面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

演劇「なんじゃ主水」のスキマの向こう。

 

11月24日に京都で劇団遊劇体の第66回公演「なんじゃ主水」という演劇公演を観た。

舞台は素の空間。民家の中で、登場人物の数だけ座布団が横一列に敷かれ、役者はその座布団に座り客席に向かいセリフを発する会話劇。本来ならば各自テーマについて向かい合い言葉を発するのだけど、遊劇体の基本の演出はすべて役者各自が観客に向かいひたすら言葉を発するのだ。横に座る登場人物ではなく、喜怒哀楽の言葉はすべて観客に真向かいストレートに発せられる。小道具も一切ない。時に感情的なセリフでも削りとられ、シンプルな会話のやり取りに変換されている。(演出は苦労したろうな)その言葉を丁寧にひとつひとつ積み上げて創る空間に、小道具は不要。

 

そこまでして、遊劇体がモチーフにした話の内容は「町内会」

学校を定年退職した主人公、ようやく夫婦ともども、老後の人生を送る二人に飛び込んできた「災難」とは、町内会の次期役員の話。当日集まったメンバーもいろいろな職業に付きながらもその「災難」に向き合おうとする。今や高齢化の社会、老人会は何もせずに予算を食いつぶし不平を言う。他にもイベントやら何やらで、大忙し。それをみんなで何とか乗り切ろうと集まるメンバー。時に喧嘩、ののしり合う彼らを、主人公とその奥さんはとりなし、話をまとめて行こうとする。相当な心労。主人公の奥さんは次第にアルコールで喉を潤す。

 

話し合いの途中、突然、彼らの耳に救急車、ヘリコプターなどいろいろな「不安な音」が降りかかる。

 

さてまだ一人、会合に姿を現さない人物が一人居る。もしや彼に何かあったのか?

「不安な思い」のまま、話は終盤に差しかかかる。少しずつ、姿を現さない人物の情報が洩れ始め…クライマックスにその「不安」がみんなの前に姿を現す。

 

Xなどでこの劇の批評を見るに、おしなべて好評。やさしい町内会の人たち。みんな一生懸命、こんなに大変、なんだ…とか。僕も久しぶりに遊劇体の芝居を観て、こんな場所に着地したのかと、京都の底冷えの寒さの中でほっこりした。

 

若い年代の人には実感が湧かないはずだ。自分の住む地区の維持管理に親の世代がどれだけ苦労しているのか。この演劇で、少しは大人の世界の苦しみを、垣間見る機会があるのだろうし、同世代の人々はあるある、分かる分かるよと、うなずき合う。

 

しかし、この舞台にもう1シーン足らない場面がある。

 

それは、登場しなかった影の存在。みんなが退場した後に、取り残された1枚の座布団の上に座るはずだった影の独白。

 

…もしくは、警察の留置所の独房での独白。

(それを「観客は想像せよ」という芝居なのだろう…が。)

 

あまりにも芝居に似ている…僕の環境、僕の姿…

 

僕の住む集落は半島の突端、小さな港町のさらに突端の小さな集落。世帯数は100世帯にも満たない。高齢化が進み、子供の数はゼロ。毎年毎年、人が亡くなり波にさらわれる小さな砂山のようだ。

 

数年前に談合し、やむなく「公平に」区長や会計その役員を10名足らずの住人で順番に回すことにした。任期は2年。今の区長は元役場の職員。

 

僕は生まれ育ったこの町で高校まで過ごし、京都に出て、15年経て帰郷した、が…この町にはなじめない。この町の人も僕になじまない。

 

そんな僕も4年後に区長になるわけだが、みんな密かに恐れているようなのだ。

僕が何かをしそうで、何かを言い出しそうで。お互いとんだ「災難」なのだ。

 

つまり我が町での現実の舞台では、姿を現すのが、僕一人なのだ。あと、いつまで経っても姿を現さない数人の影…

 

舞台の奥の暗がりでひそひそ話が聞こえる…

「何を考えとらすか分からん」

「変な仕事しとらす」「家の中には猫がいっぱい」

「猫と会話している姿を見たばい」

「京都で過激派…ていうか、爆弾ば…」

「脳の手術ば、受けらした…」「屁理屈ばかり言う」

 

