面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

猫神家の一族

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猫が嫌いだの好だの、犬が好だの嫌いだの、うちはともかく猫神家の一族なのである。猫神家らしく、自然に猫が寄ってくる家系なのだ。熊本には人間の赤ちゃんを捨てる「赤ちゃんポスト」なるものがあるが、我が家は猫ちゃんポスト。ここなら何とかしてくれると、猫どもが子猫を捨てに来たり、行き倒れ寸前の猫が宿を借りにくる。天涯孤独の風来坊、おれは誰も信じないと、野良猫のプライドをもった孤高の猫でもしばらくすると、ゴロニャー、ゴロンとなる。松二郎がいい例だ。松二郎は天下一匹、ある日うちにやってきて、他の外猫どものスキをついて餌を盗み食いしていた。いくら、人間がすりよっても、孤児のプライド、誰がなつくもんかい、それ以上近寄ると、ひっかくぜ!てな、感じだったが、今は丸々と太り、毛艶もテカテカ、僕が歩くとおともに付いてきて、道の真ん中でごろごろ転がり言うことを聞かない。「おい、松二郎、人が見たら恥ずかしいではないか」と松を抱き抱えるとさらに、道の真ん中でゴロゴロ転がり、言うことを聞かない。過疎地で誰も見ていないのが助かるが、実は近所の婆さん連中に目撃されて、僕自身、更に怪しい奴と思われている。

鹿児島には日本で唯一「猫神神社」なるものがあり、知る人ぞ知る、猫族の聖地になっている。仙巌園という島津藩主別邸跡に建立された神社で、第17代島津義弘公は、朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれ、この神社には、生還した2匹の猫の霊が祀られており、6月10日の時の記念日には、時計業者の人々が参集して例祭が執り行われているとのこと。また愛猫家のために猫長寿祈願と供養祭が行なわれている。僕の枕元にはもちろん、猫神神社のお札があり、厄除けになったりしている。

猫好きはなにも僕だけではない。そもそも娘は農家でもないのに、農業高校に入り、酪農家の娘でもないのに早起きして、牛、豚、鶏の飼育をしていた。その後、神戸の動物植物の専門学校を卒業し、今は京都の動物病院で仕事をしている。娘が言うには北野白梅町のバス停で見知らぬ老婆が近寄ってきて、一緒にいた友人に向かい「この子は化け猫の家系だよっ!用心しなっ!」と叫ばれたそうだ。「その通り、化け猫の家系で何が悪いっ!」と言い返せばよかったのだか、さすがに年頃の娘、恥ずかしくて言い返せなかったそうである。「京都にはいろんな人がいるからな、頭のおかしい人も沢山いるから気をつけな」と何の慰めにもないことを言った私だが、恐るべし京都の老婆よ。我が家の本性を見抜くとは。百鬼夜行か、鳥獣戯画か。

僕の1日、睡眠がその3分の1、雑務、猫の世話が3分の2、つまり、およそ半分が自宅で猫どもと暮らす羽目になっている。今朝は頭上のエアコンに馬鹿猫3兄弟が乗っかり、まるでムササビみたいに、両手を広げ、順番に僕のお腹に飛び降り始めたのだ。僕の頭のクモ膜下出血の手術跡に、万が一、飛び降り、猫の爪が突き刺さったらどうなる?もちろん、僕は化け猫に変身、一声叫ぶだろう。「ギャー!」