面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

4月になれば彼女は

東京に住む、丸ちゃんから、昨日メッセージが来た

丸ちゃんは荻窪古書店を経営している僕の悪友だ。

 

もう40年以上も前の春、

京都の大学のキャンパスで僕らは出会った。

夜間だったので、その時、

桜が咲いていたかは覚えていない。

 

学生会館の演劇部の部室に一人、彼は居た。

二人で素人芝居をやることになった。

 

隣の美術部の部室にはN女史が居た。

彼女に演劇のポスターのイラストを描いてもらった。

 

講義が終わり、暗い部室に集まってきたのは、

みんな、どこからかはぐれて来たような奴等ばかりだった。

 

そんな連中でも、春には何かが起りそうな、

わくわくしたような気持ちで、胸がいっぱいだった。

 

二十歳の頃、

丸ちゃん、Nさんらは大学を辞め、

東京へ旅立った。

 

もっともっと、何かが起りそうな

東京に行きたかったのだろう。

僕は一人、京都に残った。

 

それから40年経った今も、

3人のつながりは目に見えない

細い糸で繋がっていた。

 

僕らにとって

デジタル化の唯一の恩恵は

何十年経っても、いくら離れていても

連絡が取り合う事ができる事だ。

 

昨日の丸ちゃんのメッセージでは

Nさんの体はすでに癌に侵され、

気が付いた時には、

ステージも終わりに近いそうだ。

 

田舎のお姉さんが

一人暮らしのNさんの部屋を整理し、

彼女の本の始末を

丸ちゃんに依頼してきたのだ。

 

Nさんはすでに、

病院の四角の白い部屋で

シミのついた天井を眺めているのだろう。

 

これまで鬱の空間に棲み、

一人悩み、都会の暗がりで

ひっそり息を潜めて暮らしていたNさん。

 

4月になれば、

僕もNさんに会いに行くと

丸ちゃんに伝えた。

 

丸ちゃんは3月中に一回、病院を訪れ

僕に様子を伝えると答えてくれた。

 

「4月になれば、4月になれば。」

 

あの頃、サイモンとガーファンクル

「4月になれば」という歌を

よく聞いていたっけ。

 

老いさらばえた僕の胸の中にも

わずかに、青いものが残っていた。

 

Nさん「4月になれば」会いに行くよ。

 

「4月になれば彼女は」

April come she will

When streams are ripe and swelled with rain;

May, she will stay,

Resting in my arms again

 

4月になれば、彼女はやってくるだろう。

小さなせせらぎが雨の雫で満たされる。

 

5月、彼女は

僕の腕の中で静かに眠り続けてくれるだろう。

 

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おやすみ、Nさん。