面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

京都 萩書房に行った 今年2回目

 

知人の主宰する劇団遊劇体の公演の見学の前、なつかしの三月書房の前を通り写真を撮り、京阪三条から出町柳、そこから満員の叡電に乗り一条寺下車、久しぶりの古書店 萩書房に向かった。

叡電がゴトゴト狭苦しい京都の家々の間を縫うように走る時、その車窓から眺める市井の景色が僕は好きだ。古都の地下の暗がりを一方的に走る地下鉄はつまらない。一乗寺電停から右に曲がり通りを歩くと、かの有名な書店・恵文社がある。僕は反対に左に曲がり萩書房さんに向かう。人通りが多い。通りの左側はスーパーだが、昔は京一会館という名画座があった。キャッチコピーは「洛北のシネマサロン」(苦笑) 入れ替え制がない時代で、学生料金たった500円で名画が3本観れた。京一会館ではポルノ映画と邦画・洋画の名作3本立てのメニューが交互に上映され、運営は京大の映画部に任されていた。映画監督の瀬々氏も京大の映画部だった。(ポルノも名作そろい!)

 昼に入り、映画を見終わり外に出ると、通りは夕闇に包まれ始めていた。横の王将でギョーザを2人前食べ、自転車を漕ぎ下宿に戻る。暗がりの部屋の中で持て余す一人の時間がたまらないから、僕はこの映画館までやって来た。そして又、映画館の暗がりから下宿の部屋の暗がりに帰る。一乗寺は学生の町だから、当時の僕と同じ思いで天井の染みを眺めている若者は今も居るだろう。

歩いて5分。萩書房の前に立つ。この店だけは当時のまま。ひょうひょうとした店主の井上氏は、いつも奥の崩れかかった古書に囲まれて30年じっとして居る。残念だが、氏は所用で店には不在、なんと後継者候補の娘さんが店番をしていた。店内も今まで真ん中を仕切られていた書棚がなくなり、おかげで店内をすっきり見渡すことが出来る。どうやらこの発案は娘さんの案らしい。古書店にもそれ相応の暗がりが必要だと思うが、少しでも見やすく、分かりやすくという思いからだろう。今や古書もネットで検索し売り買いする時代だ。リアル店舗ならではの古書との出会いがあるし、その思わぬ出会いが楽しみでもあるのだけど。古書は古い友人との出会いでもあり別れでもあり、新刊本は初めて出会う新しい人物と例えよう。

事前に井上氏に捜索をお願いしていた俳人、尾崎放哉の本(上田都史著)を買う。それと、店内をうろついて発見した「埴谷雄高」(毎日新聞社発行)のインタビュー本を買う。

尾崎放哉は山頭火と並ぶ自由律の俳人。今更思う。良い本は読む年代で受ける感想が変わるものだ。尾崎放哉は41歳で生涯を閉じ、読むことのできる作品数は少ない。その俳句を読む度に受け取る自分の気持ちは変化するもんだなぁと感じる。肺結核などでやせ細り小豆島の庵で一人亡くなった放哉。山頭火は58歳で亡くなったが、病気ではなく、泥酔し心臓麻痺で亡くなったとある。放哉と違い、山頭火には酒を酌み交わす友が居るのだ。ひねくれ者で友人の居ない僕は、最近余計に尾崎放哉の句が沁み入るのだ。そうして放哉愛読者は一人、一人、放哉終焉の地、小豆島の南郷庵への道を辿るのだろう。

僕自体は残念ながら、一乗寺界隈に住んだ事はないが、この小さなエリアに書店が並び、ひなびた喫茶店があり、今も若い人が行き来する雰囲気がなつかしい。だから、萩書房さんには機会があればまた通いたいと思う。娘さんオリジナルの猫のイラストの名刺が良い。夕暮れになると、居ても立っても居られない若かりし頃の自分が居る…のではなく、すでにあきらめの心境で、夕闇に静かに溶けて行く自分の姿が見える。