面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

久連子にも小さな春

 

五家荘の山の番人Oさんのフェイスブック情報で、久連子(くれこ)の福寿草の開花が始まったよ、との情報があり2月18日深山に春を告げる金色の花に会いに行った。

頑張って午前中に着き、這いつくばり、金色の花にカメラを向けるけど、何故かみんな機嫌が悪そうだ。

この子はどうだろう、この子は?残念ながら、みんなそっぽを向いて顔をしかめる。たまに大きく花弁を開いた子もいるが、顔中、冷たい水滴で覆われ寒さに青ざめている。

花と花の間の、柔らかい土の上を根を踏まぬようにそっと気を付けて歩く。なかなか満足のいく写真が撮れない。大体写真は自己満足なのだし、誰かに喜んでもらうつもりで写真を撮るわけでないのだけど。

 

小学生の頃、僕は校内の写生大会でいつも特賞だった。何故かと言えば、大人がさぞ喜ぶような絵のかき方を要領よく覚えたからだ。だから終いには、絵を書くことが全然面白くなくなった。

先生は聞く、どうしたの?急に絵が下手になって、何があったの?

だから絵を書くのが全然、面白くなく、退屈になったからなのです、先生。

(そもそも小学校の6年間が長すぎる…海沿いの道を2キロとぼとぼ歩いて帰るのだ)

 

結果、こうして下手な写真を撮るのも、自分が満足いくか、いかないかだけなのだ。

ただ今回だけは、どうも花に嫌われているような気がした。(大げさ) 僕は途方に暮れた。土の上にへたり込み、ぼんやりする。たいして動いても居ないのに、何だか疲れた。

時計を見るともう11時、昼前ではないか。そうして、汗を拭い、空を見上げると、谷間にもだんだん明かりがもれてきた。

 

 

やわらかな春の陽ざしが、久連子の谷、全体に射してくる。ふと足元を見ると、さっきまで不機嫌だった子が金色に輝く花となり、顔をもたげ嬉しそうだ。あちらこちらの花たちも一斉に光を浴びて輝きだす。黄色い歓声があちこちで聞こえる。

 

 

「春植物」と言われる彼らには今、この瞬間しかないのだ。もうしばらくすると、谷間にたくさんの花々、木々が生い茂り養分が奪われる。今のうちに、太陽からの養分をため込まないと生きてはいけない。そして地中深く眠りに着く、春の妖精。この花の家族たちは谷にやってきて、どのくらいの時間が経つのだろうか?

 

 

久連子に来たら、一緒に寄るのが兵隊さんの像。小さな坂を上った場所に、日中戦争時、村から出征され戦士された兵隊さんの姿を形作った等身大の像が4体ある。

これらの像は昭和12年に建立され、除幕式には村民200名が集まり、戦果を讃え、死を悼んだと当時の新聞記事。

僕が兵隊さんらに会って10年近く。毎年会う度にみんなの姿はほろほろと、生まれ故郷の土の上に零れ落ちて行くようだ。

背中の重たい背のう、もう降ろされてもよいのに。脇に立てかける銃剣も、刃がぼろぼろ。それでもすっと背筋を伸ばし、凛々しい顔で、真っすぐ前を見つめている。

 

「人影もほとんどなくなりましたが、今年も久連子の谷に春が来ました。小さな谷間に、いつものように金色の花が咲きましたよ。」

 

真昼の静寂。時間がとまる。

ふいに、向かいの山から鹿の声が響き、又時間が動き出す。