面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

還暦同窓会

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6月1日は三中の還暦同窓会だった。もともと猫族の僕だ。そんな会には基本的に参加しないのだが、半ば強制的に誘いがかかり、やむなく打ち合わせに参加した。もともと田舎の中学で、話を聞くに同窓会事務局にはほとんど、人が居ない。開催までの段取りや、記念誌の編集など、少ない人数で、あれやこれや話をすればするほどまとまらず、なかなか大変そうだ。その中の一人が僕の仕事に目をつけ、多少は力になるかもと期待をして声をかけたようだ。実際声がかかったのがほぼ一年前。僕が退院したばかりの7月だった。いまさら逃げ出すのも猫族の恥であり、いちおうできることはやりましょうと返事をして作業した。三中は小高い丘の上にあり、町の中心部、港を見下ろす場所にある。古い三階建てのコンクリートで、自慢の体育館は台風でやらrれて解体された。何故か、20年前くらいから放置されたままで、町の衰退を丘の上から眺めてきたのだ。

僕がリハビリで入院した病院は、三中の遺跡のすぐ横にあり、病室から、その寂れた灰色の建物をいつも眺めていた。時に草のはえたグラウンドを杖をついて歩いたりした。同窓会の会報誌を作るなら、その遺跡の写真も必要かと、診察の後、カメラを持って撮影した。ついでに丘の上から、昔のように、町の中心部の写真を撮った。運よく、面白い形の雲が湧きだし、夕方の誰も居ない、車の行き来もない寂れた町の姿の上に虹がかかっていた。それとも曇り空の上から光が差し込んでいたのか。表紙は三中遺跡、裏にはその町の写真をレイアウトして僕は冊子を作った。

中身は当時の卒業アルバムをスキャンして、人物の写真の上に、名前を入れた。もちろん、坊主頭のひねくれた僕の胸にも名前が刻まれた。あの頃、何を考えていたのか。一言でいえば「こんな町を出る」。そして中途半端な隣町の田舎の高校に入り、「こんな町は出る」という思いを更に強くし、そのまま家を飛び出した。

同窓会は熊本市内のホテルで開かれた。そもそも参加するつもりでなかった僕だが、前日まで、当時の事を思い出しどうしても謝らなければいけない人が数人いて、謝って欲しい人が一人いた。45年ぶりに当時の事を切り出されたら、どうするか。どうなるか。それはそれでなるようになればよい。過去の出来事を針小棒大、考えても今は今の僕が受け止めればよい。

謝って欲しい人物は、最初から来なかったので仕方ない。来れなかったのかもしれない。謝らないといけない人はほとんど来たが、会った瞬間、笑顔ですべて僕の事を許してくれた。その打ち解けた瞬間が僕にとっては救いの時だった。

いらつく10代。棒があれば、棒を手にし、何でも叩き割る。暴力に支配され、人を裏切り、逃げる。逃げた自分を許さず、悩み、いらつく。なんで自分はこうなのか、卑怯なのか。こんな学校、町なぞまとめてドブに捨ててやる!

当時の町の祭りは、半日休み、いそいそ学校の坂を下りると、神社の通りには夜店が出て、色とりどりの灯りがぶら下がり、すれ違えないほど人があふれだし、バスは隣町から満員の人を乗せで通りに吐き出した。空き地にはサーカスがやってきて、像の檻のような金網が張られ、バイクが駆け回った。

テレビのニュースでは、都会で革命が叫ばれ、時に、仕掛けられた爆弾がさく裂し、建物が火で覆われていた。

時は過ぎるものだ。何度、丘から見下ろしても、その通りには誰もいない。駅前の通りにさえも、車が走らない、ひなびた昼下がり、猫一匹、大通りを横切らない。

今回の同窓会の記念誌は、そんな町の記憶を記す、記念誌になった。僕はそんな町に帰ってきて、毎朝、駅から汽車に乗る。

生徒の笑顔で満ちあふれた灰色の校舎。セピア色に封じ込められ、3年4組、全員肩を並べる中で、その時を苦々しくかみつぶし、否という顔をしている45年前の僕よ、それが今の僕だよ。久しぶりに会えて良かったよ。僕は今、大通りを横切る一匹の猫になった。