いや、なのかもしれない。

 

来月、2月の始めに1年に1回の脳のMRI検査がある。クモ膜下で右の脳の動脈に3個クリップを挟んでもらい命拾いした自分だが…半分…いゃ少し、白くなってきた。

数字が認識できなくなった。もちろん電卓使うから、間違えたりはしない、が、数字が頭にピンとこないのだ。駅で2番ホームのベンチに座り列車を待つ。時間が来て目の間に自分が乗るはずの列車が1番ホームに滑り込む。ああそうだ、この目の前の列車が自分が乗るはずの列車なのだ。なんで2番と1番を間違えるか…こんなことがあると意外とショックなのだ。自分にとっては自信をもって座ったベンチが間違いとは…自分史的には大事件だった。

消費税を8%で計算する。8%での計算は間違いないが、今は10%なのだな…何回も誤りを先方から、指摘される。

今日は何日ですか?と聞かれて、答えられないから、カレンダーを見て答える…頭の中に数字が引っかからない。だから今日は何月何日でも良い。

給料が少ないから「今月は節約せんとなぁ」とアマゾンの請求書を見てため息をつく。結構本を買うのだ。本を読んでいると、今日が何日か気にしなくていいから救われた気分になる。どんどん本を読んで、いらない本は寄付する。図書館で順番を待つ時間が自分にとってはタイムロスなのだ。

 

わが社は3年間に経理がヒステリーを起こし、突然会社を辞めたので、こんな頭半分白い僕が経理事務をしている不思議で危うい会社なのだが…2か月遅れの月次決算書を税理士事務所の女子が「まぁ、なんとかなりますよ」とガハハと笑いながら、「赤字ですよっ」と青いマーカーを引き決算書を渡す。「それと、自分の給与、先月振り込んでいるのを忘れてますよー」と付け足す。

ああ、給与が少ないのは、そうだったのか…「来月は頑張らないとね」と答える。逃げ出した経理は次の日、怪文書を持ち、熊本の菓子屋のモナカにテープで巻き付けパート陣に手配りして、又逃げた…いつも都合が悪くなるとそのことを思い出す。

こんな自分の会社がやっていけるのは、先代の社長がアル中で、持てるだけの財産を持ち逃げして最後に残した、ほんのわずかな「既得権益」があるからなのだが、その既得権益とやらも今年はなくなりそうで、いゃはゃ困った。

数字がきちんと認識できないのと、車の運転もそろそろ怪しくなってきた。真っすぐは走れるが、交差点で左右確認が出来なくなってきた。何か飛び出して来たら、そのままはねるだろう。自宅から事務所まで40キロ。田舎だから渋滞がないのが助かる。

 

半分白い…しかし、気になるというか、どうなるか、楽しみなのは、頭半分、白い領域に占められて、その入り口のドアを開けその世界に入った時、どんな世界が広がるのだろうか、もしパソコンのキーボードを打つ余力が残った場合、僕はその白い世界に展開される世界を、こうして打ち続けるのだろうか?いゃ、その世界が今度は自分の日常であり特に何も事件が起こらないのなら、何も書かないのだろうけど。

NHKのラジオには出れないだろう。いゃ、こんな気分では出してくれないだろう。

何を言い出すか分からないからね。

 

今度の2月、5年目のMRIの検査なのだ。検査日はメモのメモを見たら分るはずだ。

思い出せないのだけど。

 

 

 

「ウランテラさま」の事

 

