面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

誤診。

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うちの義父は昔気質の苦労人で、我慢強く、どんなことがあっても弱音を吐かない人だった。そんな義父が体調をこわし、かかりつけの内科に何度も通うも「高齢化、ただの疲れでしょうな」という老先生の診断、いつも「様子を見ましょう」との事だった。義理堅い義父。体が全然動かなくなってようやく総合病院の診断を受けたら、腎臓やらなにやらすでに手遅れで即入院となり、数年後病院で亡くなった。要するに誤診だったのだ。入院後一度も家に帰ることも出来ず、植木の世話もできず、認知症の義母の行く末の心配をしながら病院の病床で亡くなったのは、さぞ無念だったろう。

僕も以前、高血圧で通院し熊本駅近くの内科の先生とは気が合い、いつのまにかそこはかかりつけの内科になったが、会社の健康診断で糖尿の恐れありと指摘され、糖尿内科にかかると厳しい食事指導を受けた。甘いものが大好きな僕は、ほっておけば完全に重い糖尿になったのだろう。いつも先生から言われていたのは「大丈夫!血圧もばっちり!」だった。何の悪意もない、症状の見落としだったのだろう。

10月になりようやく車の運転ができるようになったが、毎朝、体全体の筋肉が縮み、足元がふらつく。よくテレビで言っている「痙縮(けいしゅく)」という症状の初期かもしれない。時々、三叉神経痛の痛みが顎に走る。パシリ!誰かが僕の右顎の下から、頭の上に向かって針を刺すのだ。

近所のかかりつけの脳外科に行く。先生、いろいろ話をききながら、おきまりはCTを撮ってみようとの一言。(先生何か、ろれつが少し回らないぞ!)

少したって、現在の僕の頭の輪切り画像が張り付けられる。先生その画像を棒で刺して比較して説明する。

これが君の頭の中。クモ膜下の手術後のクリップが挟んであるのがこの黒い影、こうして左右の画像を比べて見ても変化はないし、問題はないと思われるよ。また何かあったらきたまえ。帰りに自転車を漕ぎながら、ふと疑問に思う。

この脳外科でクモ膜下後のCTを撮るのは今日が初めてなんだけども…要するに、先生、今日撮った同じ画像を左右並べて問題なしと、診断したのだな。これは「誤診」というよりも「迷診」

 事務所に戻ると、仕事がたくさん残っている。貧乏人の強運で仕事はコロナの影響はそれほどでもなく、現状維持の状態。久しぶりに行政にある企画を提案し採択され少し補助金をもらえることになったので、その打ち合わせが近くその準備をしなければならない。

 打ち合わせ当日、行政機関が参加させたのが、知らないコンサルだった。やれやれと思うが、言いたいことは言わなければな。まとめ役の人が、僕はある病気で余り興奮させないでとくぎを刺す。が、そんなことは、コンサルは無視。パソコン開いて自分の自慢話が始まる。要するに「カマス」つもりだろうが、それがどうしたいと思う。マウンティングが続く。僕の心臓が鼓動を打つ。早口で、他人の成功話を自分の自慢話にすり替え上から目線のマシンガントークにへきえきし、聞き流すことにする。

 

世の中も誤診だらけなのだな。

 みんな藁おも、すがる思いでコンサルに経営相談するのだ。行政は補助金というモルヒネを打つ。そんなモルヒネでは病気は治らないのにね。そもそもコンサルの誤診が病気の快復を遅らせる大きな問題なのに。

 今夜はひさしぶりに、佐野元春を聞いて寝る。

朝、髪形も似せてみようかと、一人うぬぼれる。