面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

太陽の畑だとよ。

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テレビで、熊本の大手の製薬会社の「太陽の畑」というコマーシャルものを「見せられる」時がある。大まかに言うとその会社は裏の雑木林をつぶした場所に太陽光パネルを敷き詰め、その発電で工場、事務所の電気をすべて賄うようになりましたと、有名なナレーターが渋い声で訴えている。社内ではごみの分別、廃材を自社の畑の肥料に使っていかにもエコ。「世界が幸せになりますよう」に訴えている。僕は以前、その太陽の畑の予定地の雑木林の木の枝に下げられた「雑木林をつぶすな」という小さな木の札を見たことがある。その会社の工場の畑は広大で、その広大なパネルの下には阿蘇の山林につづく雑木林が広がっていたのだ。これはエコではなくエゴではないか?雑木林には鳥の巣もあろうし、タヌキやキツネ、いろいろな生き物が住んでいたろうし。もともと、この土地は彼らのものだったろうにと思う。つまりあのコマーシャルはエコ自慢でエゴ自慢。化粧品に脳の中まで漂白された気がするのだな。

そんなお話は健康食品サプリの世界でも多々ある。彼らは平気で嘘をつく。なにかうしろめたいものでもあるのか、自分をきれいに見せたがる。鹿児島のサプリ会社では高倉健有機無農薬で栽培したニンニクの畑の土をいかにも食べさせそうな雰囲気のコマーシャルを流し、その次は平気でうさんくさい水素水のコマーシャルを流していた。有機無農薬にんにくサプリと水素水の発想にどんなつながりがあるのかね。健さんは末期は企業のイメージに利用された挙句に、畑のどこかに埋められたのだ。今時の日本の思考経路には、どこか違和感を感じるのだな。即戦力のサプリの開発競争をしている大学がどれほどあるか。どれほど失敗しているか。目先の金儲けを目指す大学に明日はないよな。

街中でも、きれいなマンションの周辺、猫一匹が入る隙も無い場所に、少しでも猫の影がすると「猫に餌をやらないでください」という立派な看板、張り紙を見かけ、その発想の延長線上には、こどもの声がうるさいから保育園建設中止、治安が心配だから養護施設の建設中止、災害が起これば、ホームレスの避難所、出入り禁止の漂白(きれいごとばかり)思想につながる気がするのだ。

太陽の畑のコマーシャルが流れるたびに。つらく残念な思いがする。彼らには雑木林を歩いた経験もないだろうし、そこに住んでいた命を想う気もないのだろうと思う。何が太陽の畑なんだよ。寛太を膝の上に乗せ、僕はいつも嫌な思いをするのだ。