倉岳町諏訪神社があるけど、崎津にも諏訪神社がある。祀られてあるのは建御名方命(たけみなかたのかみ)…天草から遥か遠く、長野県の諏訪神社が総本山、山の神なのだ。羊角湾のほとり、崎津港から崎津教会の前の参道を山手に真っすぐ歩き、苔むした階段を登ると、諏訪神社の社殿がある。海から水神がやってきて諏訪神社の鳥居くぐり、裏山の山頂に向かう。平成の時代、地域興しとやらで、完成時は、諏訪神社の境内から山頂までの階段はピカピカの石でできていて、頂上には十字架をかたどった大きな塔があり円形のイベント舞台があった。その十字架の中に鐘が下げられ、やって来た人は鐘をカンカン鳴らし平和を祈ったのだ。いまはその塔は朽ち果て撤廃。鐘が下がっていた鉄の骨組みだけが残されている。石の階段を登る途中に鳥居があり「金毘羅宮」とある。更に、山頂の奥にも「金毘羅宮」の苔むした石の鳥居がある。金毘羅さん…金刀比羅宮の主たる御祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)。航海の安全や豊漁祈願、五穀豊穣、商売繁昌などに御利益があると信仰を集めてきた海の神。崎津はキリスト教会に諏訪神社金刀比羅宮。キリスト、山の神、海の神を祀り、守られてきた集落。これぞ神仏習合のお手本のような話。どの神様が先か後かはともかく今もみんな仲良く過ごされて居る。

更に驚くことに、その宗教グループに「修験道の神」も参加されていた。資料館「みなと屋」に展示されている「ウランテラ様」のいわれを読むと、石仏「ウランテラ様」の背中に天使の翼がついているけど、その羽は修験道のシンボル「天狗の翼」の影響でもあるらしい。「ウランテラ様」が発見されたのは崎津集落から山手の奥に入った「今富(いまどみ)」と言う集落。今富には山伏さん ( 修験道 )が居た。「ウランテラ様」の主な説明では手に武器を持ち、天使が悪魔を踏んづける西洋の絵画がベースになっているという説明があるが、山伏、修験道のシンボル「天狗」の姿を形作ったという説も捨てきれないと書かれてある。明治時代の崎津教会の神父の日記に山伏トクジさんの事が記載されているそうだ。トクジさんは当時の潜伏キリシタンのリーダーなのだ。今富はその時代、「ウラ」崎津とも呼ばれていたそうで、「裏の寺様」ではなく、ウラ崎津…今富の神様の符号・呼称なのかもしれない。当日は頑張って今富の「ウランテマ様」が発見された墓地を探したが、道に迷い断念。

明治維新となり幕府が倒されても中々切支丹禁制は解かれなかったが、欧米の外交団の圧力で明治6年(1873年)ようやく切支丹の信仰は黙認、これまで天草で潜伏キリシタンだった人々は、カトリックの信者になり、崎津教会、隣に大江教会が建設された。今富にも教会が作られたが、今富の人々はカトリックになるのを拒否し、昭和になるまで潜伏キリシタンの教えを守り続けたそうだ。※法的に信教の自由が認められたのは明治22年(1889年)。

1618年禁教令が幕府から公布。島原の乱の4年前(1633年)から、当時の日本には司教が存在しない。つまりローマ法王代理人、司教が居ないというのは正式なキリスト教の信者は存在しないとされて来たそうだ。島原の乱(1637年)が起った当時は神父さん1人も居なかった。ローマから見れば、天草島原のキリスト教の信者は極私的な信仰集団。4万人近い犠牲者は、ローマに知らされもせず今も殉教者として認められていない。※それ以前、弾圧された神父、信者は殉教者として認められている。

2023年の今、日本で独自の神を信仰してきた潜伏キリシタンの信者の数は約40人と言われている。「神仏習合」なんて適当な言葉で民の信仰を丸め込んでしまうのは簡単なのだけど禁教令から400年以上経っても信仰が続く、筋金入りの神仏習合潜伏キリシタンの信仰なのだ。

オラショの教え」は孤立無援の宗教なのだ。天草島原の乱は「魔界転生」というSF映画にはなっても、NHKの大河ドラマにはならない。みんなお殿様の立身出世と恋物語のストーリーが大好きだから。僕はいかにも嘘くさい宮本武蔵の伝説が大嫌い。(沼田家記を見よ) 宮本武蔵島原の乱で幕府側に参戦し、信者から石を落とされ足にケガをして原城の石垣から転げ落ち、さっさと退散した。五輪の書よりも籠城した信者の矢文を読め。

