面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

「ネット右翼になった父」(鈴木大介著)を読む。

 

話題の新書「ネット右翼になった父」(鈴木大介著)を読む。

ラジオ「アシタのカレッジ」で、武田砂鉄氏の紹介を聞いた事がきっかけなのだ。

著者の鈴木氏によれば戦後の激動期を生き、大企業の社員となり定年を迎えた実の父がいつのまにか「ネット右翼の思想に毒されてしまい」以前は口にもしなかった「嫌韓・嫌中・女性」差別の発言を繰り返し、晩年を迎え、父の死後、何故そうなったのか、そのルーツを探る旅のリポートの一冊なのだ。

 

大体、大人になり親子がべったり一緒に暮らす機会もなく、お互い自立していれば思想も違うのは当然なのだけど、作者の鈴木氏にとれば「あの父が何故?」と言う大きな疑問が湧いてきたのだ。そもそも鈴木氏は専門のライターで、父の軌跡を調べるのにもプロの視線でそつなく調べ上げ、親子の思想の分断に悩みながらも、父の自分史の年表を眺めながら、最後はもう少し分かり合えば良かったのにと、涙ながらに悔やむ。

 

3月6日は僕の父の13回忌だった。父は東北大震災の年に老衰で亡くなった。84歳だった。死の数年前、脳梗塞で倒れ半身不随になったが、リハビリで奇跡的に障害は回復したものの、また同じ脳に障害が出て最後は病院のべットの上で亡くなった。僕の父はネット右翼どころか、戦争の被害者と言っていい。昭和2年生まれ10代で戦争に駆り出され、鹿児島、沖縄に渡った。本土決戦の為の捨て駒もいいところだった。敗戦後、骨と皮になって故郷に帰ってきた。亡くなるまで、戦争の話はほとんどしなかったが、沖縄に再度敗戦処理に行かされ、死体の山を米軍がブルトーザ―でかき集め、処理している事を見て驚いた体験を話した事がある。

 

中学生の頃、反戦思想にとらわれた僕は父を言葉で追い詰めた。「親父は戦争で相手を何人殺したのか?」もちろん口下手の父は反論することもなかった。

父は温厚で無口。尋常小学校を出て家業の左官職人を継ぎ、コテ一つ、セメントまみれで弟妹(叔父・叔母)の学費を稼いだ。叔父は大学を出て、無学の父を馬鹿にしていた。離縁した叔母の将来の事を考え父はコツコツお金を溜め、土地を買った。

ネット右翼」どころか、最後まで生きるのに精いっぱいだが、愚痴を一つもこぼしたことはなかった。孫の成長と湯呑1杯の焼酎だけが楽しみだった人生だった。鈴木氏のお父さんと年代も違うし、環境も全然違う。地方に住む、昭和ヒトケタ世代の多くは僕の父と同じような人生を歩んできたような気がする。

 

毎年やってくる8月15日敗戦の日、父は何の反応もない。天皇についても何のコメントもない。父はあの敗戦の日から、無色透明になったのか。言葉を失くしたのか。自分の青春の思い出もない。語らない。死に際、ベットの上に横たわり、天上を見上げる濡れた瞳には何が映っていたのか。

昭和34年、1960年生まれの僕は、結果どこにも行き場のない「左翼思想かぶれ」となる。1980年に20歳。運がいいのか、悪いのか。夜間大学のキャンパスでは、すでに左翼運動は風化し「お祭り騒ぎの跡」はきれいにぬぐい去られ、シラケ世代というレッテルの裏で何も起こりそうのない毎日が続いたが、数年後バブル時代の到来となる。

 

さて、ぼくの事務所のデザイナーのI君はいつの間にか「ネット右翼になってしまった」マックのキーボードの前には大きなモニターが3面大きく開き、いつもその中の1面には「保守速報」とやら、何やら、たくさんのコメントが積み上げられていた。彼はそのモニターを見ながらデザインをするのだ。その積み上げられた、嫌韓・嫌中のコメントを一つ一つ読みながらマウスを動かす。彼に言わせれば、南京大虐殺はデマ、従軍慰安婦は売春職業婦人、植民地にされた韓国人は酷使されて当たり前、戦争に行かないだけでも幸せと思え。日本は戦争で中国に負けたのではない。そんな日本が嫌なら祖国に帰れ。左の思想と思われる作家、芸能人を誹謗、中傷するコメントを書く。バブルの後、「そこまで言って委員会」的な発想はおじさんだけでなく、若年層にも浸透した。その一つを批判すれは、ネットで集めた資料をプリントアウトし僕に読ませる。僕が渡した文章は捏造されたものと拒絶しながら、自分で集めたフェイクニユースを読んでくださいと紙の束を渡す。当然、彼のデザイナーとしての感覚は摩耗した。冒険心がない。彼は村上春樹を心底否定する。もちろん村上春樹氏の作品なんて「読むヒマなんてない」そうなのだ。アマゾンでの★1個の長い批評を読むのが楽しいのだ。そんな彼らのルーツは何なのか。

落語家(当時のざこば)が言う、「今前、沖縄に行きましてな、タクシーの運転手さんに話を聞いたんですわ、辺野古の基地に反対する人たちは、地元の人たちじゃなくて、本土からやって来た人たちばっかりでっせーほんまに」この落語家の話はデマのおとぎ話でオチはないが、こんな話を信じるのは若い人だけではない。

閉塞した、行き詰まりの時代の空気か、無力感か。何度手を伸ばしてもつかめない霧の中の白い影か。デザイナーの彼はもうすぐ会社を去る。

 

どこにも行き場のない「左翼思想かぶれ」の僕もつまり、どこにも行き場がない。

霧の中の白い影は何なのか言葉にしようとしたら、つかみどころがなく霧散してしまう。