面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

般ニヤ~心経その2

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NHKの番組でクモ膜下出血の特集をやっていた。クモ膜下になると、約4割の人が亡くなり、残り3割が重度の障害、3割がなんとか、社会復帰という。手術には開頭手術して破けた血管にクリップを挟むものと、血の塊にコイルを入れるもの、血管にステントを入れるものがあるが、一番有効なのが開頭手術らしい。そしてその手術は、多分15年くらいは生きる人だろうという人に手術するという判断をするらしい。高齢やもう手遅れの人などは手術しないという選択もあるらしい。幸運にも僕はその3割に残ったわけで、僕の主治医はM先生といい、年齢は40歳くらいか。もう他の地域の病院に移られた。手術後、僕の病室の入口に膝を曲げ座り込み「もうこれで死ぬ事はありませーん」「後遺症の心配もありませーん」と壁に向かって言い放っ、ちょいと変わった先生だった。全身麻酔から目が覚めて、「あっという間に手術がおわったなー」と思っていると、僕の手術には9時間かかったそうだった。

死とは、そのまま、本人が気が付かない死もある。僕は本当に幸運だったが、それからいろいろ気持ちの整理が必要だった。なにしろ生き返ったのだから。命が助かったのだから。

何しろ、最低15年は生きることができ、天から執行猶予の時間を与えられたのだ。長いようで短い余命となる。バカ猫どもの寿命もちょうど15年くらい。このさい、一緒にあの世行きたいとも思っている。

 ちょいと、去年の今頃、調子に乗りすぎ、てんかん大発作で同じ病院に救急車ではこばれたのだが、まぁ仕方がない。生き延びる為にはリアルな学習が必要なのだ。今でも時々、ふっと意識が飛ぶときがあり、やはり運転は無理のようだ。

おととい、福岡に行く機会があり、帰りに猫カフェに立ち寄った。街中の店とは違い、郊外の寂れた街にあり、古民家の中にカフェがあった。30匹くらいはいるのか、みんなそこそこ年寄りの猫ばかり。縁側の陽だまりででみんな眠りに落ち、なかなか遊んでくれない。里親探し中の店なのだが、その猫族は高齢者の飼い主が亡くなるか、高齢で猫を飼えなくなった事情で引き取られた猫が中心なのだ。

里親としても猫が一番かわいいのは、育ち盛りのやんちゃな時なのだが、里親になって引き取っても縁側で寝てばかりおられたら引き取り手としたら面白くないのだ。カフェの引き取り手の少ない、縁側に眠る猫族のみんなは、これまでの飼い主の楽しい思い出に浸りながら眠りに落ちているのだろうな。まさか、楽しい思い出15年をもって、殺処分される猫の気持ちは想像できないし、先に逝った飼い主も無念だろう。

高齢猫の里親探しの猫カフェの発想は意外で、高齢化の日本で、その後の世話は誰が見るのかと言う問題は今後公にでてくるにちがない。

もっと大変なのは犬族だろう。犬族も猫族と同様、高齢化して里親も少なくなるだろうし、猫より人になつき、人の行動敏感で賢い犬族の将来はもっと大変だ。一匹一匹、一人一人、未来はどうなるか、これは日に日に悩ましい問題になるのだろうな。

とにかく僕はあと15年は生きなければならない。生活はどんどん苦しくなるかもしれない、どうなるか分からない。これ以上、世の中の発展は無用、共生社会を目指すべきなのだろうけど。

人でさえ高齢になり、役に立たないと思われたら棄民として処分される時代が近いかもしれないのだから。猫カフエに学ばなければいけないのは今の人族も同じなのだろうなぁ。