面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

クモ膜下その後

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去年の2月にクモ膜下になり、現在に至る。クモ膜下には3分の1ルールというのがあるらしく、発症したら、3割の人が死亡、3割の人が重篤な障害、麻痺が起こり、3割の人が、無事に社会復帰できるとの事。僕の場合最後の3割に残り、幸運にも社会復帰できているわけだが、要するにその3割の仲間を探し出すのがとても困難な状態だ。検索しても、なかなか出てこないし、ブログもほとんどない。脳梗塞脳出血の人のブログや本はたまに見かけるが、クモ膜下の人は皆無。

ガンのようにステージで余命時間があるわけでなし、転移することもない。たまたま昔の人のブログも見たが、今は書かれていない。亡くなったのかもしれない。まぁ「クモ膜下友の会」作ろうぜ!なんて呼びかけしても、ややこしい、みんな興奮は厳禁だから、集まってもお通夜のように静かかもしれない。誰も励ましようがないからね。

体験談としては、軽い両手に麻痺があったとしても、何とか生活に不自由はなし、退院後、調子に乗り、車の運転往復2時間、仕事は相変わらず。山には登るは、出張はするわで、いつもと変わらぬ毎日だった。朝なんて、近くの公園を真夏でも30分ウォーキングして会社に出たのだ。外見はこれまでと変わらず。しかし、秋から、だんだん疲れがたまり、帰りの運転が辛くなった頃、仕事での心配事が重なり、打ち合わせ時に、他の事務所で大てんかんの発作で再度、救急車のお世話になったのだ。おかげで車の運転は来年の10月まで禁止。片道2時間のJRとバス、自転車を使っての通勤となった。

仕事は週に1日おきに週に4日。仕事の翌日が相当疲れる。それでも自宅でパソコンで仕事。頭痛は仕方ないにしても、頭の開頭部分の右の額を触ると、まだ神経が傷んでいるのか、ぞーっと痛みが走る。更に、その開頭部分の個所の骨が、最近だんだん盛り上がってきて、時にたん瘤のようにふくらみが出て、何か不安になる。一度CTは撮ったが様子を見ましょうということになった。まさか脳髄液が、開頭部分に漏れ出しているのなら一大事。手の打ちようもない。

クモ膜下の術後、相当個人差があり、僕と似たような人はどれくらいいるのだろうか?僕のブログなんて、アクセスゼロ。何の情報交換にもならないが、一応、猫の事と合わせて記録だけしておこうと思う。

ああ、それと、数字をどんどん忘れる障がいというのもあった。夕方5時なのか、17時なのか、夜の7時なのか、19時なのか、何度考えても、僕には理解、記憶できない。

開頭後の2週間、絶対安静の特別な部屋のベットの上で、半分死にかけた運命。残された時間は少ないと、思った方がいいらしい。つまり、死ぬことは怖くないのだ。手術中、全身麻酔で9時間、頭の動脈にチタン製のクリップが3個挟まれた時に、僕は”死んでいても気が付かなかった”のだ。つまり死という瞬間はそういうもので、反抗しょうがしまいが、死は静かにやってきて、死ぬと「死んだという意識」さえもないのが、つまり死なのだから。ぼくは残された大事な時を猫どもと会話しながら生きようと思う。猫どもにとっては変な生き物としての僕の存在なのだろう。彼らにとって現在しかなく、未来も過去も死も、意識の中には存在しないはずで、人間だからこそ「未来も、過去も死も存在する」存在として、残された時間を半人半猫の生き物として時間を過ごしていこうと思う。