面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

倉岳神社と諏訪神社

今、SNSで話題になっている、天草市倉岳町の倉岳神社に行った。話題になる前に1度行き、なぜ、山頂が他府県ナンバーの車が多いのを不思議に思っていたのだけど、確かに天草最高峰の倉岳山頂から眺める景色は絶景なのだ。東西南北、遮るものもなく、半島に連なる山々、東に藍色の海に浮かぶ御所浦島の島々が見え、西には反対側、雲仙の山々も遠望できる。その先には銀色に反射した眩い水平線。時に、雲がかかり、辺りはどんより灰色におおわれるが、ふと、頭上を飛ぶトンビの誘う先に目をやると、遠くのうす灰色の雲の間から金色の光が海に差し込む。そんな景色を山頂の倉岳神社の鳥居から見渡すと誰しも神々しい気分になるのだろう。山頂にはいくつかの祠が祀られ、祠の横には大明神と刻まれた文字。これぞ、神仏習合、山の神と菩薩様、金毘羅様も同居しみんなで人々の安寧を守ってくれていたのだ。

 

 

新しい鳥居はなんとか許されるが、そこにぶら下がった平和を祈る西洋式の鐘は蛇足。これは神仏習合じゃない。神仏迎合なり…風よ叩き落せたまえ。以前、バブルの時に、キャンプ場も建設された跡があるが、今は無残にもその場所は荒地になりその名残もない。いくら今、話題、人気と言っても変な観光施設は作らぬがよし。

そんな倉岳も天草東海岸修験道の尾根のひとつのピークとなっているわけで、お隣の白岳の山頂直下の矢岳神社、その隣の竜ヶ岳神社(正式な名前はメモってない)、そして倉岳。みんな山岳信仰の対象になった天草東海岸の山々なのだ、特に倉岳は山頂に向かう登山道の合間にも石碑などが祀られていたりする。

 

 

ふもとの町は、棚田の景色や倉岳から吹き下ろす風から家を守る高く積まれた石垣の景色が目を引く。この石垣の景色は倉岳ならでは。旧役場近くの商店街は寂れ、人影も見ないが、風の吹く廃市としてなんとも僕のような、いかれポンチには喜ばれる。登山コースやフットパスのルートも整備されていて、この誰も居ない石垣の迷路をさ迷う気分はきっと楽しいだろな、と想像する。

更に更に、深まる謎と言うのが港の近くの「倉岳諏訪神社」。長野県の諏訪大社の分社で建御名方命が神社の本尊。海抜ゼロメートルの、波が打ち寄せる海岸に1番目の鳥居があり、あと二つ新しい鳥居があり、石の仁王像が守る本殿がある。向かいの御所浦島から海を渡り神が諏訪神社の鳥居をくぐる。その、真っすぐ向こうには、倉岳の山頂、倉岳神社がある。

神仏習合諏訪神社が山の神としても御所浦には、諏訪神社が見当たらないので、山の神と違う神が海を渡り、遊びにきたのだろうか。しかも、古い町史には諏訪神社の1番目の鳥居の下には弥生式の土器がたくさん発掘されたという。当時の諏訪神社は天草の乱潜伏キリシタンの民が蜂起した時に焼き討ちにあい焼失したとの事。おそらく見張り役を買って恨みを買ったのか。弥生式の土器が埋葬されていたとすれば誰かの墓で、その墓の跡が結果、伝説の場所、神の棲む場として諏訪神社の建設場所として繋がったのか。倉岳町はバブル時、日本一の大恵比寿の像がある町として売り出していた港町。金毘羅の神がたくさん祀られている。諏訪神社の山の神、権現(菩薩)さん、エビスさん…

倉岳山頂の駐車場から雑木林の中を約20分くらい歩く。てっきり山道かとおもいきや、山道をコンクリートで固められた苔むす遊歩道になっている。人工的な遊歩道を整備し自然を残酷に切り刻んだけど、アウトドアブームも終わり、キャンプ場も撤退。その遊歩道を歩く人影も少なく、また自然の力に吞み込まれつつある。歩く目標は「大権現様」

 

大権現様は雨露しのぐ社殿も祠もなく、小柄なお姿そのまま、森の薄暗い木立の中で一人、瞑想されていた。