面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

4月になれば彼女は ( その2 )

 

もう5月も末になった。40年来の友人のN女史が、がんに侵されたという情報を東京で古書店を営む丸ちゃんからのラインで知ったのは3月の始めの頃。「四月になれば彼女は」というブログを書いたのが3月18日。

 

去年の暮、違うグループのカミやんから、みんなで久しぶりに飯食べに行ったとのコメントと、食事風景の写真が送られて来た。その写真ではNさんは穏やかに笑みを浮かべていたが、おそらくその時期から体はがんに侵されていたのだろう。

年が明け、体の変調に気が付いたNさんが診察を受けると、すでにがんのステージは4を超えていた。孤独で死を恐れないNさんだが、さすがに抗がん剤の副作用は応えたらしい。熊本から東京までお見舞いに行くと意気込んでいた僕だが、彼女は副作用で流動食をやっと摂れるくらいで、とても人と会う気にはなれないらしい。死期を悟った彼女は丸ちゃんに自宅の本やレコードの始末を頼んだ。身寄りのないNさん。体調が悪い中、治療はもちろん、自分のこれまでの暮らしの始末も相当大変だろうに。

あの時代、京都から東京に出て行った奴らは、みんな故郷を棄て東京で根を生やそうとしていたに違いない。僕のように京都でくすぶり、結果、故郷に帰れた奴は幸運かもしれない。

しばらくして彼女から連絡があり、みんなでズーム会議をしましょうと連絡があった。4月23日午後8時。僕らはパソコンの中で再会した。メンバーはNさん、丸ちゃん、カルベさんと僕。せいぜい1時間かと思っていたが話は盛り上がり、2時間を超えた。最後はいつもの締めで、丸ちゃんとカルベさんの平和理想論と現実あきらめ論のもつれあい。気が付くとNさんの頭はきれいな白い肌だけ。帽子を取ると黒い髪は抜け落ちていた。

「4月になれば彼女」という曲はサイモンとガーファンクルの名曲。

ネットで検索するに、「ポールサイモンソングブック(1965年)」というCDを見つけた。アートガーファンクルとコンビを組む前のポールサイモンの弾き語りのCDだった。売れる前の粗削りだけどその分、ポールの思いが伝わってくる。繰り返しその思いを聴く。

 

先週の日曜日、近くの里山を歩いて、東京の空の事を想った。ふと、足元に名も知らぬ花が咲いていた。

 

最近のNHKの朝ドラの影響かどうかは分からないけど、(このドラマは嫌いではない) 日本中でどことなく「雑草と言う名の草はありません」とかいう、したり顔の言葉が飛び交い、気味が悪い。「普段は雑草という名の雑草など気にしない」人に限ってそう言いたがる。人前でいい人ぶって自分の人格の良さををアピールする人物を僕は余り好きではない。

 

野よ、花よ。あなたたちに名前があろうが、なかろうが、どうだっていいではないか。

人間が勝手につけた名前に満足するのは人間だけ。雑草にまみれ、背を伸ばす雑草。風に吹かれ、首を伸ばし花弁を揺らす雑花。ちいさな、ちいさな雑花。

 

 

野よ、花よ。僕らにも名前があろうが、なかろうが、どうだっていいではないか。東京の人ごみ、雑踏の中で、Nさんはちいさな花を咲かせた。さよならNさん。