面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

夕焼け

 

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もう今日で7月になった。帰りの列車の車窓からはほのかにオレンジに染まった雲仙のあおい山影が見える。夕焼けの次には夕暮れがやってくる。2年前までは自宅から熊本市内の事務所まで1時間、国道を通り通勤していた。往復約80キロの道のりだ。月曜から土曜日まで毎日。熊本市内の打合せの距離を加算すると、1日100キロは走行していた。月に2400キロ、1年でおよそ3万キロ。新車買って、3年で9万キロ。中古だと、また買い替える時期になる。そうして新車を乗りつぶしてきた。運転中、何をしていたかというと、ラジオを聞いて、ひたすら目的地まで時間をつぶした。運転中、いや何かを考えていたのだが何も覚えていない。時計の秒針に刻まれるように、体に微かな疲れが蓄積される。その結果が2年前のクモ膜下だ。

死は怖いが、死ぬ前の時は恐怖を感じない。すでに体は自力での蘇生をあきらめている。もはや抵抗する力もなくなり、死を受け入れるしかない。死に抗う意識もない。静かにその時はやってくる。全身麻酔が切れ、幸いにも意識がもどるまでに僕は11時間もかけて開頭手術を受けた。体感の時間では1分にも満たない。その後1か月の入院、リハビリを終えて自宅にもどると、妹がせっせと僕の本の荷造りを始めていた。もう読まない、読めないと判断したのか。手術のおかげで、これまで積読していた本をコツコツ読み始めることにした。jR三角線で片道1時間、豊肥線に乗り換え10分。合計70分が僕の読書時間となる。雨の降る日は気圧のせいか頭が重く眠たくなるが、晴れの日は、それほど乗客は多くなく格好の読書タイムとなる。

 

ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトン。

年代物の鉄のディーゼル車はわずかな乗客を乗せ、海岸線に沿い、無人駅を辿っていく。

 

僕に残された時間は少ない。クモ膜下の開頭手術後の余命の時間はどんなに調べても、どこにも書かれていない。進行性の病ではないから、書きようがないのだろう。たいがい重度の麻痺、しびれで体に相当負担がかかり、余命は間違いなく短いだろうが、僕はどうか。麻痺も障害も残らない拾いものの命、折角だからこれまで読めなかった本を読める時に読もうと思った。そうして、これまでの暮らしを清算、生き直そうと殊勝にも思いながら本をあさるに、運悪く、谷崎潤一郎に当たってしまった。

当たりどころが悪かった。清算どころではない、谷崎のぬかるむ退廃、耽美、幻想の世界。足をとられ深みにどんどんはまる。来週は京都に行くが、谷崎の墓がある法然院の近くの宿をとることにした。そうして車窓から見る、オレンジ色の景色は、だんだん違ったものに見えてくるのだな。夕暮れのオレンジ色が終着駅の三角に着く時間には、僕の体は海の香りと淡い闇に包まれ始めた。

 

貧しい住処で僕の帰りを待つ猫どもよ。今日は誰の姿が二階の窓に映るのか。

おじさんはそうして家を出、家に帰って来るのだよ。