面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

山の精を浴びに行く

 

前回の2023年極私的山開きから、あっという間に時間が経ってしまった。

(6月18日)天気予報は曇りのち晴れ…

これはあくまでも下界の天気予報。朝7時過ぎに家を出て、山に向かえば向かうほど

雨脚は強くなる。重く暗い空…とても晴れそうにない。だが、もともと雨男の自分だし、今の時期なら寒くもない。優しい春の雨と覚悟を決め峠を越える。

 

例年なら白鳥山に行くところ、林道の復旧にはあと数年かかるとの情報もあり、山に登るのはお休み。写真を撮りに行くのが目的なのだ。たまには川に降りていつもと違うアングルから写真撮影という選択肢もあるけど、流石五家荘。ここぞというポイントにはヤマメ釣りの車が居る。景色が良さそうな川のあちこち、木陰にこっそり、さりげなく停めてある。僕も過去は下手な釣り人だったが、ヤマメにのぼせると、多少の雨でもひたすら竿を降るのだ。そんな時釣り人の背中を見ると(怒りで)白い湯気が出ている時がある。(そう簡単に釣れやしないし、なにしろ漁券が高すぎる。球磨川エリアは1日2千円もする!)

 

まったく雨も上がる気配もないので、いっそのことと栴檀の滝に向かった。滝の精を浴びるのも良しと思ったのだ。森の中には「フィトンチッド」という木々が発する成分があり、動物のように自由に動くことのできない植物が、自分の身を害虫や有害な細菌から身を護る為に、発生する森の精気の事を言うそうな。その香り成分は、人の気持ちを落ち着かせる効果もあり、森林浴は身も心もリフレッシュさせてくれるとも言われている。

 

 

ただ僕から言わせれば「山の精」とは山に古代から棲む「精霊」の事なのだ。つまり五家荘の山々は間違いなく精霊の棲む山なのだ。

 

数年前から縄文時代のとりこになった僕は、「忙しい仕事の暇を見て」…ではなく、「暇な会社のスキを見て言い訳を作り」しばし短い旅に出た。

 

2年続けて長野の尖石縄文考古館、井戸尻考古館…更に諏訪大社を回った。

7年に一度開催される、日本三大奇祭の一つ「御柱祭り」で有名な諏訪大社は、諏訪湖を挟み、本宮、前宮、春宮、秋宮があり、広大な諏訪湖を4本の御柱で囲み結界を結んでいるようにも見える。諏訪大社の祀る神は「タケミナカタのカミ」。実は諏訪神社の本当の神は縄文の神、森の精霊、「ミシャグジ」の神なのだ。

 

縄文時代は今から約1万5000年前に始まり、それから1万年以上も続いた。その1万年の期間は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されている。その長い期間、縄文人は争いもせず、自然の恵みに感謝しながら共生社会を営んできた。森の中で狩りをし、木の実を取り、集落を作り、部族みんなで助け合って暮らしてきた。その暮らしの中で、世界に類を見ない土器・土偶が産まれたのだ。彼らの寿命はおそらく30歳から40歳。遺跡からは生まれた子供の足型を押した焼き物もたくさん出て来た。その足型には穴が開けられ、子供の成長に合わせて住処に飾っていた。(そんな足型が北海道の遺跡からはざくざく出てきている) そんな彼らの神が自然の神「ミシャグジ」の神なのだ。ミシャグジの神の姿は石柱か木偶の姿。日本書紀などで書かれた神が産まれる以前の話。

 

弥生時代になると、時代は一変。国が出来、貧富の差が出来、人が人を支配し争い領土を奪い合う。これまで海彦、山彦の昔話での物々交換でお互いの気持ちを伝えあう時代から、貨幣が出来て、貨幣が価値を決め集落は発展するが、殺伐とした時代となる。中国大陸から略奪、戦争が始まり人と人が殺し合う。佐賀の吉野ケ里遺跡も当時の遺跡がそのまま。戦で死んだ数えきれない村人の棺桶が地中に埋まったままになっている。僕は去年、初めて現地を見学したが鳥肌が立った。悲しいかな僕には弥生人の争いの姿しか見えてこない。(素人ながら断言…)弥生時代に縄文に勝るような表現の土器、土偶はない。卑弥呼なんぞ、どうでもいい。卑弥呼が死ねば、次の誰かが支配者になるだけ。それがどうしたと思う。

 

 

泉村の村誌によれば、村にも縄文の遺跡があった。乙川遺跡・柿迫坂木遺跡・椎原遺跡・矢山遺跡など。これだけたくさんの数が一つの村内にあるなんて!間違いなく、五家荘の山にもミシャグジ様は居たのだ。だから国見岳の山頂にも祭祀の跡がある。

古代人は時に山頂から山の神、自然の神に祈りを捧げたのだ。縄文関連の本を読むに、ものすごい山奥の山にも縄文人の祈りの跡があり、研究者はその跡は「狩のついでに立ち寄った、ついでの祈りではないか」と思っていたが、研究の結果、彼らはついでに祈ったのではなく、自然への祈りの儀式の為に、敢えて険しい山を登っていた事が分った。

 

3月に亡くなった音楽家坂本龍一さんも縄文の大ファンで、「縄文巡礼」という本では、宗教学者中沢新一氏と日本国内の縄文の史跡や諏訪大社、北は青森、南は奄美まで自然の神を探して巡礼されていた。坂本氏の知識は専門家並みで、中沢氏との会話も深い内容ばかりだった。坂本氏は晩年、自然が奏でる音を録音してみたり雑踏の音にも耳をすまし、作曲の参考にされていた。

 

まぁそんな事で、僕は滝つぼからのしぶきを浴び、空から雨の雫を受け、森の精霊の中でカメラのシャッターを押した。

濡れた体でのとぼとぼ、ぼとぼとの帰り道、枯れ草を踏み坂道を登ると、行きには気が付かなかった花が、道のわきに一輪咲いていた。この子らの、恥ずかしそうにうつむき花弁を開く姿に、僕は心救われた。山の精のご挨拶なのか。

 

 

坂本龍一さんの魂も、深い森の奥で音の精霊になられたのだな。