面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

猫に救われた。

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久しぶりにブログを書く。7月にツィッターを再開し、予想以上に面白かったのだ。同時にフェイスブックはほとんど閉鎖した。友人数は5~6人でそれ以上に増やすことはない。事務連絡用で他には使わないのだ。ツイッターフェイスブックについて、どうしても自己顕示欲が鼻につくし、書いていて嫌になる時がるのだ。ただ今回のツイッターについては、自分の知らないことがどんどん公開され、新聞では手に入れることのない、生きた情報を得ることができたのだ。世間の出来事など、結果は新聞で描かれ検証される。テレビでは相当ねじ曲がられた情報が無知無能な司会者、解説者、コメンテーターの垂れ流されるのことに腹がたち、見る気がしない。多分あの時、ツイッターで流されれていた動画が、テレビで流されていたのならば、選挙の結果は変わっていただろう。そんな中で、猫好きの人たちがどんどん集まってきて、いろんなコメントを交わすことが出来た。しかし、猫好きの集まりである。〇〇の会とか、持続性のあるような集まりは出来なかった。猫の集まる夜の集会のようなものだ。

ある女性のツィート

「私も猫に救われた。」
12年前、多摩川で自殺しようと思ってフラフラ歩いてたら、一匹の野良猫に、こっち来いよと言われて、土手のグラウンドに案内され、その後、猫達3匹に囲まれ、朝まで一緒にいてくれた。朝になるとさらに8匹くらい猫がやってきて、その中の一匹の猫が野鳥を捕まえて持って来てくれた。

こんなつぶやき読むと、泣けるんだよなぁ。うちの寛太も、夜に僕の頭にすりより、そのギザギザした猫舌で僕の頬をなぜてくれるのだ。精一杯。「おっちゃん、生きてるか~」「元気か~」僕も精一杯、くすぐったいのを我慢する。

猫との出会い。猫からいえば人との出会い。

奇蹟の出会い、一瞬、一瞬、気が付けばもういない。

その一瞬に救いがあるのか。