面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

海に石を投げに行く。

 

2023年10月10日水俣病訴訟、被告の国も県も控訴。

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僕の生まれた家は半島の突端、ちいさな港町。不知火海有明海のちょうど境界にある。家の前は入り江になっていて穏やかな海の景色が広がり、向こうには島々の緑があった。道路を渡ると小さな魚市場があり、日中はギリギリギリと、生け簀を海から引き上げる歯車がきしむ音と、ポンポンポンと、焼け玉エンジンの船の音が行き来した。

漁港らしく、大小の船がともづなで岸につながれ、獲れたての魚が入った木箱が山積されていた。海岸の家々はみんな貧しく木造、屋根はトタンでふかれ丸い石がいくつも置かれていた。強い台風がくると瓦どころか、屋根まで吹き飛ぶことが度々あった。

僕らは、特に遊ぶ道具なぞなく、海岸で平たい石を集めて、海に向かい横から投げ、
何回水面を撥ねた回数を競ったり、裏山で雑木林の上に基地を作り夕方まで遊び惚けた。

うちの家業は左官職人で、父はセメントまみれで家の壁を塗りこむ仕事をしていた。
小さな庭を挟んで、裏には漁師のカワグチさん一家が居た。僕が中学になる頃、カワグチさんのお婆さんの様子がおかしくなった。顔も真っ赤になり、素肌に浴衣を羽織り、路地を歩き始めた。足を引きずり、昼から焼酎を飲み上機嫌だった。アルコールで痛みをごまかしていたのか。

ちょうど水俣病が発見され社会問題化した時期だった。僕が高校に入るころ、カワグチさん一家は静かに集落から姿を消した。

僕の家の夕食のおかずも当然、魚が中心だった。すぐ横に市場があるのだ。長男の僕は頭が良くなると魚の目玉を無理やり食べさせられていた。両方の太ももが締め付けられるような痛みが続いたのは小学生の頃。その痛みは突然やって来る。筋肉の奥が締め付けられ痛いのだ。その締め付けられるような痛みは20歳の頃まで続いた。

不思議なのはあれほど、世間で騒ぎになった水俣病が熊本の中学、高校に居ながら授業で水俣病について学んだ事はなかった。水俣で何が起こっているのか、無知、無感覚に近い環境だった。
高校を出て僕は京都に行き、京都で水俣病についての知識を得ることが出来た。20代の末、一人で水俣を歩き、相思社を訪問したりした。

30を過ぎ熊本に帰り水俣にも数回足を運び、水俣病について知れば知るほど、水俣をとりまく空気に気分が暗くなり、次第に怒りが湧いてきた。

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大阪地方裁判所の判事は
実際、現地を訪れ、現地の実情を精査した上での判決を下した。

 

・海は一つに繋がり、水俣病を住んでいた地区で判断差別することは出来ない。

(水俣病が公式に認められて67年経っても国と県は、未だに不知火海沿岸すべての地域に住む人の水俣病の健康調査さえ行っていない)

・国側は工場からメチル水銀を含んだ排水が停止した翌年の1969年以降は汚染が解消されたと主張。

(判決は水俣湾に仕切り網が設置された74年1月までに周辺で捕れた魚介類を摂取していれば発症の可能性があったと指摘)

水銀で汚染された海底の泥を除去したわけでない。排水を停止しただけで汚染が解消されるような奇蹟が起るはずない。県はその地域を埋め立て公園にしただけ。原監督のドキュメンタリー映画水俣 曼荼羅」ではその埋め立てた岸壁のコンクリートがひび割れ、そこから水銀がにじみ出しているというシーンが紹介されデータが開示されている。監督本人も、海底にもぐり調査している。

対象外の山間地区に住んで、水俣病を申請した人に向かい、「魚を食べて水俣病を発生したのなら、その時に魚の行商人から魚を買った当時の領収書を出せ」と迫る役人

原一夫監督の映画で、見る人に、己の冷血、無能さをさらし、自分は単なる、行政執行者、歯車のひとつと公言した熊本県知事・蒲島は、県知事立候補時の公約で水俣病の患者の救済を掲げていた。無所属と言いながら、選挙で当選し万歳する彼の真横には自民党の議員がべったり一緒に万歳していたではないか。

今回の大阪地方裁判所の判決を受け、記者会見では「10年間自分は水俣病の人に寄り添ってきた」と神妙な顔で嘘をついていたけど、控訴するなと、原告団が県庁を訪問した時は居留守。つまり無視した。

県知事蒲島の言う「水俣行政」という言葉は、聞こえは格好いいが、苦しむ県民を「どうにか助けよう」と言う意思をまったく感じない。川辺川ダム建設では五木村にポンと100億くれてやるくせに、水俣病で苦しむ人にはビタ1円も払うどころか、面会さえ拒絶する。

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僕の住む集落は、水俣病の対象外の地区。カワグチさんのお婆さんもその規定では
申請しても却下された可能性が高い。

そんな時、役人は漁師に向かい、その時に魚を食べた証拠を出せと言うのだろう。

うなだれ、どこかに消えて行く黒い影たち。

 

もう一度、僕は灰色の海に向かい、石を投げたくなるのだ。

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明日、10月17日 博多で開催されている「水俣・福岡展2023)」

10月7日[土]~11月14日[火] を見に行く。

蒲島が居座るうちは、「水俣・熊本展」は開催されそうにないのだ。