…全然、愛想もなかし好かん。あがん変な人が区長になるなら、こん町も終わりたい。

 

上演時間は1時間30分。舞台でひとつだけ、誰も座らない座布団の沈黙に僕は向かいあったのだ。

 

 

紅葉のやまの終わりに。

 

ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。

 

10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)

 

その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。

 

だからどうした、と思う。

 

文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。

 

講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。

 

 

自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。

今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。

いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルフクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。

 

 

自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。

 

嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。

 

 

海に石を投げに行く。

 

2023年10月10日水俣病訴訟、被告の国も県も控訴。

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僕の生まれた家は半島の突端、ちいさな港町。不知火海有明海のちょうど境界にある。家の前は入り江になっていて穏やかな海の景色が広がり、向こうには島々の緑があった。道路を渡ると小さな魚市場があり、日中はギリギリギリと、生け簀を海から引き上げる歯車がきしむ音と、ポンポンポンと、焼け玉エンジンの船の音が行き来した。

漁港らしく、大小の船がともづなで岸につながれ、獲れたての魚が入った木箱が山積されていた。海岸の家々はみんな貧しく木造、屋根はトタンでふかれ丸い石がいくつも置かれていた。強い台風がくると瓦どころか、屋根まで吹き飛ぶことが度々あった。

僕らは、特に遊ぶ道具なぞなく、海岸で平たい石を集めて、海に向かい横から投げ、
何回水面を撥ねた回数を競ったり、裏山で雑木林の上に基地を作り夕方まで遊び惚けた。

うちの家業は左官職人で、父はセメントまみれで家の壁を塗りこむ仕事をしていた。
小さな庭を挟んで、裏には漁師のカワグチさん一家が居た。僕が中学になる頃、カワグチさんのお婆さんの様子がおかしくなった。顔も真っ赤になり、素肌に浴衣を羽織り、路地を歩き始めた。足を引きずり、昼から焼酎を飲み上機嫌だった。アルコールで痛みをごまかしていたのか。

ちょうど水俣病が発見され社会問題化した時期だった。僕が高校に入るころ、カワグチさん一家は静かに集落から姿を消した。

僕の家の夕食のおかずも当然、魚が中心だった。すぐ横に市場があるのだ。長男の僕は頭が良くなると魚の目玉を無理やり食べさせられていた。両方の太ももが締め付けられるような痛みが続いたのは小学生の頃。その痛みは突然やって来る。筋肉の奥が締め付けられ痛いのだ。その締め付けられるような痛みは20歳の頃まで続いた。

不思議なのはあれほど、世間で騒ぎになった水俣病が熊本の中学、高校に居ながら授業で水俣病について学んだ事はなかった。水俣で何が起こっているのか、無知、無感覚に近い環境だった。
高校を出て僕は京都に行き、京都で水俣病についての知識を得ることが出来た。20代の末、一人で水俣を歩き、相思社を訪問したりした。

30を過ぎ熊本に帰り水俣にも数回足を運び、水俣病について知れば知るほど、水俣をとりまく空気に気分が暗くなり、次第に怒りが湧いてきた。

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大阪地方裁判所の判事は
実際、現地を訪れ、現地の実情を精査した上での判決を下した。

 

・海は一つに繋がり、水俣病を住んでいた地区で判断差別することは出来ない。

(水俣病が公式に認められて67年経っても国と県は、未だに不知火海沿岸すべての地域に住む人の水俣病の健康調査さえ行っていない)

・国側は工場からメチル水銀を含んだ排水が停止した翌年の1969年以降は汚染が解消されたと主張。

(判決は水俣湾に仕切り網が設置された74年1月までに周辺で捕れた魚介類を摂取していれば発症の可能性があったと指摘)

水銀で汚染された海底の泥を除去したわけでない。排水を停止しただけで汚染が解消されるような奇蹟が起るはずない。県はその地域を埋め立て公園にしただけ。原監督のドキュメンタリー映画水俣 曼荼羅」ではその埋め立てた岸壁のコンクリートがひび割れ、そこから水銀がにじみ出しているというシーンが紹介されデータが開示されている。監督本人も、海底にもぐり調査している。

