面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

「君たちはどう生きるか」を見た。 くも猫、映画批評編。

 

スタジオジブリ 宮崎駿 監督「君たちはどう生きるか」を見た。くも、ねこ映画批評編。事前の予告も、紹介サイトも何もない。「君たちはどう見るか?」というアニメ映画なのだけど、ようやく映画批評が出始めた。要するにみんな様子を見ていたのだ。
特にマスコミ、映画評論家の面々が下手な批評をすると倍返しにあう。世間の批評をまず読み、自分のポジションで批評を書かねばならん。僕のような、素人のレビューならどうでもいいと思われるが、ちっとは名の知れた人なら下手は打てない。何しろ相手は世界の宮崎駿なのだからして。そもそも事前告知も何もないアニメをどう評価するか、ストーリーをどう説明するか。この前、新聞でベタ褒めしていた評論家が居た。この人は何回観たのか?この人はまるで、解説者ではないか。

例を挙げれば黒沢明大島渚監督の晩年の愚作・駄作を誰がちゃんと批評したか。北野武の晩年の愚作・駄作を誰がちゃんと批評したか。(あ、武はまだ生きている)

素人のレビュー口コミでも、みんな結構意識しているんだよな。素直に「駄作、よく分からないという人」あれば、いゃあ「面白かった」という「難解」な人あり。

日曜の朝、仕事徹夜で朝帰り、たまにはみんなで映画見ましょうよと、かみさんの声。「わーい、映画だ、映画だ」と喜び飛び跳ねる小学生の娘。「トトロ、トトロ」と踊りを踊る、中学のお姉ちゃんは「うるさい、静かにして!」と妹を叱りながら期待に胸を膨らませる。そんな家族で、映画館前のマクドナルドで朝日を浴びながらハンバーグをかじる。

そんな家族は「君たちはどう生きるか」なんて観たらいかん。開演から10分で親父は眠りに落ち、下の娘は「トトロ…トトロはどこ?」と呟き、後ろの席の奴から、うるせぇと蹴りを入れられる。お姉ちゃんもうつむいたまま終わりを待つ。お母さんもいつしかスッと眠りに落ちる。

ま、アニメ映画のようで、映画でなし。難解な哲学本のようでもある。つまり1回読んだだけではその本の中身は理解できないのだ。ではあと1回見たら「分かるか?」この映画の批評の基準は「分かるか分からないか?」、では何を分かるか?分からないか?そんな映画って前代未聞。

単純に言えば僕は、主人公の父が嫌いだ。軍需産業で一山当て、財をなし、贅沢三昧。このオヤジが敗戦後、没落したら楽しみだわい、と期待した。
広大な屋敷に何か仕掛けがあるのか…主人公の青年がサギに誘われ、川の向こうの不思議な塔を見つけその中に入る…

その塔の中には、いろいろな時空の世界があり、彼はその世界の中を、母を探して彷徨う。途中、古代を渡る船や、インコの国をさ迷いながら草原の上で博士と出会う。

途中、何段階か絵のタッチが変わり、登場人物のタッチも変わる。(だんだん雑になる) 彼を保護する、こけし婆さんたち。サギが彼の友人でもあり敵でもある。その塔から出てきて彼は親父に発見され救助される。金の亡者のオヤジの心は不変。相変わらず軍国主義ゼロ戦の部品製造でしこたま儲かったのだろうな。

おそらく数か月でも経てば、このアニメの読解本でも発刊され、我が国の知的文化人の解説、対談もありそうな気がする。その中では誰も睡魔と戦ったとか、トトロは出てこなかったとかは言わない。「そんたく」まみれでそんな事言ったら大変なのだ。みんな賢い人に見られたいのだ「文化人気取りで、実は何を言っているのかよく分からない人」が多いけど。

古代の石棺とか、海の神などの世界が描かれるけど、そんな雰囲気を楽しむなら、民俗学の本を読むのが良い。例えば、折口信夫の「死者の書」。この本か何回読んでも難解。石棺に閉じ込められた死者が生前に恋した女の事を想い、女を探す物語は、何回読んでも拒否されるが、何回読んでも引き込まれる世界がある。折口の「死者の書」はアニメでもなんでもない。ただ、一冊の本なのだ。

最近アニメでも、新海誠の「すずめの戸締り」など古代をモチーフにした作品が多いけど、その奥深い世界をアニメ、動画でなぞるだけの作品ばかりでどうしても古代の深い闇の世界に入ることは出来ない…というか観客に向けての表現は困難を極めるだけだろう。何故なら古代の神は言葉を持たない。人が感じるか、感じないかだけ。

ま、僕もうだうだしているうちに、ネットでようやくレビューが出始めて来た。

般若心経の一文で「色即是空、空即是色」という文がある。空は無ではなく、空のコップ。色は存在するもの。但し、空のコップという入れ物があるからこそ、色は存在できる。

色即是空、空即是色。色も空も行ったり来たり。存在したり、消えたり。

君たちはどう考えるかも、空のコップに入れられた、物語…というか宮崎監督の思考。宮崎監督のとりとめもない思考は、アニメのコップの中に注がれ、波打っている。そのアニメをどう感じるか、観客は自分の空のコップの中で、どうすくい取るか?そのコップの形、大きさ、深さで映画の感想も各自各様。

これは問題発言だが…監督の思考が少しおかしくなっていたとしたら?その捉えようのない、脳内の世界を表現力のある監督だから、アニメの表現としては形にしてしまったんじゃ?それを見せられてありがたがっているんじゃ?

かく言う、僕の頭の中のコップは変形し、底が浅く、しかもガラス部分にひびが入り、かって透明だったガラスもひずんで曇っている。そんな入れ物で現実の情報をすくい、こうしてアニメを見たり、偉そうに、賢そうにしている輩をガラス越しに斜めに見ているのだけど。

映画を見ただけで良い。後から販売される映画パンフなぞ、絶対買わない。
「私は3回見て分かりました。いゃ、私なんて5回見て少しだけ」…摩訶不思議というか、馬鹿不思議ワールド。
毎年、2月頃に発刊される「映画批評」(まだ潰れてないよね) という雑誌では、前年上映された映画のワースト映画ベスト10が発表される。映画芸術の思想の偏った映画批評家どもが「そんたくなし」に批評し、ワースト10を決める。このアニメ映画はワースト1、確定の映画だろう。

この本なら買う。