面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

スギヤマさんのこと

最近なかなか熟睡が出来ない。白々と夜が明ける前、変に目が覚めて、スマホを見る悪い癖がついた。半分眠りに落ちた記憶の沼の中で、ふいに浮き上がる、思い出たち。もう会うことはない人の残像が沼の底からゆっくりと水面に上がり、また沈む。そんな、ふいの一瞬の断片が、記憶のふちに引っかかり静かに沈もうとする。

ああそうだ、スギヤマさんは以前から変なタイトルのブログを書いていたな。

そのタイトルを携帯で「検索」するといまだに彼のブログは削除されずに、スマホ画面に彼がうつむいた姿のままで出てきた。以前は1年に数回程度ブログは更新されていた。

3年ほど前の彼の最新、最後のブログには彼自身が鬱になり治療中であるとの事、離婚してこどももとも別れ、一人仕事をさがしている事、なかなか仕事が見つからない日常の日々が、淡々と書かれてある。

知り合ってからすでに10年。その10年間の間にお互いいろいろあったのだ。知り合ったばかりの時はスギヤマさんは印刷会社の営業部長を辞め、プランニング会社を経て、僕の知人の広告代理店で営業部長になっていた。

スギヤマさんの風貌は「生きにくい」日本に住む、若きインディジョーンズのようだった。賢くて、経験豊富、弁もたった。ロックにも詳しく、ギターも上手くおしゃれで博学、広告代理店の営業の先鋒に立っていた。僕にフライフィッシングを教えてくれたのも彼だった。わざわざ、うちの会社に来て、事務所の横の公園でフライの竿の振り方をていねいに教えてくれた。フライは100冊のガイド本より、うまい人に1時間、竿の振り方のコツを教えてもらうのが上達の早道だ。これまでの謎が即座に寛解する。そうして使い古したロッドを安価で分けてくれた。「理想の上司」そんな言葉が見事に当てはまり、付け入るスキのない100点満点のスギヤマさんは、その頃から少しづつおかしくなってきていた。

彼はその頃からブログを始め、氏の日常を簡潔な文章で綴っていた。新しい会社の女性に好意を寄せ始めた事。クリスマスプレゼントを渡そうかどうか悩む日々。一人事務所に残りギターを弾きながらブログにつぶやく。実はその会社のメンバーはみんなスギヤマさんのブログを読んでいたのだが。彼のつぶやき、彼女への想いは全てみんなに知らされていた。もちろん彼女にも。

スギヤマさんの文章は簡潔で、詩的で、ロックの詩のようなリズムがあった。ヒビのある、薄いガラス窓から世界をのぞくような彼の世界。かれはそのヒビを隠しているが、みんな知っているのだ。

彼は善意で、僕の会社の商品をブログで紹介もしてくれた。いよいよクリスマス。彼女にプレゼントを渡すがどうか。彼女は結局受け取らなかった。彼女の行動も会社のみんなに読まれているから。彼は悩み落ち込んだ。

結局、知人の会社も放漫経営で倒産。スギヤマさんは畑違いの会社に転職した。それからすでに5年は経ったか、お互い連絡もとらず、町で会っても彼は僕のことを忘れているだろう。僕も彼のブログの存在がなければ、彼についても何の関心もなかった。

パソコンの裏側の世界、ブログにしてもツィッターにしても、そこには白い砂漠のような世界が広がっているような気がする。足を踏み入れても何の抵抗もない、底なしの漂白された白く深い世界。「白い闇の世界」というものがあればそうだろう。彼のブログは今、更新されないままでその白い世界に浮遊している。そんな世界に今朝僕は1回アクセスしたのだ。ブログを開かない限り、彼はアクセス数を数えることはない。数えたところでそのアクセスが僕からだとはわかるはずもない。

僕の今のブログのアクセス数も、たまたま出くわした人のアクセスが月に数回。白い闇の世界を浮遊したままなのだ。

彼のブログは、2016年1月10日に亡くなった、デビットボウイの死去のニュースを知り、その死を嘆き悲しんだ言葉が最後だった。

行方の分からないスギヤマさん。「捜索」しても見つからないが、「検索」するとすぐにスマホに出てくる。白い闇の世界、沼の世界から。漂白された一枚の写真のように。