僕には大阪のおばちゃんが3人居る。
若かりし頃、集団就職で熊本から大阪に出たのだ。
長女の僕の母と末っ子のおばちゃん二人が地元に残った。
大阪のおばちゃん3人の年はもう80を過ぎた。
暮らしにも少し余裕ができたのか、
10年くらい前から大阪から熊本へ同窓会だのなんだの、
しょっちゅう帰ってきてはうちの家にも立ち寄った。
僕がヒマな時は、全員車に乗せて人吉だの阿蘇だの観光に連れて行った。
おばちゃんたちはすでに大阪での暮らしが長いのだ、
だから熊本の事を良く知らない。山や川に連れて行くととても喜ぶ。
おばちゃんたちは当時の苦労話は一切しない。
今が一番楽しいのだ。
と、思っていたら、
一人のおばちゃんががんに倒れ亡くなった。
大阪の高槻で海苔問屋を営む、Fおばちゃんで、
おじさんと一緒に会社をきりもりしていたのだ。
先に亡くなったのはおじさんで、
おじさんは、和歌山の山奥、龍神村の出身だった。
(二人はどうして出会ったのか?)
おばちゃんより先に、おじさんは、
ガンで亡くなった。
ガンの抗がん剤でおばちゃんの肌がどんどん黒ずんできた。
熊本の馬油石けんやクリームを贈るととても喜んでくれて、
「贈ってくれた石けんで体を洗うと、肌が白くなんねんよ」と
嬉しそうに語ってくれた。
今は人気のない公園に当時はたくさんの人が押し寄せたのだ。
そんな喧噪の中で二人は、工場で働いたのだろう。
海苔の袋詰めに寝る間もなかったのだろうか。
太陽の塔は、両手を広げツンとした顔をしていた。
昨日の夜に電話が買ってきたのは、Kおばちゃんからだった。
家人がお歳暮にミカンを贈ったのだ。
Kおばちゃんは、姉妹の中で一番行動的で、
卓球やらグランドゴルフやら、旅行に忙しかった。
おばちゃんは、熊本から一緒に働きに出た
ダンナさんが早くに亡くなり、女でひとつ
大阪で二人の息子を育てあげた。
性格もあっけらかんとして気さくに僕と会話をした。
「最近、首と腰が悪いねん」
「コップも手でもたれへん。コロナでどこにもいけへんねん」
おばちゃんは、大阪の人ごみの中を一人、
地下鉄を乗り継ぎ病院に通院していた。
「4時間待ちやで、行くだけでもつかれるわ」
「薬変えても副作用で吐き気がするねん」
「先生に相談しても薬しかくれへん」
「まぁまぁ、おばちゃん
もう、熊本に帰ってきたらいいのに」
無責任にあしらう僕の言葉。
おばちゃんの会話に少し、間が空く。
電話を切って気が付く。
昔のおばちゃんなら
「熊本に帰ってきたら、面倒みてくれるう?」
と言葉を返す元気もあったが。
神戸の息子夫婦の世話になるのも嫌だろう
気を遣うだろうし、では、これからどうする?
施設に入る余裕もない。これからどうする?
ひたすら地下鉄を乗り継ぎ、駅の階段に息切れし
4時間待って薬をもらい、家で吐く。
アパートの部屋で暗い天井を眺めているのか。
田舎に帰るより、おばちゃんにとっては
大阪の街の灯り、喧噪さえも温かく感じるのだろうか。
僕はおばちゃんの、こてこての大阪弁が
大好きなのだ。
大阪のおばちゃん。