面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

縄文、陶器

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ふと、連休前に思いついたのが、手に職をつけようと陶芸教室を検索して申し込む。今更遅すぎるのは承知の上、それでもオジサンは何で
もやってみよう。

今度頭の線が切れて意識が消えたら、それで人生終わりのような気がするし。手に職をつけるのは冗談だけど、お金はないが暇だけはある。

ネットで調べるに、結構、我が家周辺にも陶芸教室は或るものだ。(周辺と言っても半径20キロ以上)その中でも、一番山の中で行き帰りの道でも、自然が豊かそうな場所にあるのが氷川町の立神峡の公園の中の陶芸教室だ。

早速申し込み、JRとバスを乗り継ぎ片道約2時間近くかかる。相手の時間も適当で午後からならいつでもいいとの事だった。公園までの川沿いの小道をたどると、それらしき古い建物があり、外から覗くと机の上にろくろがいくつも並んでいる。声をかけると、僕と同じ年くらいのヒゲ面の小柄なH先生の登場だ。

お互い自己紹介もなくいきなり作業開始。

H先生は聞く「どんな焼き物を作りたいのですか?」

僕は即答する「縄文式土器です。」

少し冷たい間…

H先生とまどいながら「えっ…縄文」

「それではこの方法でまず、やってみましょうと手早く道具をそろえ粘土をはかりにかけ、四角い塊をぼんと机の上に乗せる。」

※こんな馬鹿適当に何か作らせておけ…と心の中に言葉が浮かんだかどうか…

いよいよ、人生初、僕の土器制作の始まりなのだ。

もちろんいきなり縄文土器を作るのでなく

基礎の中の基礎からだ。

土を丸く練り、ろくろの上に乗せどんどんと叩き正円を作る、それが底の基礎部分となる。

粘土のひもをミミズのように伸ばし、ぐるぐると基礎の丸底の上に、丸く積み上げ、器を作る。なかなか筋がいいとほめられると、だんだんそのひもの渦が積み上がりカップのようにできてくる。そう、まるで縄文土器のようにだ!

H先生、タバコが好きで時に外でスパスパ吸いながら、作業に戻る。自然の中で吸うたばこは旨かろうな。

僕は作りながら、縄文時代土器の土偶の話をする。すると先生、作業中なのに、スマホで「縄文」を検索し、眺め始め、また外にでてタバコを吸う。だんだん興味がわき、「これはすごい…」とか言い始める。

「縄文火焔式土器は実際に火に架けられ、舞い上がる炎が土器の縁から、いろいろな形になり、ある時は獣が舞い踊るような表現になり、他の時代の土器にはない迫力に、その発想にぼくはに負けたと思うのですよ。」

「だんだん僕の方も陶芸の先生に縄文時代を教える先生のようになってくる。(すべて受け売りだが、専門書など数冊読んだし)」

その中でも特に感銘を受けたのが縄文土偶でその中で、更に一緒にうめられていた鹿の骨を磨いて作られた人型のおまもりのようなものの写真を見た時に、感動したのです…自然の中で生きた縄文人の思い、こころ、命に対する思いとはなんと素敵なことか、縄文土偶、土器というのは古代人の表現の、豪速球の連投連投ではないか。

手に職をつけるも何も、こうして初対面同士、話が出来るのも何かの縁。昔からの友人に再会したようではないか。

途中来客もあり、先生忙しそうで、カップの次に作る僕のお椀も、だんだんできてきたが、先生のいないスキに少しでも縄文風にしようとすると、カップの形がフニャフニャニなる。あ、これはいかん、と思うと先生はさっとろくろを回し、形を戻す。

そして「後はやっときますからね…」といいながら、ろくろがぐるぐる、素人がつくったようなカップには見えないものに、形が洗練されてくる。お椀がいつのまにか素敵な大きな皿にできあがってきた。

ああ、俺が造ったようなもんでなくなってきたなぁ、家族は驚くだろうなぁと心の中でつぶやく、半分嬉しいのだが。

「色はどうなりますか?」と聞く(まだスマホ見てやがる)

「ああ、塗っときますから」

「では、せめて色の好みだけでも」

「どんな色ですかね?」

「青か紺色でお願いします。」

「了解です」

「で、焼きあがるのは何時ころですかね?」

「三か月待ちですね」

※えーそんなに?どうして(心の声)

「実は自分の作品を焼くのに窯が一杯で順番待ちなんです」

生徒より、まず自分…あっさり先生の自分中心主義が心地よく、僕は諒解した。

どこでもあるような陶芸教室じゃない、この窯は表現の場所なのだ…この場所を選んで良かったでないか。

先生曰く「修行時代には月に3千こもの同じ形の湯飲みを作らされたと。」そんな話を聞きながろくろをまわすと、月に3千個のマシン化した人を前に、個性がどうの表現がどうの屁理屈言う暇なし、まずは基本からやらないと「手に職なんぞつかん」わいと自分を戒めていたが、途中で…そんな連中に勝つには、つまり、自分なりの表現意欲しかないのだと思えてきた。陶芸マシンが月に何万個作ろうが、縄文人の縄文火焔土器に勝てるはずはない。

僕がこの年になって陶芸を楽しみ、本当に自分の作品つくるには、誰かの真似じゃない、胸に手を当て、沸き上がる思いを形にしょうという思いが湧いてこないと、いつまでたっても、どこぞの芸能人の何も心を打つものがない、ただのコピーの油絵や日本画の作品とおなじなのだ。(片岡鶴太郎日本画のどこがいい?八代亜紀の油絵はどこまでやってもただ上手な素人絵ではないか)

先生「今日はこれで終わりにしましょう」

里山の景色の中、森の小道を辿るのも楽しい一日だった。

帰りはバスがなく最寄りの駅まで1時間半歩いて帰ったが、それも楽しかった。窯には猫はいなかったが、臆病な犬が居て、僕の姿を見て「こいつ猫族じゃん」と困った顔をした。写真の犬の名を聞くのを忘れたので「ビビリ太郎」にした。

※先生修行時に3千個、湯飲みを作ったといっただ、それは1ヶ月では1日100個作った計算。そんなに作ってどこに売ったのだろうか?まさか100均か?悩むと眠れなくなった。皿の色が海の藍色に染まればいいな。山の土から、藍色のカップ、皿が生まれるとはなんと感動的な事か…と一人ほくそ笑む。