対象外の山間地区に住んで、水俣病を申請した人に向かい、「魚を食べて水俣病を発生したのなら、その時に魚の行商人から魚を買った当時の領収書を出せ」と迫る役人

原一夫監督の映画で、見る人に、己の冷血、無能さをさらし、自分は単なる、行政執行者、歯車のひとつと公言した熊本県知事・蒲島は、県知事立候補時の公約で水俣病の患者の救済を掲げていた。無所属と言いながら、選挙で当選し万歳する彼の真横には自民党の議員がべったり一緒に万歳していたではないか。

今回の大阪地方裁判所の判決を受け、記者会見では「10年間自分は水俣病の人に寄り添ってきた」と神妙な顔で嘘をついていたけど、控訴するなと、原告団が県庁を訪問した時は居留守。つまり無視した。

県知事蒲島の言う「水俣行政」という言葉は、聞こえは格好いいが、苦しむ県民を「どうにか助けよう」と言う意思をまったく感じない。川辺川ダム建設では五木村にポンと100億くれてやるくせに、水俣病で苦しむ人にはビタ1円も払うどころか、面会さえ拒絶する。

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僕の住む集落は、水俣病の対象外の地区。カワグチさんのお婆さんもその規定では
申請しても却下された可能性が高い。

そんな時、役人は漁師に向かい、その時に魚を食べた証拠を出せと言うのだろう。

うなだれ、どこかに消えて行く黒い影たち。

 

もう一度、僕は灰色の海に向かい、石を投げたくなるのだ。

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明日、10月17日 博多で開催されている「水俣・福岡展2023)」

10月7日[土]~11月14日[火] を見に行く。

蒲島が居座るうちは、「水俣・熊本展」は開催されそうにないのだ。

いちりんの花

 

NHKの朝ドラ「らんまん」が終わった。「らんまん」は日本の植物学の基礎を築いた牧野富太郎博士の史実を元に、博士の生涯をドラマ仕立てにした朝ドラなのだ。近年放送された朝ドラの中で、無理をしてストーリーを作らない、押し付けない、素直な内容だった。

 

僕が植物に関心を持ったのは、6年前、五家荘の山に入ってから。五家荘の山で見かける山野草はどうも下界のものとは違う…これは当然のことで標高1500メートルを超える場所に咲く花々と、下界の花々は植生がそもそも違うのだ…しかし五家荘にもツユクサがたくましくも咲いていた。植物音痴の僕は閉校になった小学校の空き地にも咲くツユクサの、丸い二枚の青い花びら、ちょっと化粧きつめの黄色いまぶた、宇宙人のような顔つきにも驚き感動し、カメラのシャッタ―を押していた。そしていつのまにか、町でも山でも、足元に咲くけなげな花たちを好きになった。初めて見る(その存在を知る)花々の事を「らんまん」の主人公、牧野博士と同じ「この子」と呼ぶようになった。「この子」はオタク同士の合言葉のようだ。園芸店で販売されている草花には、今もって何も感じないのだけど。

 

林道を歩いているうちに、気が付く「この子」

登りは全然気が付かなかったのに、帰りには何故がその存在に気が付く「この子」たち。

 

植物の研究者の中では、これまで気が付かなかった花の存在に気が付く事を、「目が合う」と言い方をするそうだ。

 

だんだん慣れてくると、岩の影でひっそり咲いている「この子」と目が合う。

「あー、君はこんなところにいたのか」もちろん返事はない。その花がきっかけにたくさんの群生やキノコを発見することもある。そんなこんなで、僕の山行は時間がかかるようになった。先を急がず、ぼちぼち歩いていると不思議に「この子」達と目が合うようになった。

 

五家荘の山の先輩たちの教えの影響も大きい。ただ、ネット時代の暗黙の了解で、珍しい花の居場所は絶対公開しないようになっている。どこで誰が見ているか分からないのだ。特別に教えてもらった場所はなおさら秘密厳守となる。五家荘の山野草も盗掘が絶たない。「五家荘図鑑」でも最初は花の名前や大まかな撮影場所を表記していたが、思い切って止めた。絶滅が危惧されている花たちは一旦、抜かれると、もう開花しない可能性が高い。気候変動が激しく、ただでさえ花たちの生活環境が厳しくなっていく中、自分の強欲の為に平気で盗掘する輩の無神経さは許せない。

 

