面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

いったサン。

田舎の交通事情は酷い。これは車の運転が出来なくなってから身に染みた。幸いにも自宅からバス停までは1分の距離にあり、まだマシなのだが、時刻表を見ると絶望する。1時間に1本どころか、2時間、3時間に1本しかないのが普通なのだ。そのバスに乗ってみて更に気が重くなる、なにしろ乗客は僕一人、貸し切りなのだ。これでは採算が合うわけがない。タクシーはどうかというと、高齢ドライバーの運転手でおそらく80歳近いおじいさん。バスの料金で200円くらいがタクシーの運賃は1,000円はする。夏に帰りのJRで、その汽車が終着のわが町の駅に着くのが7時30分で、バスが出るのが、32分。これでは年寄りやトイレに行った人など、最終のバスに乗れるわけないではないかとバス会社にメールしたら、10月のダイヤ改正で、そのバス自体が無くなっていた。これからは家人の迎えがない時は海岸線の道や、ミカン畑の道を一人歩いて帰宅することになる。駅から我が家まで、約2キロの海岸線沿いの暗い国道を、行き交う車の風圧を感じながら狭い歩道を歩くはめになる。数分おきに出る都会の地下鉄とは別世界なのだ。

 夏、自宅前のバス停に「いったサン」が立ちつくしていた。(もうベンチもなくなったのだ)「いったサン」は80は過ぎたおばあさんで、軽い認知症が入ってる。顔はミックジャガーを、くしゃくしゃしわだらけの笑顔にした日本人のおばあさんで、性格は朗らかで素直。しかし残念なことに地区の元気なおばあさん連中から馬鹿にされ、軽いイジメに会っている。(本人全然気にしてない)

地区の集会場で集まりがあった時、区長さんのありがたい挨拶時に横の僕に向かって大声で「この港にはスナメリがいると聞いたとですが、本当ですか?」と聞いた。「わたしゃ、イルカは見たことあるばってん、スナメリは見たこたぁなか!」と叫んだ。まわりで元気なおばちゃんたちの「シィッ!」という舌打ちが聞こえる。「シッ、シッィッ!黙れ!」僕は答える「イルカと違って、スナメリは背びれがないから見えんとですよ~」

そんな「いったサン」がバス停でたたずんでいる。かみさんがたまらず、車に乗せ、駅まで載せていく。「いったサン」は2時間近くバスを待つつもりだったのだ。車で送ってあげても次の汽車は1時間近く待たなければならなかった。「お盆だけん、墓参りに行くとです、車に乗せてもろてほんによかった~」「帰りはどうするとですか?」「なんなと帰ります」いったサンはケロリと気にしない。

 僕も、最近携帯を忘れたり(3回も!)帽子を忘れたり(2回!も)計算間違い多数(足し算間違える、しかも電卓で検算しても!)時間も不明。目でみて25日と言う数字は確認できるがその意味が欠落する。今日は25日だが、25日のことをストンと忘れる。待ち合わせが13時だが、12時50分になっても待ち合わせが13時と思うだけで、事務所を出ない。ぼちぼち事務所にも、仕事先にも迷惑がかかってきた。

「くも膜下」の手術時の脳の傷がもとでの若年性認知症か?血管性認知症の前兆か?治療薬、方法はないだろうから、自分で自衛するしかないのか。

土曜日、隣町で床屋をしている高校の同級生のタサキのところに髪を切りに行った。外から店内を除くと、絵に描いたような、腰の曲がった田舎の床屋のおっさん、タサキが顔を出す。椅子は3席あり一番端の席に座る。高校時、空手部で男前の男がいつの間にか変身し、田舎のひなびた床屋の親父の風貌が板についているなぁホント。適当に髪を切ってもらう。(剃刀の刃をもう少し、研いでくれ…髭にひっかかるし…)土曜の昼下がり、客はもちろん、寂れた町の通りには誰も通らない。この町は昔は港町で、昔は大いに栄えた。港にはたくさんの旅館、料理店、店が、白化したサンゴのように無人の建物が並んでいる。今はわずかばかりの漁船が、港に繋がれて波に揺れているだけだ。昔話と、お互いの老いた体の病気自慢を交わし、さっぱりした頭で店を出る。(また帽子を忘れた!)

と、いうことで…バスはあと1時間は来ない。えーい、バスが1時間後だろうが、2時間後だろうが、あせっても無駄、あきらめよ。待ち時間は全て僕のものだ。旅気分で寂れた町を彷徨い、ベンチに腰掛け、その時間を確かめ、感じ取れ。

世の中すべて自分の思うようにはならない。(そうだよな「いったサン」)乾いた風が僕の髪をなぜる。タサキよう。髪が伸びたらまた来るよ。糖尿治せよな。