面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

不思議な1年だった。


今年は不思議な1年だった。

まだあと1か月残っているけどね。

ある時ふと、縄文時代の土器、土偶に心引き寄せられ、

6月には念願の本物の縄文土偶を長野の岡谷市まで見に行った。

目の前に国宝の縄文のビーナス、仮面のビーナスを見、

手元にある大きな縄文土器を上から眺め

その土器の匂いを嗅ぎ、土器の中の空気を吸った。

 

熊本から強行軍の旅だったが、これが最後と名古屋から松本行の特急に乗り、

尖石縄文考古館を見てトンボ返りに京都に戻り、

翌日は猛暑の奈良の法隆寺に行った。

何を見に行ったかと言うと五重塔の下にある塑像を見に行ったのだ。

ついでに五重塔を東西南北、支える邪鬼と交流した。

 

たまたまだが、岡谷市の観光案内で長野の諏訪神社は山の神を祀る神社で

明治の廃仏稀釈で貴重な仏像が破壊、放棄された有名な神社だと知った。

諏訪神社は全国に約1万もあるという「諏訪神社」の総本山。

 

そうして天草に立ち寄ったて見たのが天草の諏訪神社

更に更に、手に取り、読み始めたのが、民俗学者折口信夫」の死者の書

 

自分の生涯のテーマが五家荘の自然の中の迷宮に棲むことで

釈迦院、尺間神社の歴史を調べ、学ぶうちにたどり着いたのが

国見岳の信仰の事とお隣、椎葉村修験道、神楽の系譜。

 

そうしてまた訪れたのがお隣、天草市矢岳神社

そして倉岳神社、同じく倉岳町にある諏訪神社

諏訪神社は海岸に鳥居が建てられ、

海からの神を迎えている神社でもある。

 

折口信夫の視点から見れば、海の向こうの常世の入り口が

諏訪神社の鳥居となる。諏訪神社の鳥居の下には

縄文、弥生時代の土器が発見された。

 

縄文から現代まで僕の短い現世の時の中で

鈍く点滅する、山々の神社の鈍い光、

稜線を歩く、山伏、修験者の足音。

風の音。

短い1年の時の中で

僕の頭の中に起った収拾のつかない出来事。

 

例えば、本を読むにしても

いつか読もうと積読していた本はそっちのけ、

残された時間の中で読みたい本、読むべき本を

選び、手に取るべきなのだ、と思うようになった。

 

心理学者の有名な、河合隼雄氏も

それまで信じていなかった夢診断から

西洋の科学的な心理実験を認め

帰国後は、日本人の夢診断へ研究が移り、

そこで、明恵という有名な僧侶が

生涯自分の夢を記録していた事に気が付き

明恵という僧侶の夢の診断を始め

日本人の心理分析を極めようとした。

 

明恵の唱える「華厳経」は

森羅万象、宇宙の事はすべて繋がりがあるという

壮大な教えで、河合氏はその思想に

大いに感銘したそうで。

小さな僕の脳の器にあふれる

知の山々。その山と山をつなぐ稜線の上を

危うく歩いてきた、1年だった。

 

普段は月に1度は五家荘の山を歩き、

草花なの写真を撮り、山の精霊と会話して、

心を落ち着かせていたのだが、

今夏の大雨で肝心の林道も大崩落

山への道が遠のいた。

 

そんな時間の中で出会ったのが

古代文化、自然崇拝の宗教の世界だった。

気になるのは昨日の夢で僕は、常世の世界に

膝を立て、半歩進んだという変な夢を見たことだ。