猫や生き物には「死」という概念はないのだろう。彼らはどんな辛いことがあってもなんとか生きようと(生存本能…)して、人のように辛くて死んでしまいたいという気が起こらないのも「死」の概念がないからだろうし、当然「自死」はしない。無謀な冒険心はあっても。
ポン太は立派な若猫で体重が5キロ近くもある。人畜無害、性格は極めて穏やかで、大人しい。鼻は高く結構イケメンなのだが、本人、去勢してから、何らメス猫にも関心がなく、一日のんびり寝てばかりいる。いつも何か考えているようだ。先日風邪をひき、高熱でうなされていた夜だけ僕の布団の中に入ってきた。何か「死」のような恐怖を感じ、恐れたのかもしれない。もちろん風邪が治るとケロリとしている。
日々、猫族6匹の中に囲まれて生活していると、彼らの魂はどこから来たのか、考えることがある。それはお互い様、人間の魂だってどこから来たのか、どこへ行くのか、分からないくせに、猫の世話を焼いている暇はない。
連中が死ぬ前に自分が死んだらいけないと思いはじめる。家猫の寿命は人より短く平均15年。僕はすでに還暦を迎えたが、何とかあと15年、折角のご縁だ。同じ時間を過ごしていたいものだ。
猫や生き物には「愚か」という概念もないのだろう。そのまんま自然に15年生きて自然に死ぬ。
人を欺いても生きようと、自分だけクモの糸にぶら下がろうという、人族の「愚か者」と付き合う、無駄な時間は僕にはないと思うのだ、あと15年。
だからテレビのワイドショーも見ない、がなり立てる愚か者の声に耳をふさごうと思うのだ。ぽん太の大きなおなかをポンポン叩きながら。