春夏秋冬、五家荘の山はいろいろな表情を見せてくれるが、花も同じ。福寿草カタクリの花ように季節の変わり目のほんのわずかな時期にしか咲かない花も多い。

 

僕が特に好きな花たちというと…

 

・オオヤマレンゲ

初夏の山頂近く。夏の青い空の下、木々の茂みの間から顔を出す、美しく高貴な白い花。大柄で大きな花弁の中から、魅惑的な瞳でじっと見つめられたら、誰もその瞳のとりこになるだろう。

 

 

・セリバオウレン

山の先輩Oさんから教えてもらった雪の結晶のような白い妖精。雪がまだ解けない杉林の暗がりを照らすように、線香花火のような、ちらちらした白い火花が飛び散っている。開花期間は短くなかなか出会う機会がない。

 

 

・アケボノソウ

この花をデザインした自然は天才だ。この水玉模様の造形美と色とりどりのバランスの取れた紋様は素晴らしい。林道を歩いていてふと目が合い、上から覗くとアケボノソウワールドに蜜を吸う蟻たちと彷徨いこむ。

 

 

・キレンゲショウマ

8月の「らんまん」では、キレンゲショウマが紹介されていた。(残念ながら番組は見れなかった) キレンゲショウマは山野草では珍しい黄色の花。硬くつぼんだ親指大の花はいつもうつむいていて、ようやく開花すると蜂がその固いつぼみの中へ入り、受粉する。

今や絶滅危惧種。宮崎県側の某斜面ではネットで保護されているが、僕の知る限り、五家荘ではたった一輪、自生している。これも山で、見知らぬ山人に指を差され、教えてもらった。苔むした倒木の上に、一人(一輪) 黄色い花が咲いている。倒木は斜面に係り、鹿も食べる事の出来ない高さにある。花を教えてくれた人は言った。「たまには、寄り道も面白いよ」

毎年、夏になると僕は決まってその谷に出かけ、キレンゲショウマの無事を確認しに行った。残念ながら、今年の夏は、その谷に向かう林道が崩落し、彼女の姿を見る事が出来なかった。

 

 

ギボウシ

キレンゲショウマとほぼ同じ時期に開花するのが「ギボウシ」。平地でもギボウシは開花するのだけど、五家荘のギボウシはワイルド。巨木の枝の分かれ目に根を張り、濃い緑の葉を広げた中心からぐーいっと茎を伸ばし、白い花を咲かせる。山のギボウシは足元を探すのではなく、見上げるのだ。森を見上げ、山の神に吸い込まれるのだ。そのたくましさに僕は何時も圧倒された。この子も、一輪のキレンゲショウマと同じ谷に居るので、結果、今年も見る事は出来なかった。

 

 

今年は水害の影響で道路事情が最悪で、残念ながら、これらの花たちと会えない夏だった。仕方がない、時間があるので栴檀の滝に向かう。遊歩道横の川の水量が多く、滝や川の写真を撮ろうと思うが、なかなか思うような写真が撮れない。とうとう滝つぼの近くまで登って来た。滝の細かい飛沫でカメラのレンズもすぐに曇る。真昼なのに誰も居ない。一人ファインダーを覗くと、巨岩の上に一株の「ギボウシ」が咲いていた。滝の風圧に首を揺らしながらも立派な花を咲かせている。

 

 

山の草花はどこにも移動が出来ない。大雨で山が崩れ、川が氾濫しても。足元の土が揺らぎ、土砂もろとも自分の姿も谷底に崩れ落ちても。雨が降らず、日照りが続いても。それでも一輪の花を咲かせている姿がある。

 

一期一会、一輪の花。

 

五家荘の山に足を踏み入れなければ、一生、会う事の出来なかった、この子たち。

僕のこころは「らんまん」ではないが、君たちのおかげで、どんなにいやされたか。

 

最後のシーン。槙野博士がテレビを見ている僕の顔を覗き込み、目が合い、笑顔で

「おまん、誰じゃ?」と聞いて、話は終わる。

 

気が付けば認知症?

