面白半分 猫半分

人としての面白半分な日々と、猫とともに面白半分な日々。熊本在住。頭も半分、おバカさん。

悲しきダムと五木村

 

僕個人と五木村の付き合いは長い。もう30年近くになる。釣りや登山で、五木村の山や川に入り込んだ。特に川についてはヤマメ釣りにはまり、分水嶺となる大通り峠を下り、道沿いに流れる五木小川に竿を下ろし、一日を過ごした。基本ヤマメ釣りは一人なので、誰も居ない五木の川を独り占めにした。悲しいかな、全然釣果はなかったけど。

その当時から五木村にはダム問題が絡みついて離れなかった。ダムの建設予定地は五木に限らず、お隣の相良村にまで広がり、ダム本体の建設予定地は相良村の野原小学校の敷地内に予定されていた。野原小学校は谷間の小さな野原にある木造の学校で、校庭の真ん中には桜の樹があり春には谷間を桜色に彩った。廊下にはヤマメの泳ぐガラスの水槽があった。まるで「ぐりとぐら」の絵本に出てきそうな小学校だった。ダムの建設で廃校が決まると、あっという間に校舎は取り壊され、校庭跡はダム用の建築素材、土が盛られ土砂置き場になった。僕ら家族の野原小学校の思い出は無残な姿に変容した。それでも僕は家族とその土の盛られた場所の河原でテントを張り、野宿した。夜には谷の奥で鹿の声が響き、闇に眼が光った。

その後、いよいよ五木村の真ん中にある木造の小学校も同じ運命になり、小さなお別れイベントの後、取り壊された。こういう感傷的な思い出は、ダムなどの公共工事にはつきものなのだが、ただ五木村の場合、そうして感傷に浸っている時間と並行して、改めて川辺川ダムの建設の是非が問われる事態になった。球磨川漁協の利権争い、土地ころがし、建設省の説明資料の偽装が報道され、逮捕者も出た…県民説明会が何度も開催され、会場では怒号が飛び交う。当時の県知事が話を始めると、舞台前に陣取ったダム推進派、動員されたオヤジたちの怒号が知事の声をかき消すのだ。しかし彼らが騒げば騒ぐほどダム建設の是非の関心は高まり、建設計画は混迷を深めた。

そして、まさかの「ダム建設中止宣言」。
翌日、県庁には五木村の村民が押しかけ「今更、話をひっくり返してどうするんじゃい!」と知事に怒声を飛ばす姿がニュースでチラリと流された。結果、ダムは建設されなかったが、すでに村民の住まいの移転は終わり、山間の地に新興住宅地、モダンな作りの村が建設され始めた。熊本県は地域振興の名のもとに村に莫大な迷惑料を支払ったのだ。ふもとの相良村からいっきに駆け上がる広い道路。橋が何本も架けられ、温泉館、物産館が建設された。谷間に架けられた橋からは、ゆるキャラの黒い着ぐるみが、何度もバンジーで飛び降り、笑いを誘った。(僕はこのゆるキャラが大嫌いなのだ)
不思議な光景。ダムの建設で水が満たされるはずの空間には、今も空虚が漂っている。すでに昔の五木村の姿はどこにもない。空虚の中に沈んだのだ。干上がったダム底の上に、新興住宅地ができた光景が今の五木村の姿なのだ。観光客は何を求めて村にやってくるだろうのか?藁ぶきの屋根の懐かしい日本の原風景。ダムに沈んだ、村の跡地の見学。ダム問題でほんろうされた村への同情の想い…。道の駅の前に立ち、恐る恐る下を見下ろしても、ダム一杯分の空虚感が漂い、何の景色も感動もわかないのだ。

更に混迷。今夏、県知事の唐突な「穴あきダム建設」宣言。彼は住民にヒアリングせずに建設決定を断行、村にポンと5億円、地域振興費の名目でお金を渡し、翌日、東京で建設大臣と握手をした。電光石火の出来レース、彼には珍しい早業だ。最近、また五木村に地域振興費を上乗せすると言い出した。一度建設中止をしてから数年、今日までに球磨川流域に遊水地などの処置を電光石火の独断で建設して居れば、水害の被害も少なく復興費も安くついたはずなのに。

