面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

岩屋熊野座神社 (いわやくまのざじんじゃ) に行った。

60を過ぎ、急に神社だの遺跡だの、修験道に関心を持つようになった。この前は仕事のついでと言いながらも、実は人吉、球磨地域の視察のついでに、仕事に行ったようなものなのだ。前の晩から、どこに行こうかといろいろ調べていたが、見れば見る程、人吉、球磨地域は広い。盆地なのだが、道路沿いに車を走らせていいると右も左も田畑が広がり、向かいの山裾には霧が出て、運転していても眠くて仕方ない。結局、仕事も長引き、帰りに立ち寄る場所を絞らざるを得なくなった。そこでサイトを調べるに岩屋熊野座神社 (いわやくまのざじんじゃ)なる藁ぶきのそれなりに、古い歴史のある神社が目につき立ち寄ることにした。

サイトに書かれてある神社の歴史をそのまま引用すると…

日本遺産構成文化財の一つ。相良氏が天福元年(1233)に菩提寺として創建したと伝わる真言宗寺院。人吉球磨地域唯一といわれる、稚児柱が付いた鳥居がある。戦国時代末期、勢辰和尚により勅願寺の指定を受け中興。以後、江戸期を通じ、郡内最高位の寺院として存在。境内裏手の相良家墓地は、江戸時代中期に、藩主の命で各地に散在していた歴代当主・一族などの墓を集合し成立。多数の五輪塔などが建ち並ぶ大名家墓地として、見る者を圧倒させる…と、書かれてあり、ライトアップされた社殿の趣きもそれなりなのだ。国の重要文化財

 

実際訪問すると、重要文化財のわりには「わき」が甘いようで、あまり見るものがない。鳥居をくぐり社殿を前に立つと、周囲の家々景色と同化して、荘厳でもなく、自然体。もちろん境内には誰も居ない。境内も狭く、どこでもあるような神社にも思え、時間を持て余し、退屈になり車に戻った。我ながら馬鹿と思うのだが気が付くのが遅すぎる。神社と名が付きながら、サイトの説明文に裏に相良家の墓地があると書いてある。多数の五輪塔が立ち並ぶとも。神社とは名ばかりの神仏習合のお手本。神も仏も仲良く同居しみんなの平和を祈念していたのだ。境内を回ればお寺の後、形跡があったはずなのだ。廃仏毀釈については、その時の力関係もあったのだろう。何しろお隣は(現在のイスラム教原理派・タリバン)薩摩藩なんだから。

 

また石の鳥居を写真に撮ろうと振り返り改めてその鳥居を見て驚く。鳥居の真ん中に「権現宮」と彫られてある。これぞ神仏習合の証。神も権現(菩薩)も一緒に祀られてあったことを堂々と示す。更に、鳥居の石の根っこの部分に横たわる石碑に文字が。なんと書かれてあるのか、すかさず指でその文字の後を辿る。指先に感じる、やさしい石のざらつき感。時空を超えその当時の時間との交感。読める文字は「さやし」?

この鳥居の方が本殿よりも、価値があるような気がする。鳥居の下を行ったり、来たり。石の山道の向こうにかすむ、藁ぶきの本殿。

 

人吉は相良藩の城下町。何故、市内の景観は中途半端な、どこでもあるような都市の景色に変わったのか。今回の水害での再建では今風のおしゃれな建物ではなく、もっと城下町らしい演出が出来ないものかと思う。

あとで資料を読み返すに、本殿の裏に洞窟があり、その洞窟には大蛇が潜む言い伝えがあるという。えらそーなことを書いたが、自分自身も神社史跡めぐりをしていただけのうんちくオヤジそのものなのだけど。

 

足元の石碑の文字をなぞった指のやわらかい感覚は忘れることが、出来ないんだよな。本当は何て書いてあったのだろうか。さやし、さやし。