 

最近、よく認知症の事が話題になる。特に、若年性認知症とやらが話題で、気が付けば誰でも認知症になる勢いだ。外見では認知症かどうか、誰も見分けが付かない。骨が折れたり、松葉杖したり、包帯巻いたりしていないので誰も見分けがつかない。本人も。要するに普通の人の格好、風情をしている。長髪でひげを生やしたりしている胡散臭い男も、スキンヘッドで皮のジャンバーを裸体に羽織っている男も、紺色のスーツ姿で髪を分け、分厚い鞄を下げた男も、認知症かどうか見分けがつかない。

 

認知症の症状はつまり、物忘れ、ここはどこ?あなたはだあれ?計算が合わない、道に迷う…症状自体も、普通の人でも時々、同じような症状が出るのだ。ただ、そうして認知症を単なる加齢、物忘れと放置していると症状が悪化し手に負えなくなる…のを、普通の人は経験していないから、気が付いたら手遅れになる。頭の中に、縦横の線を交差して引く。認知症のスピードが遅い人速い人が横線、程度の軽い、重い事を比較する縦線…怖いのは短期間で症状が重くなる人。逆に見分けが着かないのは、長ーい、期間に症状が進行し程度も軽い人。僕は後者なのだろうが、まぁ、先を急ごう。

 

気が付けば認知症。あと数年も経てば、道の向こうから認知症の集団がゾクゾク歩いてくる。バスの乗客のほとんどが認知症。運転手も。新幹線の運転手も。人手不足だから仕方ない。乗客もそうだから気が付かない。座席でみんな薄ら笑いをしている。すでに今の政治屋の半分は認知症だ。投票民も。

 

僕が2018年の2月にクモ膜下で入院し、明日の8時からいよいよ手術という晩。ベッド横のテレビではタモリと作家の又吉直樹氏が人間の脳内を模したセットを歩きながら、脳の仕組みを説明していた。人の脳内は、まるで木々が生い茂ったジャングルのようだった。二人の体を覆い、垂れ下がる細い、枝、足にからまるツタは人の脳内の神経なのだ。二人はその神経の茂みをかき分けながら脳内を歩いている。時々、頭上に雷のような光が走る。そのひらめきは、人が何かを思いついた時のひらめきの光らしい。二人の話の結末は覚えてないが、僕は次の日に、その神経、細い枝を痛めつけないように執刀医の牟田先生が、破れた血管にクリップを3個挟み、そこから血が漏れないように手術してくれたのだ。先生がその作業を終えるまで約9時間かかった。

 

奇蹟的に、僕には大きな後遺症も起らず、退院し社会に復帰した。一度だけ大きなてんかんの発作が起きた。全身が震えた後、棒のように体は硬直しイスから崩れ落ちた。それから死ぬまでてんかん予防の薬を飲むことになった。2年間は車の運転禁止。

 

時に、その脳内の乾いたジャングルに細い針の雨が降り、その細い金色の針は僕の脳内に痛みを与え続けた。いくつもの針の雨。長い雨の後、その痛みは消え、それと共に、僕の暮らしに、思いがけない間違いが起り始めた。数字の認識ができなくなる。1の数字が持つ感覚、2の数字が持つ感覚…何度確認しても認識できない。1番ホームで2番のホームに来る列車を待ち続ける。携帯を何度も忘れる。帽子を忘れる。財布を忘れないように、取り出し横に置いた数分後、財布がない!と焦る。漫画のようだが、忘れないように、メモを書いたそのメモを忘れる。そのメモを探し、焦る。支払いの金額をあれだけ確認したのに間違う。ろれつがだんだん回らなくなる。字が書けなくなる。どんどん自分の字が溶けて行く。最近、さっきの頭の中に引いた線で、進行の波が急に押し寄せて来た気がする。

 

定食屋で飯を食う。とにかく隣の席の話し声が煩いと感じる。テレビを見ても、彼らが何を言っているのか、言いたいのか全く分からない。定食屋の客の煩い声と同じだ。彼らは、ひたすら弱っている人を痛めつけている。弱っている人も、更に弱っている人を痛めつけている。

 

ジャニー何とかの犯罪を問うなら、イギリスのBBCの放送がなければ、あなた達は今もそんたくをしていましたか?と、問えばいい。答えは当然。他者からの指摘がなければジャニー何とかを今も褒め称えていたでしょうに。

 