潜伏キリシタンの事を正面から取り上げてくれた映画はマーチン・スコセッシの名作「沈黙」(2016年)しか見当たらない。映画・沈黙のベースになったのはもちろん、遠藤周作氏の小説「沈黙」…ただ「沈黙」が発表された当時は日本のキリスト教会の中、信者からその内容に激しい批判もあったそうで…この人たちは字が読めないのか理解できないのか…何にしても何かを信じて頭が凝り固まれば、他者に寛容になるどころか、攻撃的になるのは今も変わらじ…信仰脳は激しく退化する。

 

僕は無宗教で、宗教からみで造られた壮大な社殿、仏像などを見るとつい小馬鹿にしたくなる。ガラスケースに飾られた純金の国宝級の像は単なる仏教美術であり、信仰のシンボルにしかすぎない。当時の人は本当にその金色の像を拝むことができたのだろうか。崎津の教会は信者の人の身の丈と同じ、それでいいではないかと思う。

道端にたたずむ、刻まれた文字も消えかかる石の観音様の像のなんと孤独で自由なことよ。石に刻まれた、すでに消えかかった文字を指でなぞりたい。ひねくれもんの僕は、そんな観音様に救われたいと思う。

 

 

 

 

崎津の港にたどり着く。

天草の最深、河浦町。うだうだ車を走らせうねる海岸線沿いに、まぶしい水面の反射光を手で遮りながら愛車は進む。今は合間合間に大きなトンネルが出来て旅の風情も何もない。トンネルの暗がりを飛び出せば、ぱっと河浦町の崎津漁港に出会う。ひねくれものの自分はあえてトンネルではない昔の海岸線の狭い道を進む。波に洗われた旧道は半分釣り人の駐車場になっている。車を避けながら進むとカーブ越しに青い海が近づいてくる。時間が戻るように景色が変わる気がする。

たどり着くと相変わらずの崎津の漁港だ。世界遺産に登録され一時は大賑わいだったが、今は少し落ち着き、以前の生活に戻りつつある。

世界遺産に選出されて良かったのは、これまで散逸気味の貴重な資料が取集、整理され保存された事だ。いったん散らばった資料を見て回るのも時間の無駄といえるし、途絶えた時間の糸をつなぐ作業などできない、もつれからまった糸もほどけないまま次に進むこともできずに歴史の闇に霧消してしまう。

研究者でもなんでもない自分だけど、前回、新設された資料館「みなと屋」で見た「ウランテマサマ」が気になり、半年も待たずにこの地を訪れたのだ。真冬といいながらも暖冬で、港の猫どもも道端で日向ぼっこや、毛繕い…果ては昼飯代わりに、日干しに手を出そうという輩も居る。軒を寄せ合う、小さな港町の路地の向こうには青い穏やかな宝の海が揺れている。まずは腹ごしらえと、その路地の奥「凪」と言う名の古民家を改造した店に入り、定食を頼む。

何も気取らない、そのまま普通の昼ご飯。酒が飲めなくなった自分だけど、夜に酔っ払い、こんな港町の路地をうろつきたいものだ。

「酔うてみて、へたりこんだ向こうに海」

路地の奥にいつも海。うねり、揺らぎ、まったり優しい。この漁村ではそんな景色が長く続いてきたのだろう。岬ひとつ向こうの葦の生い茂る入り江には、アルメイダ神父が着いた船着き場の史跡があった。

※1569年(永禄12年)、ルイス・デ・アルメイダ神父によってこの地でキリスト教の布教が行われた。禁教令以後、激しい弾圧を受けながらもおよそ240年間に渡って「潜伏キリシタン」として河浦の地では信仰が守られてきた。

