面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

日本習合論の感想の続き。

前回のブログの続き、「日本習合論」の感想の続き。

天草市本渡の諏訪神社に行った。天草では一番、規模が大きめの神社なのだ。境内も綺麗に掃除されていて、そつのない神社のお手本のような神社だった。社務所には大きな日の丸が掲揚されてあり、祝日には国旗を掲揚しましょうなどのポスターが貼ってある。

諏訪神社の総本山は長野県の諏訪神社で、祀られてある神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」であり残念ながら「天照御大神」ではないのだけどね。

 

神仏習合の本をいくつか素人ながら読んでいたら、いつもは冷静沈着そうな研究者の先生が感情的になり「日本書紀」は天照御大神、つまり天皇の都合の良いように作り話が記されてあると断言している記述もある。日本書紀によると、諏訪神社の神は争いに敗れ、長野の山奥、諏訪湖の奥にじっとひっこんでおきますから、どうぞ命だけは許してくだされ、という情けないレッテルが張られた神なのだ。研究者の言うように、そんな情けない神を諏訪神社の檀家、氏子の皆様がこれまで許しているハズはない。

 

僕はそんな山の神を祀る諏訪神社分祀、天草諏訪神社に白々しく日の丸が掲揚されているのに違和感を覚えたのだ。もう1000年以上も前の事だから、日本書紀も神話だし、まぁいいではないかと話を曖昧にしておきましょう、てな感じなのだろうか。諏訪神社に限らず、どこの神社にも日の丸が掲揚されてはいるけど。

 

そしてその諏訪神社の近くにある書店で、(写真) そんな悩ましい中年の僕が内田樹氏の「日本習合論」を買ったのだ。その書店主はミシマ社という出版社の大ファンで、ミシマ社の本を販売するために書店を開き、書棚に並ぶ本は僕のひねくれた趣向と8割被る。この前は、同じくミシマ社の「街角のアナーキズム」とかいう本を買って読んだ。

「日本習合論」で作者の内田氏は、神仏習合は日本の雑種文化、日本文化の本態であると書いた。

 

神仏習合の雑種文化に対し、天皇制で国を1本化したい純粋文化が争いを仕掛けるも、霊対霊の争いで、雑種文化は争わないから、今のようになったのではないかともかかれ、今の時代、少数派が生き残るためには雑種文化を参考にすべしと読者を励ます。

 

それにしても内田氏は疑問に思う。廃仏毀釈になぜ一部の事例を除き、誰も反抗しなかったのか?

 

僕の知る限りでは、廃仏稀釈に反対、反抗したのは一部の民ではなく、全国各地の「一部の民」なのだと思う。その反抗が分断され大きな波にならなかったのは、時代のせいではないか。

 

長野の諏訪神社も大きな反対運動があった。境内の五重の塔や仏像が廃棄されるのを地元の人々は反抗したのだ。京都から担当者が再三、申し入れたのだが反抗は収まらない。ただ当時の城主は勢いのある維新派から、決断を迫れら、これ以上受け入れないと、藩自体の存続に関わると脅されしぶしぶ明治政府の意向に従ったのだ。おそらくそういう反抗は全国で多々あったに違いない。熊本のあちこちの寺でも、僕の地元では八代神宮、釈迦院など廃棄を命じられた仏像が夜に持ち出され、協力してくれる小さなお寺に匿われた話が多々ある。

 

当時は明治維新で国内も大騒動、何がどうやら、当時の藩主は命乞いをせざるを得なくなった。もちろん、一般の民も。国の形の大変動の時期に維新の政府は血走り、何をするのかわからない。そうして不安に満たされた動乱の時代にスッと出されたのが「天皇」新時代のシンボルなのだ。(天皇の政治利用はやめましょうという約束も反故)、みんな明日はどうなるか中国のようになるか、命の危機にさらされたら、何かを信じたいとすがったに違いない。

そりゃあ、地元の氏神さまも大事だけど。

ということで、僕の回答は、やむを得ず、神仏稀釈に心優しい、日本の民は従わざるを得なかったのだ。残念ながら明治政府が樹立され、維新の志士もあっという間に汚職まみれ、それを嘆いた西郷どんは、昔は良かったと西南の役を起こす。悲しくも哀れな共食いの役。

そうこうしているうちに日清、日露戦争天皇陛下は生神様となり、日本人の信仰のシンボルと同化する。靖国(戦争洗脳、特攻隊神社)ができたのは、明治2年。戦時中の宗教界、もちろんキリスト教も戦争賛美、戦争協力者になってしもた。戦争で死んだ魂は故郷に帰らず、仏様の近くにも行けず、靖国の神のもとに無理やり祀られることになった。いつの間にか、諏訪神社の境内にも日露戦争の碑、忠魂碑が建てられ祀られてある。

今や、金まみれの神社庁は神社をランクづけして更に権威を作り利権を貪る。残念ながら現代の日本人のメンタリティは廃仏毀釈の時代から大きく退化したのだと思う。幼形成熟、子供のまま大人になったウーパールーパー

天皇を生き神として祀りあげ、戦争責任も問えず、人類平等と言いながらも今の天皇家に敬語を使う。天皇批判、天皇制の廃止を公言したらマスコミはもちろん、一般の人民から総攻撃を受けるだろう。戦後70年経っても「そのこと」さえ議論できない。まだ、明治維新からのマインドコントロールからは解放されていないのだ。

 

正確に言えは、天皇を神として今も祀りあげるが、今の日本人の本当の神はアメリカ様なのだろう。アメリカ様の言う「アメリカ民主主義」に悩みながら金を貢ぎ、沖縄を差し出し、アメリカ様の言うことを飲まざるを得ない、廃仏稀釈を強制されたお殿様の精神状態と同じ、今の政権、今度はアメリカ様に何を差し出せば良いのだろうか。

 

今も田舎には、道祖神が祀られ花が添えてある景色がある。庶民の神は相変わらず、神仏習合の神であり妖怪であり、石碑に刻まれた文字も読めない程の古い地元だけの神様なのだ。僕の信じる神は靖国だの伊勢神宮だのそんな立派な神様じゃございません。宝くじも当たりませんから。

 

天草は江戸時代に「天草の乱」で当時の政府、全国の大名どもに3万を超える貧しい人々が皆殺しにされた歴史がある。天草の乱で、当時の神社は焼き討ちにあった。神社、お寺は幕府のスパイ、見張り役であり、踏み絵の場所でもあった。平和を願い、皆殺しにされた人々が信仰し心のよりどころにしたのが、キリストではなく、マリア「観音様」だった。ほとんど人がいなくなった天草に入植させられたのが全国の貧しい農民。歴史は本当に残酷なんだなぁ。

 

考える機会となった、内田樹先生の「日本習合論」に感謝…とそんたく、書かないといかんと思いながら、結果、内田先生が「何」を書きたいのか?僕には分からん。先生、いつも事象を少し斜めに見ながら「何」かあると若者の気を引きながら「何」を言いたいのか分からない。※養老タケシ大先生と同じグループ感覚なんだなぁ。

 

極私的「日本習合論」