面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

役にたたないもの。

10月になり、ようやく車の運転の許可となった。脳の傷が原因で2年間、運転が禁止となっていたのが解禁されたのだ。(時々、高速道路走っていたけど) しかし運転してみて町内限定免許かも知れないと感じた。目の前の情報の分析ができない。左右に刺激があるとそっちに意識が残り、前が見えない。速度計も確認できないので気が付くと後ろに長い列ができていた。今まで老人の運転を馬鹿にしていたけど、ブレーキとアクセルの感覚がつかめない。とっさの判断では、ついアクセルを踏みそうになる。当分は超過疎地の町内か、五家荘の山奥の走行が無難のようだ。

と、いうことで、天気もいいし、先週の日曜に隣町の里山、田畑の小道をカメラ片手にぶらぶらしてきた。彼岸花も終わりかけ、アゲハ蝶たちが急いで蜜を吸い集めている。以前、山の中で「アサギマダラ」と出会い、この前アマゾンで蝶類図鑑を買った。見つけた蝶の名前と生態が分かると楽しいものだ。誰も通らない里山の小道にも楽しさがたくさん飛び交っている。この楽しみは今だけではない、冬でも春でも、自分の歩く道のわきに実は楽しみがかくされている気がするのだ。

最近、中央のマスコミでは学術会議に数億円税金がどうのこうの、議論されているが、そもそも学問なんて役に立つか立たないかは、すぐに結果がでるわけでなし、一般論でどうの言うことはないのだ。確かに無駄な権威は地に落とすべきだろうが。大学がいつしか就職率を競うようになり、高校もどの大学に何人入ったかを自慢するようになって、どんどん若者の感覚も劣化していく気がしている。そんな就職率を自慢するのなら、大学を専門学校にすればいいのだ。熊本にもそんなバカ大学、バカ高校が多いのが残念だ。

失政続きの政治家こそ、役に立たなければ無駄と切り捨てるべきなのだ。そもそもみんなの役に立ってもらうために政治家になってもらったのだから。日本の政治こそ、人工知能に任せるべきだ。

折角の散歩もそんなこと考えてたら、つまらない散歩になる。

帰りに違う、海沿いの公園をぶらぶらする。虫食いだらけの葉の茂みに、ボタンと輝く

蝶?1匹?…まるで宝石のような色合いで葉の上にでんと居座っている。蝶ではなく、蛾なのだ。全然動かないのでとりあえず、写真を撮る。

何回シャッター切っても動じない。美しい服をまとい、立派な触覚を2本伸ばしでんと構えている。不思議な輝きの一羽。

帰宅後調べるに、その子の名前は「サツマニシキ」。なんだか焼酎の名前のようだが、日本に存在する蛾の中でももっとも美しい種類と言われているそうだ。絶滅種ではないが、めったに見ない蛾で、僕は本当に運が良かったと言える。時に宝飾品のデザインのモチーフにされるらしい。

蛾なんて邪魔もの。なんの役に立たないというなかれ。

この「サツマニシキ」の存在は、僕に生まれて初めての驚きと、何かしら心に残る輝きを与えてくれた。大いに役に立ったのだ。もう会えないだろうけど。

 

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