倉岳神社と諏訪神社

今、SNSで話題になっている、天草市倉岳町の倉岳神社に行った。話題になる前に1度行き、なぜ、山頂が他府県ナンバーの車が多いのを不思議に思っていたのだけど、確かに天草最高峰の倉岳山頂から眺める景色は絶景なのだ。東西南北、遮るものもなく、半島に連なる山々、東に藍色の海に浮かぶ御所浦島の島々が見え、西には反対側、雲仙の山々も遠望できる。その先には銀色に反射した眩い水平線。時に、雲がかかり、辺りはどんより灰色におおわれるが、ふと、頭上を飛ぶトンビの誘う先に目をやると、遠くのうす灰色の雲の間から金色の光が海に差し込む。そんな景色を山頂の倉岳神社の鳥居から見渡すと誰しも神々しい気分になるのだろう。山頂にはいくつかの祠が祀られ、祠の横には大明神と刻まれた文字。これぞ、神仏習合、山の神と菩薩様、金毘羅様も同居しみんなで人々の安寧を守ってくれていたのだ。

 

 

新しい鳥居はなんとか許されるが、そこにぶら下がった平和を祈る西洋式の鐘は蛇足。これは神仏習合じゃない。神仏迎合なり…風よ叩き落せたまえ。以前、バブルの時に、キャンプ場も建設された跡があるが、今は無残にもその場所は荒地になりその名残もない。いくら今、話題、人気と言っても変な観光施設は作らぬがよし。

そんな倉岳も天草東海岸修験道の尾根のひとつのピークとなっているわけで、お隣の白岳の山頂直下の矢岳神社、その隣の竜ヶ岳神社(正式な名前はメモってない)、そして倉岳。みんな山岳信仰の対象になった天草東海岸の山々なのだ、特に倉岳は山頂に向かう登山道の合間にも石碑などが祀られていたりする。

 

 

ふもとの町は、棚田の景色や倉岳から吹き下ろす風から家を守る高く積まれた石垣の景色が目を引く。この石垣の景色は倉岳ならでは。旧役場近くの商店街は寂れ、人影も見ないが、風の吹く廃市としてなんとも僕のような、いかれポンチには喜ばれる。登山コースやフットパスのルートも整備されていて、この誰も居ない石垣の迷路をさ迷う気分はきっと楽しいだろな、と想像する。

更に更に、深まる謎と言うのが港の近くの「倉岳諏訪神社」。長野県の諏訪大社の分社で建御名方命が神社の本尊。海抜ゼロメートルの、波が打ち寄せる海岸に1番目の鳥居があり、あと二つ新しい鳥居があり、石の仁王像が守る本殿がある。向かいの御所浦島から海を渡り神が諏訪神社の鳥居をくぐる。その、真っすぐ向こうには、倉岳の山頂、倉岳神社がある。

神仏習合諏訪神社が山の神としても御所浦には、諏訪神社が見当たらないので、山の神と違う神が海を渡り、遊びにきたのだろうか。しかも、古い町史には諏訪神社の1番目の鳥居の下には弥生式の土器がたくさん発掘されたという。当時の諏訪神社は天草の乱潜伏キリシタンの民が蜂起した時に焼き討ちにあい焼失したとの事。おそらく見張り役を買って恨みを買ったのか。弥生式の土器が埋葬されていたとすれば誰かの墓で、その墓の跡が結果、伝説の場所、神の棲む場として諏訪神社の建設場所として繋がったのか。倉岳町はバブル時、日本一の大恵比寿の像がある町として売り出していた港町。金毘羅の神がたくさん祀られている。諏訪神社の山の神、権現(菩薩)さん、エビスさん…

倉岳山頂の駐車場から雑木林の中を約20分くらい歩く。てっきり山道かとおもいきや、山道をコンクリートで固められた苔むす遊歩道になっている。人工的な遊歩道を整備し自然を残酷に切り刻んだけど、アウトドアブームも終わり、キャンプ場も撤退。その遊歩道を歩く人影も少なく、また自然の力に吞み込まれつつある。歩く目標は「大権現様」

 

大権現様は雨露しのぐ社殿も祠もなく、小柄なお姿そのまま、森の薄暗い木立の中で一人、瞑想されていた。