面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

崎津の港にたどり着く。

天草の最深、河浦町。うだうだ車を走らせうねる海岸線沿いに、まぶしい水面の反射光を手で遮りながら愛車は進む。今は合間合間に大きなトンネルが出来て旅の風情も何もない。トンネルの暗がりを飛び出せば、ぱっと河浦町の崎津漁港に出会う。ひねくれものの自分はあえてトンネルではない昔の海岸線の狭い道を進む。波に洗われた旧道は半分釣り人の駐車場になっている。車を避けながら進むとカーブ越しに青い海が近づいてくる。時間が戻るように景色が変わる気がする。

たどり着くと相変わらずの崎津の漁港だ。世界遺産に登録され一時は大賑わいだったが、今は少し落ち着き、以前の生活に戻りつつある。

世界遺産に選出されて良かったのは、これまで散逸気味の貴重な資料が取集、整理され保存された事だ。いったん散らばった資料を見て回るのも時間の無駄といえるし、途絶えた時間の糸をつなぐ作業などできない、もつれからまった糸もほどけないまま次に進むこともできずに歴史の闇に霧消してしまう。

研究者でもなんでもない自分だけど、前回、新設された資料館「みなと屋」で見た「ウランテマサマ」が気になり、半年も待たずにこの地を訪れたのだ。真冬といいながらも暖冬で、港の猫どもも道端で日向ぼっこや、毛繕い…果ては昼飯代わりに、日干しに手を出そうという輩も居る。軒を寄せ合う、小さな港町の路地の向こうには青い穏やかな宝の海が揺れている。まずは腹ごしらえと、その路地の奥「凪」と言う名の古民家を改造した店に入り、定食を頼む。

何も気取らない、そのまま普通の昼ご飯。酒が飲めなくなった自分だけど、夜に酔っ払い、こんな港町の路地をうろつきたいものだ。

「酔うてみて、へたりこんだ向こうに海」

路地の奥にいつも海。うねり、揺らぎ、まったり優しい。この漁村ではそんな景色が長く続いてきたのだろう。岬ひとつ向こうの葦の生い茂る入り江には、アルメイダ神父が着いた船着き場の史跡があった。

※1569年(永禄12年)、ルイス・デ・アルメイダ神父によってこの地でキリスト教の布教が行われた。禁教令以後、激しい弾圧を受けながらもおよそ240年間に渡って「潜伏キリシタン」として河浦の地では信仰が守られてきた。