自然を紹介する番組の画像の下に、「特別な許可」を得て撮影していますという、無駄なお断りの文言が付きはじめたのは何時からか?撮影行為に何か問題があるのではないか?というクレームをしつこく送る奴が居たのだろう。では僕が今度は、そんなお断りの文字など目障り、入れるなとクレームをつけたら、その「特別な許可を得て撮影しています」という文字は消えるのか。

 

そんな、テレビが作る仮想世界が嫌で山に行く。

何故か突然、通い慣れた吊り橋が怖くて渡れずに、這いつくばって渡るようになる。頭がくらくらし、まともに歩けない。

 

そして、とうとう山で遭難する。

僕は普段は単独行で、自分のペースで歩く。団体登山はしない。しかし、今回は仕方ないので集団の登山に入り坂を登る。みんなと同じペースで歩くのは本当に嫌だ。見てみろ、みんな景色なんぞ見てはいない。ひたすら頂上を目指してやがる。こんな登山は嫌だ。寄り道しながら、僕は道端の山野草達と時間を過ごしたい。自分だけの時間が楽しい。暑い、もう耐えられない。登山のリーダーにもうバテバテだから引き返したいと伝えた、来た道を引き返す。地図なぞない。アプリもない。何とかなるだろう。来た道を引き返すだけだ。時間はたっぷりある。

 

ここはどこだ?どこの山頂か?つい1時間前に通ったピークなのに覚えがない。焦る。

何度も行ったり来たりする。救助を呼ぶなぞできない、さっき別れた後なのに。焦る。

良く見ろ、落ち着け、ほら、見つけたぞ。あの馬酔木の茂みに赤いテープが巻いてある。その奥にも。それを辿れば帰路に付くはずだ。

 

こんなに軽はずみな登山はしたことはなかった。どんな山でもルートは確認し、おぼろげながらでも、自分の登山の流れはつかんでいた。何とかなるだろうなどという思いで山には登らなかった。心の中に、何とかなるだろうと、自分の体を突き動かす、あやつる力が働く。

 

林道に出る。バテバテのオヤジが荒れた林道を10キロ歩く。激しく崩落した崖をよじ登る。角を曲がると、又、激しい崩落地が出て来る。足場が崩れる。土の上に突き出た木の根を引きよせ体を引き上げる。もう一本、木の根を探り、体を引き寄せる。何とか道に出る。足元は深い谷だ。それでも山の悪魔は僕を解放してはくれない。携帯のバッテリーがもうすぐなくなる。足元が暗い。じわじわと闇が迫る。ぶ厚い、闇のゾーンが僕の姿を包み込もうとしている。杉の木が切り倒され、何本も積み重なる。その木々を潜り抜け、這いつくばり、手探りで進む先、ぼんやりとした闇の向こうには、ズドンと数十メートル崩落した崖が見える。崖の切っ先に僕は居た。ゆっくり後ずさりする。奇蹟的に知人の携帯に電話が繋がる。

 

認知症の脳内にも、こんなに深い闇の世界がひろがるのか。

とぼとぼ、永遠に長い林道を歩き続ける認知症となった自我があるのか。

 

心療内科認知症の相談窓口に電話をする。脳ドッグより安上がりだ。

間違えないように、数字を、ひとつ、ひとつ、スマホに打ち込んでいく。

 

その病院の口コミを読むに、激しい攻撃を受けている。誹謗中傷。名指しで長いいちゃもん、批判の口コミが書かれてある。トータル★1個。いやはや、壮絶な世界、病院としては放置するしかない。(僕も書き込みそうで怖い)

 

電話に出て来た受付の女性は、きちんと、毅然とした口ぶりで説明し検査日の受付をする。10月13日午後3時から。受付日、時間を間違えないように。

廃墟に棲む夢を見る

 

廃墟に棲む夢…を見るのだけど、そもそも人が棲まないから廃墟であって、これは矛盾した表現なのだ。都会に行き、地下鉄の入口から湧き出るような人の流れを見ていると、そういう都会の住人は廃墟など実感、関心もないのだろうけど、地方ではじわじわと廃墟の波が押し寄せ、その波が引いたあとは、砂山、瓦礫、枯れた木の枝が散乱しているだけの荒地となっている。これが人口減少という結果を目にすると、何も言葉が出ない。数年前までは美しい棚田の風景が、次第に耕作放棄地が増え、管理された青い田の間に、草ぼうぼうの荒地が挟まり、写真を撮ろうにも残念…無念の思いが強くなり、カメラのシャッターを押す気も失せる時がある。

