面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

京都にZABO ( ザボ ) という喫茶店があった。

前回の記事に続いて、今回も京都の思い出を勢いにまかせて書こうと思う。

昔、河原町三条から少し上がった東側、朝日会館の横の古びたビルの地下にJAZZ喫茶「ザボ」があった。全盛期は確か1970年代から80年。階段を降りて、ドアを開けると店の中はL字型になっていて、巨大なスピーカーからテナーサックスの音が響く。尖がったトランペットの音が暗がりから飛んで来る。壁の色は黒くぬられ、ほとんど一人がけのイスばかりで、そのL字の曲がり角にスピーカーが置かれ、モダンジャズのリズムがずんずんと店内をうねり歩いていた。

僕に店の存在を教えてくれたのが京大の理学部のFさんで、一時期、僕は彼とザイルを結び、岩山に登っていた。Fさんは大学を卒業すると高校教師になると語っていた。つい数年前、不意に彼の名前を思い出し、フェイスブックで検索するに、故郷福岡でFさんは立派な教師になり、定年退職され、たくさんの教え子から賛辞の言葉を送られていた。恐るべしフェイスブック。時空を超えた点と点がパソコン上で結ばれたのだ。Fさんは僕の事を思い出すことはないだろうけど。

Fさんも僕も当時20歳代、ザボの屈折した空間でモダンジャズを聴いていた。コーヒー1杯で2時間。僕は当時から無職で無色。ハイライトの吸い殻を灰皿に10本並べた頃に、「もう帰りい…」との合図代わりの、熱い梅コブ茶の1杯が店から出されてくるのだ。

ザボは無知な僕にいろいろなジャズを聞かせてくれた。ジョンコルトレーンの「マイフェバリットシング」のライブ盤の熱演には驚いた。 ( 最後まで真面目に聴くと頭がおかしくなる ) マービンピーターソンの圧倒的なトランペットの狂演「ハンニバル」の音符の海に溺れて沈んだ。近藤等則氏の海外版のフリージャズの1枚もここで初めて聞いた。当時の京都の街中にはジャズ喫茶がひしめき、「蝶類図鑑」や「ビック・ボーイ」「しあんくれーる」などあったが、僕のお気に入りの店、ジャズの名盤を教えてくれるのがザボだった。

客もちょっとひねた感じの男ばかり。狭いトイレの汚物入れにはゲバ字で赤く「赤軍」と書かれてあった。( 現役の赤軍兵士の置き土産なのだろう )。店主は黒木さんという女性で、うつむきがちにいつも微笑んでいた。ある時、演奏中のレコードの横に自費出版の本が売られてるのを見つけた。独特のペンタッチで描かれた漫画の本と言うか、詩集のようなものだった。作者は成山祐二 ( なるやまゆうじん ) さんで、奇遇にも僕が下宿していた京都の北部の岩倉に住んでいた。成山さんはすでに25歳で亡くなり、その作品集が遺作なのだ。悩み傷つき、最後の作品の絵の上には、細い線書かれたいくつも×印が見える。作品の中には太宰治と思われる人物も出て来て、その本に書かれてある氏の悩み、迷いが理解できなくても、何だかわけのわかない不安、苦しみは僕にも共感できたと思う。主人公は都会の地下道に迷い、どんどん坂道を降りて行く…どんどん自分を突き詰めて、その事を作品化していくと何も書けなくなる時がきて、心は危険な水域に沈み始めるのだろうか。

僕も一人、岩倉の下宿に寝っ転がり、天井を眺め、日銭を稼ぎながらその日暮らしを続けていた。僕には氏のような絵を書く技術も、豊かな感受性も何もなかった。今もってザボの思い出と、読了できない、未完の本を持ち続けている。

作品の途中で主人公と暮らしている彼女が出て来る。若い二人には居酒屋でも人と押し合いへしあい、落ち着き座る席がないのだ。いろいろ迷っているうちに席を奪われ、酔っ払いのオヤジに絡まれる。作品に出て来る彼女のイニシャルはK。後で気が付くに、そのKはザボの店主、黒木さんの事だった。

 

 

煙草の煙で白くモヤのかかった店を出、階段を登り、町に出ると、目の前の夜空にはいきなりネオンライトがきらめき、耳元には一斉にバブル前の京都の繁華街の喧騒が響き始めた。僕は自転車にまたがり街を抜け、坂道を登り岩倉の下宿への暗い夜道を辿るのだった。

その作品集で教えてもらった、セロニアス・モンクの「ブラック・ホーク」を今でも僕は時々聞くのだ。ごまかしながら生き延びて来たけど、僕はまだ迷路の中にいて抜け出せない事だけが、よく分かる。下書きのかすれた線のように、僕の意識も思い出も、セリフも何度も書き直され、主人公の顔も黒く斜線が引かれモンクの音の中に消えていく。