面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

僕が京都に行った理由・その3

男の寿命は短い。特に自分の場合は、大きな致命傷がある、が、今のところそんなに支障はない。去年の夏、額の傷口から膨らんだ「たんこぶ」も数日で収まったし、今年はまだ症状はない。ちょうど60歳にもなったし、京都訪問で気持ちに区切りをつけようと思い立ったのだ。

高校3年の夏、山岳部の合宿も終わり、さて卒業後の人生、どうするか?と遅ればせながら考え、とりあえず皆さんのように大学へ。と、そう考えたのが大アマだった。夏休み明けの進路相談の前日、母親に相談したら、我が家には僕を大学に行かせるような金銭的な余裕はまったくないと言われた。まさか、まさか。捕らぬ狸の皮算用。(どうせ大学に行けたとしてもバイトしてぶらぶら遊ぶくせに!) さて、どうする?大アマのバカ息子。卒業まで残り数か月。焦るに焦る。熊本で働くのは嫌だ。大学で遊びたい、好きなことをしたいと、学校の進路指導室にはいり、資料をめくる。と、世の中には夜間の大学があるということに気が付く。東京、京都…。東京は遠いし、京都の大学に決める。一夜漬けの勉強して入試を受け合格。合格に有利に働く条件として、就職先が決まっていればなおよろしと、書いてあり、適当に京都での就職口を決める。学部はもちろん文学部。小説家、詩人志望の若者が全国から集まるに違いないと期待する。詩をなぐり書きした大学ノート一冊カバンに入れ、熊本を旅立つ。さすがに母はその朝、泣いた。職人の父も仕事を休み熊本駅まで見送りに来てくれた。(その当時、父とも会話をしていなかった…)

 着いたのが雨の京都駅八条口。東西南北、右も左も分からぬ田舎者。何とかタクシーに乗り、南区の久世にある田舎の繊維工場の寮につく。その繊維工場は初めて夜間の大学生を雇用するとの事で僕の他に沖縄から2名、東京から1名。総勢4名が入寮し4月から仕事を始めた。沖縄の2人がは同じ高卒、東京からはすでに30前の男だった。沖縄のA君は地味で誠実な性格で、もう一人の須田君も不良のふりをしていながら、純粋な心を持った好青年だった。仕事は洋服の生地を特殊な染料で染める作業だった、生地と生地を手で結び、機械に入れ、染め上がったものを広げ、乾かす、その作業の繰り返しだった。昼間は労働、夜は大学、そんな品行方正、理想に燃える苦学生の若者、20歳前の僕らだったが、すぐに堕落した空しい世界に巻き込まれる。働き始めて数日後、寮の二階に社長の息子(義理)が出入り始めた。二代目はみんなを集めて酒を飲み、たばこの煙の中、麻雀大会を連日連夜、開き始めた。パンチパーマで鼻の横に大きなほくろがあり、知性の欠片もないえらの張った劇画調の顔つきのドラ息子は僕と気が合うはずがない。僕は彼の誘いを断り部屋で一人本を読んでいた。更に不運が僕ら4人を襲う。仕事が定時で終わり、バスに乗っても夜間の大学の始業に間に合わないのだ。ようやく着いてもすでに2時限目。これでは絵に描いた苦学生生活ができなくなる。会社としても見込み違いで、いきなり4人を毎日特別に早退させるわけにはいかない。沖縄のA君は中古のバイクを買い、そつなく大学に通ったが、残りの3人はすでに学業をあきらめた。そして2人は僕を残して麻雀大会に参加するのだ。春早々の、大きなつまずき。僕はたまらず、夏を前にさっさとその会社を辞めることにした。時間が腐るだけだ。辞める理由を聞かれ、総務部長に散々嫌味を言われたが、本当の原因は社長のバカ息子とは言えないし「やりたい事がある」と京都の町はずれの工場街にある小さな寮を一人出た。

それから半年も経ったろうか、僕は短期のバイトをつないでその日暮らしをしていた。久しぶりにA君と大学のキャンパスで会うと、一緒に働いていた沖縄の須田君が工場で腕を機械に挟まれ、大怪我して入院したことを聞いた。町はずれの病院の暗い病室に見舞いに行くと、彼は天井を見たまま「来てくれたのか~」と沖縄なまりの力のない言葉で礼を言った。彼は母子家庭で、沖縄に母親を一人残し夢を見て意気揚々と京都に出てきた、はずだった。時に夢はぼきぼき、折れるものなのだ。彼も無事なら60歳。今回の京都行で僕がどうしても行きたかった場所が、一緒に働いたその工場の跡地なのだ。

京都駅から久世行のバスに乗る。雨がひどく降っていて道路は渋滞し、なかなかバスは先に進まない。すでに1時間半。桂川にかかる大きな橋を渡る。頭の芯に刺すような頭痛が始まる。体が冷房で冷える。このバス路線は特殊な路線で、循環してまた京都駅に戻ってくる。目的地のバス停にようやく着く。工場街を区切る長い長い、まっすぐな道。「降ります」ボタンを押すかどうか迷う。ここで降りたら、帰りは夜中になるだろう。ボタンを押すか迷ううちにバスは停まり、ドアが開くと仕事終わりの人がどんどん乗り込んでくる。まるでラッシュアワーの満員電車で、降りたくても人ごみに押し返され、降りれなくなるように。曇ったガラス窓から、通りを眺める。ここが熊本から初めて降り立った場所のはずだ。広い駐車場、生活の匂いのしない、無機質な直線で囲まれた工場街、自動販売機とバス停だけが雨に濡れている。茶色の雨。機械のオイル、ばい煙に色付けされた薄い茶色の雨。これでいいと思った。僕が今回、京都に行った理由は最後、ここにあった。僕だけの秘密の場所だった。