そんな荒廃した地方の惨状をなんとかしょうと、国が手を打ったのが「地域興し協力隊」てな、如何にも大手代理店のコピーライターがネーミングしたような口当たりの良い空虚な言葉なのだ。いつも思うのだが「ふるさと納税」も「地方創生」とやらも同じ言葉の響き、大手の営業、コンサルチームがプレゼンでゲットするための土の匂いのしない見栄えだけの軽い言葉なのだ。

先週のNHKのクローズアップ現代で特集していたけど…番組で取り上げた、シンボリックな失敗ネタよりも、個々人の体験を積み上げ、討論会でも開いた方がリアルでいいのではないかと思う。僕がたまたま知り合った人は、その協力隊事業の初期の人で、東京で数人公募があり、選ばれた数人は全国各地に放り出され、その人は天草のある地域に赴任した。その事務所に行くと彼は1戸建ての家に一人住んでいた。その事務所の向こうの山の斜面には立派なログハウスが2棟、畑付きで建設されていた。確かその事業の管轄は農林水産課だったような気がする。その立派なログハウスに都会人は棲み、その地域に移住するかどうか、判断材料にするのだそうだ。どうやらその町は、ログハウスの建設予算を国から欲しいだけなのか?という気もした。その人の事務所の横には地元のおばさんたちが運営する食堂も検察され、ひと時その地域は賑わいを見せたが、その食堂も閉鎖、知り合った人もいなくなり事務所も空き家のままになった。

人口的にできた廃屋の景色なのだな。施設の海はまだ綺麗なのに。「地域興し協力隊」というネーミングそのものが矛盾していて、地域の町には「地域振興課」「経済課」なる専門部門があるのにその彼らが無能なるがゆえに、都会に住んだ「協力隊」の手を借りるのが矛盾なのだ。あきれて驚くしかなかったのは和水町が以前、町が地域の特産品の開発までして、その特産品の販売者、移住者を公募したり、東陽町が石工の里の観光振興策を新聞チラシで公募したりしていた事を知ると彼らは何も考える力がない…そんな彼らにポンと予算を渡す考える力のない彼らの上司が迷宮を作っている事実が多々ある事なのだ。

熊本ではそんな無能役場の職員が協力隊を、こき使ったり、放任したトラブルの事例が新聞に掲載された。中には各町や村を渡り歩く協力隊の人材も居て、ついこの前、ある村便りに載って頑張りますと言っていた人が、僕の市の市政便りに載っていて、頑張りますとコメントしたりしている。町や村も国から人件費や体験施設の建設費をもらえるから、当たれば儲けもんと思っているだけなのだろう。つまりどっちもどっち。

そうして人口自然減による廃墟と、出たとこ勝負の屁理屈だらけの「地域お越し」の失敗の人工的な廃墟が重なり地方は更に落ちぶれて行く。

地域の発展の為、振興の為とか…言葉にすればするほど、嘘になる言葉には用心しないと。きれいごとの言葉で埋め尽くされた暮らしの中では、何も生まれはしない。地域興しとか地方再生とか、安っぽい言葉を使うのはやめよう。そんな言葉では問題はリセットされない。ワーケーシヨンとか、何それ?そんな場所でパソコンをパチパチしている人など見たことない。(そんな施設を作れば、国から予算が出るのか?)

 

と、いう事で…僕の廃墟に棲む夢の1ページ目が開かれる。

寂れた温泉街の路地裏、目の前を横切った猫の写真を撮ろうと、空き地に足を踏み入れ、草生した廃屋を見上げると、そのツタのからまるガラス戸の奥に微かな灯りが見え、どうやらその建物は廃屋ではなく、誰かの住処だったのだ。草むらをかき分け、その部屋へのさび付いた階段を登ると、ちいさなドアがあり、金魚の風鈴が下げられ、風が吹くとチリリと鳴った。逃げていた猫が顔を出し、ドアの向こうから声がし、ドアのすきまから白く細い手が伸び、その猫を抱き寄せる。階段を這いつくばる僕の体は、周りの蔦や、雑草に絡まれ身動きが取れない。なつかしい、なつかしい草の香り。夢の香り。

 

