面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

1000日目

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10月は僕にとって魔の月なのだ。

 

ちょうど3年前の10月、熊本の秘境、五家荘で道に迷い、谷に落ち、岩陰で一夜を過ごし、更に谷に落ち山をさまよい、川を渡り林道に這い上がり、一命をとりとめた。あと数分で捜索隊が出動するところだった。

 

その翌年の2018年1月27日に自宅でクモ膜下を発症し、開頭手術で脳の破れた血管に3か所クリッピング手術を受けた。2週間、生死の境界をさまよい(なんでもさまよう…)幸い後遺症もなく奇跡的に社会に復帰した。入院リハビリ合わせて2か月、仕事は相変わらず無茶を続けた。先生からはもう死ぬことはないと言われた。当時の頭の中は一日中、針を落とされ続けているような尖った頭痛に見舞われていたが、それでも仕方なしと車を自宅から市内の事務所まで往復2時間走らせていた。帰宅時、秋の夕暮れ、対向車のライトがまぶしくて仕方なかった。右の口の横がぴくぴく引きつりだしたが、それが何の兆候か分からなかったのだ。そして10月末に、打ち合わせ先の事務所で全身硬直、顔の左部分が誰かのいたずらのような大きな力でひねられ、顔がよがみ気を失い救急車で運ばれた。脳の傷と過労が原因の症候性てんかんの大発作だった。

 

その発作から丸2年。車の運転が禁止され、通勤にJR三角線豊肥線を乗り継ぎ、往復4時間近い通勤となった。今月でようやく運転解禁となるが、かすかなめまいと頭痛は収まらない。先日、あまりにもめまいがするので脳神経外科に行き薬を処方された。老いた医師は「命があるだけ幸運たい」と笑顔で僕を励ましてくれた。

 

処方された「めまいの薬」の副作用は「めまい」(苦笑)

めまいは軽く収まったが今度は頭の中がキンキンと傷む。昼間、事務所で体や気持ちがどんと落ち込み、昼になるとやる気はなくなり生きる気力もなくなり、全身が椅子に溶けそうになる。死にたいとは思わないが、生きる気がしないのだ。

 

いまさら思うに、山の遭難にしても、クモ膜下にしても…なにしろ頭の中が血だらけでも救急車を呼ばず、翌朝自分で運転して熊本市内の脳外科に行ったのだ…もちろん、済生会へ即入院、手術になったが…仕事にしても…半年もたたないうちに、博多のホテルのイベントに参加した…更に、山の写真集を出しアマゾンで販売開始…はたから見ればメチャクチャなのだ。死にたくて体を酷使していたにかもしれないが、歯止めがかからなかった。

 

そんな無理の代償がまた疲れとなり、最近の頭痛、めまいの原因かもしれない。クモ膜下後、いろんなサイトで術後の寿命を調べたりした。もちろんクモ膜下は外科的な脳の病気で個人差が激しく、正確に寿命が分かるわけではない、ガンなど進行具合でステージが分かるのだろうが、僕の場合は、強運にも手術は成功したのだ。病気などしなくても男の場合、60歳まで生きれただけでも良かったと思うべきなのだろうが。

 

「クモ膜下友の会」…そんな会があるとすればだ…生き残った人間が約半分、その半分が重度の後遺症、麻痺で、「生きる苦難の最中の人々」は僕のようにのんきにブログなど書いている暇などない。では最後に残った約3分の1の人々はどうしているか…サイトで検索しても中々出てこない。

 

たまたまスマホで計算したが、10月23日が、脳の手術から1000日目だった。死線をさまよった後、僕の過去には1000日の時間だけ確実に刻まれていた。これからは体力が落ちるにつれ、違う形での後遺症が出てくる可能性もある。真綿で首を絞められる長い苦しみが続くかも知れない。ブログの駄文書きにしても、ピンボケ写真にしても、自分の足元で感じた思いをつづるしかないのだけど。あと何年生きるか?分からないことを悩んでも仕方ない。1000日プラス、アルファと考えたら、少し気が楽になった。

 

めまい止めの薬を飲むのを止めたら金属音のようなキンキンした痛みが止まる…

気は楽になったが、めまいは止まぬ…ここ1週間、夜の9時には眠りにつく。深夜に目が覚め、また気分が落ち込む。足元に居る猫のポン太が心配そうにあくびをする。そんなあくびに、ひととき救われる夜なのだ。