面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

イノシシを殺すなよ

僕の自宅の横にいのししが出で、老母が驚いている。

みんな、農家はイノシシに畑を荒らされ困っている。怖くて誰も外にでれない。猟師も高齢化でそうそう山に出てイノシシを殺せない。困った困った。

解剖学者で有名な養老先生が言っていた。いのししの防御は簡単。犬を飼いなさいと。犬イコール(秩序)で、犬がいのししに秩序を教えてくれるから、それで効果ありと。

熊について、生物学者の福岡先生は語る。「なぜ、熊が人里に降りてくるのか?」福岡先生曰く、「それは人が悪いからです。人が彼らの猟奇に侵入するからです」

テレビで質問したインタビュアーは何も答えられない。

正論だからだ。

つまり、インタビュアーは何も考えてなかった。適当に答えただけなのだ。最近こんな、レベルのタレント、コメンテーターが多い。

「なぜ、こんな思慮の浅い人ばかりでてきて、無責任な質問、放言ばかりするのか?」

「それは視聴者、市民が悪いからです。彼らも何も考えず、意見がないからです」これも正論だ。

 うちの町では、いのししを利用した”明るい地域興し”が盛んである。

地元の若者、名士があつまり、いのしし退治にひと肌脱いだ。農民を助けよ。イノシシを捕まえろ、地域を興せよ。ジビエを作れ、いのしし処分場を作れ、その肉を楽天で売れ、儲けよ!

そんなんして、そういう目に見えないコストをかけて、出来たいのししの肉の価格は本当は、とんでもない価格でないか。(税金で負担するからやすくなるのだろうね)

僕はもともと暗い性格だから、そんな明るい笑顔の集まりにはかなわない。ただ、どうもその集まりのみんなで力をあわせての発想についていけないのだ。

そんなことせずに、犬を飼え。策を頑丈にして、いのししに反応する犬の声のするマイクを付け、無駄な殺生せずに、イノシシを山に返せと思う。何年かかっても。

捕まえて、死体を吊るすな。取り囲んで笑うな、泣くな。ジビエなんてみんな嫌いだから、誰も食べないのだ。命の大切さをいうなら、そのまま逃がせ。売名屋どもがわれもわれもと集まり、閉じた輪になる前に。

網を破り、網の中の魚を食べたイルカを漁民はこん棒でたたき殺し、イルカの肉を、楽天で売ったか?人は食ったか?

 

犬でいいではないか。もう少し、考えたらいいではないか。

山猫倶楽部の山猫一匹と、我が家の猫族一堂は、いのしし殺しの明るい地域興しに絶対反対なのだ。