2023年夏の読書


この猛暑。頭の中が溶けそうでたまらない。それでも多少は読書をせないかんと思い、本屋に行く。古書店で縄文関係の本を数冊。熊本での古書店の数は少なく、僕の知る限りでは3店しかない。汽水社、舒文(じょぶん)堂 河島書店。天野書店の3社。みんな50メートル圏内にあるので、たまに街中に出向いた時に店を覗く。最近は河島さんから本をよく買った。郷土史教育委員会の研究誌、博物館のイベント冊子など。意外や意外、縄文関係の掘り出し物が結構ある。古書店ではないが新刊は長崎書店。売れる本だけではなく、内容の濃い本がきちんと並べてある。石牟礼道子さんの本も充実。これは書店員の実力、知識、本への愛情の結果なのだ。(セルフレジの蔦屋とはレベルが違う)熊本の本の文化はこれらの本屋で支えられていると思う。僕の知らない書店には失礼する。
※県庁前の新刊・古書の混合店「シーン」と読む?店は開店か休店か分からないので行かない事にした (当方1時間かけて何度も行きましたがね…) 水俣古書店(京都から移転)のカライモブックスは開店前に押しかけた (苦笑)

…と、言いながら買ったのが無印良品都築響一氏の「圏外編集者」、紀伊国屋又吉直樹の「東京百景」、アマゾンで森達也鈴木邦男斎藤貴男の「言論自滅列島」…全然、上通書店群では買っていない。しかもみんな文庫だし。

都築氏は自分の目で確認したことしか書かない筋金入りの独立した編集者。
食べログで店を検索するような人を一切信用しないと断言する。成功も失敗も、出会いも別れも一期一会、だから真剣で面白い記事が書けると言う。氏の編集した本はめくるたびに僕の知らない世界が広がる、何も予備知識のない世界でも、面白い物を見つける事が出来るのは、都築さんの修行の成果なのだろう。

又吉氏の東京百景は大阪から芸人を目指して東京に出て来て、貧しい暮らしながらも、自分の精神のバランスを取りながら、東京の市井で精一杯生きて来た彼の想い、思い出が書かれてある短編随筆集。僕も20歳の頃、何度も東京に出る夢を見た。だから今時珍しい、ボロアパートに住む又吉氏のような話は違和感がない。太宰治の文庫をズボンのポケットに入れ、辛い時は公園で読んだという彼のような若者が、今東京に何人居るのか。

森達也鈴木邦男斎藤貴男の「言論自滅列島」は森達也氏のNHKでのインタビューを見たのがきっかけ。1923年の9月1日に発生した東京大震災で、在日朝鮮人の虐殺事件、福田村事件を映画化した話を聞いたら、森氏の本を読んでみたくなった。以前、森氏は或る雑誌社から原稿を依頼され、書いた原稿が「偏った内容だから書き直せ」と言われた時、「個人の意見だから偏って当然」と言い返したそうだ。今後、僕もそうします。

本を買う情報源として、ラジオを聞いたり新聞を読んだり。以前はNHK高橋源一郎さんのラジオもよく聞き、本を買う参考にしていた。高橋氏が熱意を込めて読みあげる作品はとても感動的で即、買わないかんと思うのだが、いざ買ってみると、そういわれるほど、僕にとってはいい本でなかった。別にキュレーターでも居るのか?番組も何だか仲間内で盛り上がるだけのグダグダ内容に変化したようで、面白くない。( 町田康は出なくてもよかった) 氏の番組にでると本も売れるだろうし、喜々として出て来る作家の話に食傷気味で最近聞くのを止めた。それに代わりよく聞いているのがTBSラジオの武田砂鉄さんの番組で、武田氏に紹介される本は内容が濃くて良い。

結果、都築さんのように、人のレビュー口コミなど気にせず、読みたい本を読めばいいし、又吉氏のように、ポケットに入れ公園の片隅で読む、自分を救う本と出合いたい。森氏のように、そんたく社会、押し付けられた意見にうなずかず、偏った意見を持ちたい。夏に読んだ本3冊が、ジャンルは全く違うのに、僕の溶解寸前の脳内で不思議と繋がったのだ。

迷える若者に対してマーケテイングして販売する本とか、最低だよな。サブカル文化人作家集団も気味が悪いぞ。