「水中の哲学者たち」(永井玲衣)を読む。

あるラジオ番組を聞いていて、
著者の永井さんという人が出ていた。
永井さんは新進の哲学者で、
話し方は丁寧だったが…内容は不明だった。
もちろん哲学者の話なのだから…
ただ今時の若いナイーブな感性を感じたので…
おじさんの下心もあり、
つい彼女の本を買ってしまった。
永井さんは各地の学校をまわり、
小学生から高校生までの若者と
「哲学の対話」と言う授業をおこなっているらしい。
「死んだらどうなるか?」
「校則について」などなど
みんなは悩み考え、
出されたテーマについて、
水中に沈むように考える。
なんとも間が悪い…。
永井さんの授業に参加したことはないが、
今年の夏に僕が悩み哲学(?) したのは
「人は人を殺していいか?」だった。
僕のその答えは、悩む間もなく
「人は人を殺して良い」という結果だった。
その問いには注釈があり、
「人は(気に入らない)人を殺していいか?」
という但し書きがあり、
気に入らない人が自分であっても、
人は(気に入らない自分)を殺していいことになる。
その問いが、間が悪いと言うのは
パレスティナのジェノサイドを見たらいい、
「人が人を堂々と殺しているではないか」
イスラエルという殺人国家とやらは、
堂々と理論武装し、
「虫けらと思う人を、どんどん殺している」のだ。
彼らからすると、
「人が人を殺していい理由は自衛…
つまり自分の利益の為」
しかも今は戦争状態なのだから
「人は人を殺していいと思う人」も、
相手の「人は人を殺していいと思う人」に殺されても
仕方ないと思って居る。
だから相手にヤラレル前に殺すのだ。
もっと深く絶望するのは
「人は人を殺していい」という国、人々が
「人は人を殺していい」という国に
武器を売り、国家的な利益を上げている事実だ。
利益を上げて景気の良い国、
つまりアメリカは、
パレスティナで何万人虐殺されようが
日本から来た「オータニ」という選手の
ホームランに一喜一憂して、
多分、賭けをしているのだろう、
オータニが盗塁する度に
帰りのステーキハウスで
血の滴るステーキを頬張り、
その子供らは食べ尽くせない
ポテトをこっそり、ゴミ箱に捨てるのだ。
日本のマスコミも
パレスティナの報道よりも
オータニの活躍の方が、視聴率が取れ
利益になるので、今世界で起こっている
ジェノサイドを黙認している。
現実は哲学のように
複雑ではない。
イスラエルは、殺人が批判されると
パレスティナの人々を飢餓に追い込み
爆弾ではなく、武器を使わず人を殺す方法も持つ。
道徳とは別のところで、パレスティナの老人が
我が子のように育てたオリーブ畑を焼き尽くす。
何故「人は人を殺していいか?」と言う問いに
彼らは自衛のためだと口をそろえる。
「人は人を殺していい」という意見に
誰も反論が出来ない。
哲学という理論は目の前に広がる
ジェノサイドの光景を止める事は出来ない。
ジェノサイドから逃れた子供たちが
止める事はできない。
「人は人を殺してはいけない」
という意見を持つ人々は、
「人は人を殺してはいけない」
という意見を持つ人々と
連帯するしかない。
その事で、
人は人を殺さない世界が出来上がる
残念な事は、
今は「人は人を殺していい」という国が
「人は人を殺してはいけない」国の民を
殺し続けているのだ。
「人は人を殺してはいいのか?いけないのか?」
そもそも、これは哲学のテーマなのだろうか?
永井玲衣先生…時に、オヤジ達に向かい、
哲学教室を開催してくれないでしょうか?
今年は「オータニ」がホームランを打つたびに
彼の事が嫌いになった夏だった。