面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

うつうつ風味な日々

太宰の死について考える。自死までの作品を読んでいて、切れのいい短編が大好きなのだけど、もう生きていて、死ぬほどしんどかったのだろうと思う。時は戦前、戦中。何度も空襲で焼きだされ財産を失い、幼い子供の手を引き、妻の実家に疎開したり、青森の実家に疎開したり、食うや食わずで生きてきたのだろう。それでも創作意欲は失われなかった。太宰のデリケート、ナイーブな感性はズタボロに傷ついたに違いない。弱虫の太宰は戦争は大嫌いだ。作品の中でも、戦争を作品として否定している。戦争が終わったとたんに世間は180度、大転換。その変わりようを見て彼は更に絶望したのだろうな。僕の知っている作家で戦争を否定したのはあと、金子光晴しか知らない。金子は一人息子の乾を戦争に行かせたくなくて一緒に山に逃げた。よく今でも戦争の語り部として出てくる老人がいるが、その人は戦時中、どう暮らしていたのか。軍国少年、夫人として戦争賛美していたら興ざめではないかと思う。ひねくれものの僕はついそんなことを連想するのだ。つまり、いろいろ考えるに太宰は生きているのが死ぬほど辛かったのだろうなぁ。愛人とともに、その刹那の瞬間、好きで死んだのだ。二人の思いは永遠となり、変わることはない。

今の世の中、コロナウィルスで大本営発表をマスコミは垂れ流す。大げさに言えば70年前の敗戦から日本は変わらなかったのだ。日本というより、人のこころとでもいいかえてもいい。原発が爆発しても。地震が起こりいいくら、人が死んでも。そんなことを考えるとだんだん気が沈んできた。全然、毎日が楽しくないのだ。もともとくらい性格なのだが、よけいうつ風味なのだ。何も感じないというか。

事務所のデザイナーのイワサキも本来うつ風味。なのに最近明るく、たくさんのパートの女性に囲まれ、本来なら管理する立場なのに四方八方からの声に喜々としてやがる。僕の仕事は横にバイクでトイレットペーパーやティッシュを買いに行き、帰ってこない。彼は毎日が楽しいのだ。

まぁいい。僕は毎日が全然楽しくなく、落ち込みながら仕事の日々なのだ。太宰の短編を読んでは悲しみ、読んでは「何とかならんのか!」と叫んでしまう。現実が幻想世界で、本の中の世界が現実なのだ。

今日はようやく、うつうつの日にかすかに明かりが差し込み、ブログを更新する。