面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

京都 三月書房に行った。

 

僕の99%は過去の時間で出来ている。当然だろう、今、いるこの瞬間もすぐ過去になり、自分の未来の時間との接点は、ほんのわずか。99.99%は過去の時間で出来ている。歳も60も過ぎ、残された時間も少ない。

例えば20歳の人でも彼や彼女の思考のすべては、99.9%過去の時間の集積で完成している。ただ彼らには、これから蓄積されるであろう、数十年分の時間の固まりへのアクセスが許可されているという事なのだ。

僕ら、オヤジ達にはそのアクセスできる時間の固まりが、縮みはじめたゴム風船のようにいくら息を吹き返しても全然膨らまないのだな。結果、過去に膨らました、幻想の時間を旅することになる。

先月は40年来の友人が主催する劇団「遊劇体」の第66回公演を見学に行った。この事も過去に膨らました風船と今の時間の接点探しのようでもある。劇団「遊劇体」の第1回公演およそ30年前、京大西部講堂の裏手の野外で公演された。地面に穴を掘り、その中から泥にまみれた地中に潜む、セミ役の役者が地上に這い上がってセリフを叫ぶのが始まりだった。

当時の演劇シーンと言えば、情念、どろどろ「状況劇場派」と、それを皮肉る、素の舞台の内出血 「つかこうへい」派と乱暴に二分出来よう。今も状況劇場の流れを組む芝居集団と「つかこうへい」の流れを組む集団があるけど、「つかこうへい」の流れは、今テレビで行われるコントの流れにつながるものがあると思う。例えばその流れは「東京03」が引継ぎ、「つか流」の芝居の味を拡散している気がする。

本来、芝居はその場で見た人の記憶、感性にしか残らない現象なので、昔の事を言っても仕方がない。今になって思うのは、Noteに僕が書いた「遊劇体」の公演の批評も、熱演した役者の想いに水を差してしまった。誰がなんと言おうとも僕はそう感じただけだけど。

彼らの芝居を見に行く前に時間があったので、寺町三条の「三月書房」跡地に向かった。三月書房は2020年にリアル店舗の営業は休止し、ネット書店として営業継続された。シャッターに書かれた店内の画像は当時のまま。確か「当店は古書店ではなく新刊書店です」とか書かれた張り紙を見た気がするが…。

左のガラス戸を引き店内に入ると南面の壁には新刊本からだんだん奥にいくにつれ「吉本隆明」の本のコーナーに当たる。吉本氏の主宰する「試行」のバックナンバーもびっしり並んでいる。なんとも言えない煙草の煙が漂い、振り向くと店主さんがパイプをくわえて本を読んでいる。店内を真ん中で二分する棚もカテゴリー別に分けられ音楽系、思想系、幻想文学系…反対の棚は文庫、童話集などが並べてある。店主の近くの思想系の本は、思想家「辻潤」関連の本、虚無思想研究…黒色革命本などがびっしり。北面の棚には、ガロ系の漫画、単行本が天井までびっしり…つげ義春、林靜一、鈴木おうじ…そして海外の翻訳本など。店の一番奥のガラス戸の中には店主が選んだちょっとクセの或る本があった。その棚の中にある椿實に村山槐多…。

僕のような田舎出の無知な風太郎には、とても理解できない内容の本ばかりだが、とても他の書店ではお目にかかれない本がびっしり並んでいて、こんな世界があるもんだと、少し賢くなった気がした。京都を大学で過ごす人は、三月書房に感動しても順調にいけば4年で京都から出て行くことになる。ぼくのようなフリーターは、だらだら15年近くもうろつくことになる。

一応、辻潤の本は数冊買って読んだけど、辻潤の思想は今の時代に通じるどころか、今の時代の人が追いつけない領域にある思想と感じた。虚無思想の持主、辻潤は結果、餓死するのだ。他に僕が敬愛する詩人のどろガメこと、尾形亀之助も餓死…(尾形の詩を読んで、半年アパートに僕は引きこもった)、僕は餓死するどころか、嘘と言い訳でお腹を膨らませた人生を送ってきた。おかげでこうして昔を懐かしむことが出来る。

三月書房で僕はつまり、毒のような本ばかり読まされてきたのだ。後で聞くに作家で翻訳家「生田耕作」さんも来店されていたとの事。(氏の翻訳のセリーヌの作品は残念ながら読んでいない) ガロの本も毒だらけ。三月書房は毒の本の専門店だったのだ。そしてその毒を解毒することできないまま、当時の知ったかぶりのオヤジ、おばさんは孤独死する。(誰だって最後は孤独死)

我が記憶を構成する三月書房という混沌とした空間はシャッターが下ろされたまま。そんな思いに浸りながら、(田舎もんだから堂々と) 店舗の写真を撮る。そして、三条京阪に向かい出町柳経由、叡電で一条寺駅下車、友人の経営する「萩書房」に向かう。

※京都の詩人「黒瀬克己」さんの詩集も三月書房で買った。「幻灯機の中で」「ラムネの日から」2冊組。レジに持っていくと店主は「黒瀨さんをご存じですか?」と少し驚いたように聞かれたが、僕は会った事はなかった。しかしその詩集を僕は、何度も読み返した。まるで親しい友人の本のように。