僕が気になるのは熊本県だけでない。五木村の対応も気になる。今回のダム建設再開について五木村として意見の発表を聞いたことがない。ダムについて賛成なのか、反対なのか。卑怯なのは、反対の意見を住民個人に発言させておきながら、村会議員などの公人が公にダムについての意見を一切発言する事を聞いた事がない。つまり、賛成にしても反対にしても批判されるし、そもそも村会議員の副業は建設関係が多いのでダムについての意見は禁句。ダム建設に翻弄され、迷惑、被害を受けたと言ってあいまいにしておれば、責任を負わなくていい。ダム建設に揺らぐ五木村について、同情する人は居ても、五木村のこれまでの地域振興の失敗を批判する人は居ないのだ。これまで村内に無駄な橋や道がどれだけ造られたのか。砂防ダムの数は数えきれないしアッと言う間にそのダムは土砂で埋まり、その砂防ダムの上にダムを造る。そのダムまでの作業道も山を崩し作らないとダメなのだ。

「地域振興」っていったい何なのかと思う。フライフィッシングの聖地ともてはやされた梶原川と本流の出会いの橋の下の流れは何度も工事され、岩場も消え、かっての川の精気はなくなった。釣り人の姿もあまり見ない。ヤマメ小屋にも人影はない。岸から見て見た目はきれいだが、昔の梶原川ではなくなったのだ。温泉館の開設当時に、ヤマメ釣りのコーナーがあり、丁寧に魚の生態や釣りの仕組みや名人の竿の展示、津留崎さんの写真集のコーナーがあった。そういう資料を見て、川の生態系や自然の価値が理解できるのだ。今は意味不明のトラクターのおもちゃの展示がある。村の人は「そもそも自然に関心がない」のではないか。立派なキャンプ場の建設の前に、宿泊客向けの清流を巡回、体験できる川の小道の整備くらいはできたはずだが。そんな設備の建設では、儲からないからやらないように僕には見えるのだ。

宮崎の綾町のような取り組みが出来ていれば、村の応援団がすでに組織出来ていたのではないかとも思う。五木村ならではの森林セラピーなど面白い取り組みができていたろうに。みんなの意見でお互いの頭が耕されるのだ。単なるイベント屋、広告屋に高いギャラを払わされては、何も残らない。その繰り返しではなかったか。特産品についても同じ。道の駅の3割程度しか村で作られたお土産品はない。裏をひっくり返すと熊本市内どころか他県のお菓子もある。おしゃれで、今風のお菓子は不要なのだ。来る人は、昔の原風景を求めているのだから、ぜんぶ、不ぞろいのお菓子、食品でいいではないかと思う。村で一番おいしいのは原木椎茸、手作り豆腐などで、袋に入れただけの野菜が完売しているではないか。「くねぶ」という果実?を数年前から売り出しているけど、村内でその果実が実った景色を僕は見たことがない。せっかくだから、どんどん「くねぶ」を植生し、村を金色の果実が実る景色で彩るといいのに残念だ。金余り、どうしても格好つけたいから今風のレシピの料理、お菓子を販売しても、また代理店に企画料をふんだくられるだけ。採りたて新鮮な野菜セットだけでも売れるはず。お金をかけずに、自分たちで考えた方が、失敗しても自分たちの為になるのだ。取り巻きの連中はお金をもらえるから、村の悪口は一切言わない。おだてられ、みこしに担がれ、また「地域振興」とやらにお金をばらまく村の姿はあわれでもある。

テレビで北海道のある田舎の町の取り組みが紹介されていた。その町は、少子化などで里山に残された耕作放棄地を使い、町のみんなで広大な「ビオトープ」を作った。敷地内にはたんぼがあり、春にはみんなで田植え。手作りの小川が流れ、川には魚が増え、トンボが飛び交い、野鳥が帰ってきたそうだ。住民がみんなで石を積みあげ、そのビオトープが完成するまでに20年かかったそうだ。
完成まで20年…お金をかければ数年で完成するだろうが、見方を変えればその町の住人はたっぷり20年、ビオトープ作りを楽しんだのだ。そしてその町に関わった人数は数えきれないだろう。

熊本県も村も又、五木村の地域振興案をテーマにコンぺでもするのだろう。
広告代理店、テレビ局、企画会社、コンサル軍団がどっと村に押し寄せるだろう。見積もりには企画費、イベント料など、いろいろな項目に金額が提示されるのだろう。村民は頭を使わずに、よかろうと思う企画案をお金で選ぶのだろう。嗚呼、またこれから、空虚の空間にダムが完成し、いよいよ本当の水で満水になるまで、どのくらいの時間が残されているのか。

一度、費用はゼロ円で村の地域振興案のコンペをしたらどうかとも思う。
僕は熊本に居ながら、北海道のビオトープの夢を見る。

村の唯一の景勝地「大滝」実はこの滝の真横に鉄製の階段が設置してあり、景観が台無しなのだけど村人は気が付かない。