フェイスブックはやってはいるが、見ていない、見てられない、見らぬ方が良し。これは犬族が考えたおもちゃだ。友達の友達は、友達ではない…そんな場合も多々ある。逆に友達の友達は誰か詮索するという卑怯な手を犬族は使いながら、腹をさぐり、仲間を増やす。
(こんな半人半猫的なる性格で友人がいないのを、僕はひがんでいるわけではない)
仲の良い友人の友人を見ると、いきなり政治家の野郎どもだ。その政治家の仲間が笑顔で握手してやがる。田吾作のような国会議員を中心に、市長、町長がしつかりと握手してやがる。連中はとんでもないプランを考えている。どれだけ税金使うねん。そいつらの批判を僕がフエィスブック上で行うと、僕は番犬どもから、攻撃を受けるだろう。道を歩くだけで、見知らぬ犬どもからも、吠えたてられるだろう。友人に迷惑がかかるかもしれない。みんな見張っているのだな。
だからフェイスブックは、犬の作り笑いのような、差しさわりのない挨拶で終わり予定調和の世界なのだ。
犬と犬どもがしっかり握手し、無駄なダムを造る(立野ダム※地震で崩壊する恐れのある場所にあえて作る)、海に橋を架けようとする。(八代、天草架橋※少子化で誰が通るねん)熊本が九州の州都と言い張る。(熊本のじいさんたちの心の支え)地域創生でお金をばらまき、拾い会う。(県の職員が、申請書書いてあげて、補助金ばらまきノルマ達成!)
ツイッターも同じ世界。犬どもが吐くヘイトの言葉に猫はうんざり。
どうしてこうなったんだろうねぇ。なるようになったから仕方ないねぇ。