京都に黒瀨勝己という詩人がいた。

1980年頃の京都の話。今時、詩人の黒瀨さんの事を知る人は少ないだろう。それでも、未だに僕の記憶の片隅に「黒瀨勝己」という京都の詩人が居る。最近何故か、黒瀨氏の作品を思い出すのだ。もう40年も前の事。
以前書いた「京都にZABO(ザボ)という喫茶店があった。」の続編のような話。
僕の意識のほとんどは過去の時間に満たされていて、未来の時間はほんのわずか。いつも頭の中は昔の事ばかり悔やんで思い出し、今を生きている。そんな僕にも20歳の時があったのだ。
僕は熊本の端っこに在る小さな港町で生まれ育った。子供の頃から人付き合いが苦手で、早く生まれた町を出たくて仕方なかった。自分の事を誰も知らない街に、出て行きたかった。
高校を出て、何とか京都の大学の二部(夜間)にもぐりこむことに成功した。学部は文学部。生活費、学費を稼ぐ為に就職した会社の終業時間は遅く、とても授業に間に合わない。夜な夜な賭けマージャンの誘いばかりで、その会社は3か月で仕事を辞めた。短期のバイトで食いつなぐ。僕は試験にも出ず、授業料も払えず、1年後、その大学から学籍を抹消された。20歳を前に、僕はリュックを背負い、自転車に乗り、学生と偽り山奥の下宿に引っ越した。無職で無色透明。何もしなければ何も起こらない。一人の部屋で体を丸め、明日の不安におびえていた。バイトがない日は、煙草を吸い天井に白いケムリを吐き、文庫本を読んだ。自分にイラつき、焦り、悶える日々。学生でもないのにふらり立ち寄った大学の学生会館に文芸サークルというクラブがあり、ドアをノックした。そこで出会った人達から、黒瀨さんの存在を教えてもらった。寺町の三月書房で「幻灯機のなかで」「ラムネの日から」という2冊組の詩集を買う。
当時の京都はバブルの真っ最中で、夜の繁華街は細い路地まで人であふれ、夜な夜な酔っ払いの歌声で通りは満たされていた。先輩に連れていかれたのが「富士」という居酒屋で、ドアを開けると煙草の煙でもうもうと白くかすんだ店内で、文学談義が交わされていた。カウンターには山盛りの料理がいくつも並べてあり、その皿からオーダーされたものは小皿に分けられ、お客の頭の上を飛び交う。怒鳴るような声で話さないとお互いの声が聞き取れない。先輩の一人は優秀な成績で大学を卒業する前日に、自分で大学を退学されたそうだ。(その理由は分からない)その先輩から、僕の詩は「唾棄すべき詩」だと酷評された。確かに、ジャズ喫茶の暗がりで腕を組んで、如何にも悩み苦しむポーズをとる、一見上手そうにも読めるが、肝心の伝える感情がない、薄っぺらい「唾棄すべき詩」だった。
当時の京都には「のっぽとちび」という詩人(同人)の集まりがあり、その合評会にも黒瀨氏がくるという話を聞いたが、結果、僕が黒瀨氏の本を買ったのは黒瀨氏が自死された後の事だった。その本を買ってからおよそ、45年近く黒瀨氏の詩集はシミだらけで僕の本棚の奥にある。黒瀨氏の詩のスタイルは日常の中で感じ取る、自分の感覚を詩にした内容と、ストーリー性のある、幻想的な世界を表わした詩のスタイルの二つがあった。
いくら有名な詩人の詩でも、自分の感覚に合う合わない詩があるのは当然だけど、スマートで一般受けのする有名な詩人の詩(例えば、谷川俊太郎)より、時に未完成、日常の中で少し違和感を感じる、その感情その一瞬を書いた黒瀨氏の生暖かい詩が僕は好きだ。
黒瀨氏と会った事もない、話した事もない自分だけど、僕の記憶の中の居酒屋富士で、煙草の煙る騒がしい店内で、いつか僕は黒瀨氏に会えるような気がしていた。
記憶の暗いトンネルを、とぼとぼと歩いて行くと、居酒屋富士の玄関の灯りが見える。会えたにしても、お互い何も話をせずに、ただ、うつむいて煙草を吸っている気がする。僕の背中で(もうとっくに、顔も名前も忘れた)先輩の声がする。君の詩は唾棄すべき詩だと。
僕は記憶の中で、黒瀨氏と20歳の頃の自分と再会した。2人にさよならが言えずに、僕はまだ、居酒屋の椅子を温め続けている。
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「ラムネの日」 黒瀨勝己
ラムネを買いに行ったまま
帰ってこない いもうとが
ぼくにはたしかにあり
あれは よその子を預かっていたんだよ
と いいはる母親も
どこかの母親みたいで
夢でもみたんだよ 夢でも
と 母親はいうが
そんなはずはないよ
にわかに暗くなってきた部屋で
算数の宿題をしていたことだって
おぼえているのだし
けれどいつまでたっても
いもうとは帰ってこず
そのうち 母親も死に
いまではその名も
その顔立ちも
わすれてしまってはいるが
縁日に 赤い兵児帯をしめてはしゃいでいた
うしろすがただけが
いつまでも鮮やかで
今年の夏まつり
四歳の娘に浴衣を着せ
つれていった縁日で
娘ははじめてみたラムネを欲しがり
思わずぼくは娘の手を握りしめ
不器用にラムネを飲んでいる
娘をみているうちに
いもうととは この娘のことだったのか
この娘がいもうとなのか わからなくなり
こころみに
―――さよなら
と いってみると
その女の子もぼくをじつと見て
―――さよなら
と こたえ
それが
ぼくらのほんとのわかれのようにみえ
詩集「ラムネの日から」