面白半分 猫半分 猫日誌

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。海の見える家に住む60過ぎのオヤジ。熊本在住。

棚田と彼岸花

 

今年の熊本の彼岸花の開花は遅かった。もちろん暑さのせいだろう。写真好きなら、つい撮りたくなるのが彼岸花なのだけど、色も派手で独特の形の花ゆえ、撮った瞬間はそれなりに上手く撮れたと勘違いする。残念ながらその画像を見なおすに、どこかで見た誰かの彼岸花の写真となる。深山でしか見られない花ならともかく、どこの里山でも彼岸花は咲いているし、折角撮るなら、棚田に咲く彼岸花がよいと、毎年のように通うのが美里町の小崎地区の棚田に咲く彼岸花なのだ。2022年「つなぐ棚田遺産」に選ばれた地区でもある。(過去に日本棚田100選というのがあったが、今や消失した棚田も多い)

 

幹線道路から民家の小道を抜け、谷を降り、坂道を登り…そこそこ、奥まで来たなと思った場所に、小崎地区の集落の景色が谷間にぽっかり広がる。絵にかいたような農村の風景。手の平の上の桃源郷…というのは言い過ぎだろうが…。室町時代から長い月日を経て、磨かれた棚田の景色。この石組みの石の一つ一つは、山を開墾しながら出て来た岩の塊を積み上げて出来た物なのだ。少しでも効率的に水が流れ、無駄がないように設計された先人の英知の結果でもある。地図に描かれた等高線に沿い美しい棚田のラインが幾重にも重なる。そのあぜ道の線上に彼岸花の赤い点と点が連なり、金色に稔ってきた稲穂の色と肩を並べている。

 

ただ、残念ながら通い始めた10年前の景色はもうない。その時から4割程度の田は無くなり、雑草が伸びている。棚田と彼岸花を一緒に撮るにはその耕作放棄地を上手く外して撮りたいものだが、そういう都合の良い景色は見られない。肝心なところで、荒地が割り込んで、あたり一面、緑の稲田の景色は見られないのだ。

 

当日はいつもの大日如来梵字が刻まれてある板碑の横のスペースに車を停め、棚田の間の小道を降りて行く。(運転禁止の身だが、ここまでやってきた) 集落の真ん中、小高い丘の斜面に彼岸花が咲いていた。その斜面の奥から枯葉でも焼いたのか白い煙が出だした。尾崎放哉の辞世の句「うらやまから烟が出だした」という句が頭に浮かぶ。左の石の祠の中には「いぼの神様」の木像がある。

 

 

そこから、もっと坂を下り、また小高い丘に登るとそこには「猿田彦の石碑」が尖がって辺りを見守っている。猿田彦さんの頭上には大きな桜の樹が生え、春には桜吹雪となる。斜面には稲刈りが済み、掛干しされた稲穂が下がっている。この掛け方も熟練の技術が要り、刈取り藁で束ねた稲穂を二股に分け、びっちり隙がないように、交互に押しながら掛けて行くのだ。そのことで稲全体に風や陽が当たり、満遍なく稲穂は乾燥していくのだろう。猿田彦の石碑の下にも梵字が刻まれた板碑がある。

 

もうここらで汗が吹き出し、以前ならもっと遠回りに棚田を一周するのだけど。もう限界と帰路に就く。「いぼの神様」の丘に戻り、もう一度、全体を見下ろそうとした時に四角い祠のようなものに気が付く。中を覗くと黒く焼けた木の仏像のような姿がある…が、その仏様の右手には「しゃもじ」が置かれていた。この棚田の豊作を願う木像の田の神様が居た。

 

大日に如来の石碑に、いぼの木像、猿田彦の石碑、田の神様…。室町から人が居て暮らしが続いている田園空間。郷土史家でも、民俗学者でもいいし、専門家の視点でこの地域の時間と物語を発掘できないものかと思う。

 

訪れる度にこの棚田の空間は、時間が止まっているような不思議な感覚に包まれる。ところで、彼岸花の匂いはどんな匂いか?これだけの群生地で、さて、彼岸花の香りとは?どんな香りがしたっけ?