面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

僕が京都に行ったわけ・その1

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なんで今更、京都に行くの?とよく聞かれたが、仕事の要件というのは全く嘘で、きわめて個人的な理由から京都に行くのだ。去年の12月30日に僕も何とか60歳を迎えることができた。悪運強く、この60年間で何度も死にかけ、タッチの差でなんとか生き延びてこれた。去年、中学の還暦同窓会があったのだが、高校の同窓会の見栄の張り合いではなく、田舎の中学となると、貧乏人も金持ちもお互いよく生き延びてきたなぁと、気兼ねなく、肩をたたきあう会となり、日頃ひねくれものの僕の性根も、少しはまっすぐになった気がしたのだ。何も大げさに考えるわけではないが、60歳のお祝いに懐かしい京都を旅し、過去の自分の足跡に別れを告げに出かけたようなわけだ。自分の乱雑な部屋を掃除し、ひとつひとつひもをかけ、まとめるのと同じ。いつか読もうと積んでいた本を、まじめに読み始めた気分とでもいうか。

1日目は京都ではなく、和歌山に立ち寄った。京都時代の仕事先でアルバイトしてくれていた和歌山出身のK君の自宅にお参りしに行った。K君は僕と10歳違い。もし生きているのなら今年50歳。僕とは違い、おしゃれなシニアになっていただろう。事件で亡くなったのはもう25年前。バブルの真っ最中で、彼にもいろいろな夢があった。商売の才覚もあり、事件がなければ事業はきっと成功しただろう。今はお母さんと携帯で話はするが、昔は手紙のやり取りだけだった。時代も変わり、今は時々ラインで連絡を取り合う仲だ。お歳はもう80近いが、いつも近所に住んでいる歳の離れた友人感覚で電話で話すこともある。同居する実の母より話す時間は多い。折角の仏壇を前に、K君の好きだったタバコのラークをお供えに買うのを忘れた。僕はラッキーストライクだったが、もうタバコをやめてしまって買い方も忘れた。つい話し込み、1時間の予定が、2時間も家にお邪魔してしまった。25年前からK君は歳を取らないのだな。生き延びたものだけが歳を取る。俺は予定どおり、へ理屈ばかりこく、うだつの上がらない、オヤジになったよ。お母さんと、もう会うことはないのだろうと思うが、無事熊本に帰ることができたら、必ずラインを送ってねと言う。

もう、家を出る時間。僕が以前送った山の花の写真集で、どうしても名前が分からない花の名を教えてという。

 

「その花はアケボノ草」という名前です。山歩きに疲れた時、ふと林道のわきに小さな花が咲いていて、よく見ると、つましくきれいな花です。地味で、探すとなかなか見つからない。ただの雑草のようにしか見えない。上からのぞくとその美しさに引き込まれる不思議な花です。黒い点は星のようで、だんだん夜が明ける、曙のように輝くような黄色の点があり、そんないわれから「アケボノソウ」という名がついた花です。

花の写真をプリントして送ろうと思う。K君の母さんは、ずつと眺めていてくれるに違いない。