面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

蝶の道

 嗚呼、どうしてもめまいが収まらない。ひどいめまいではないが、軽いのが続くのだ。

一日中、そんな軽いめまいの薄い膜の中に意識がある。もう死ぬまで解放はされないのかもしれないが。先日、脳外科で処方されためまい止めの薬「ケタス」は一時的に効いたが、ケタスの副作用はめまいであり、違うめまいの症状が出たので、自己判断でやめる。病院でよく言われるのが、脳の傷が原因で治しようのない症状について「命があっただけでも良かったではないか」という、慰めというか、励ましにもならない苦笑い気味の言葉だが、確かに、苦笑しながら余命を生きる術しかないのだろう。病気も個性ととらえよう。

更に軽い鬱的な気分があり、毎晩パキシルのお世話になる。気分がズーンと沈みゆく明けきらない朝、ラジオのつぶやきを聞く。

寛太が「生きてるか?おっさん」とクンクン、クスクス鼻息、鼻水を吐きながら布団を覗きに来て横になる。寒さを静かに感じる秋の朝。寛太の鼻は低く、もともと蓄膿症的な症状がある。

 

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紅葉の写真を撮りに行くのは来週の日曜として、余る時間をまた、隣町、網田地区の田畑をぶらつく。11月でもまだまだ蝶は居るものだ。草むらに舞う、小さな白い三角形のはかない蝶たち。その蝶に誘われたどり着いたのが、小さな窯元。工房青弥(せいや)さん。離れの作業場兼、販売所にはアクセサリーや陶器が展示販売されてある。入り口には手入れが行きとどいた庭があり、小さな花々が咲いている。その花々のかわいらしいことよ。庭をみているだけでもセンスを感じることができる。声をかけると、庭の奥で声がして、掃除の手をとめ主の梅田さんが出て来てくれた。気さくにいろいろ話を聞かせてくれた。ふと店内に、旅する蝶「アサギマダラ」の写真のパネルがあることに気が付く。「アサギマダラ」は今夏、五家荘の峠、標高1500メートル、キレンゲショウマの群生地の中で初めて見かけた蝶だった。中型の美しい蝶で、その名の通り、薄い浅葱色の羽にはスジの文様があり、真っ黒のお腹には白いまだらの点がある。後で調べるに日本、台湾と旅する蝶として有名なのだ。そんな蝶が、標高5メートル?くらいの場所に降りてくるなんて。その窯元の庭に咲く「フジバカマ」の花の蜜を吸いに来るそうなのだ。網田の窯元の花は彼らの日本から台湾までの海沿いの休憩地なのか。草花や生き物を愛し愛で土をこね、何かを作り出す、作り出せるというのは素敵なことだ。

陶芸は大作であろうが小品であろうが、そんな思いが伝わるか、どうかなのだろう。誰しも「フジバカマ」を植えたら「アサギマダラ」が訪問してくれると思うのは浅はか。庭全体の環境が蝶に評価してもらわないと、何時までたっても蝶は来ない。

手のひらの上か、机の上で小さく花や緑を活かす作品があれば僕のめまいもひととき、収まるのか。

蝶のおかげで、フラフラ頭の僕がフラフラしているうちに、素敵な人、庭に会うことが出来て良かった。

 

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